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長編10
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いとしのカノジョ

それは私が高校時代のことです。

当時私は同じクラスの女子と付き合っていました。

彼女はとても優しい娘でした。

彼女はとても情の深い娘でした。

彼女の笑顔はとても眩しく、その笑顔を見るたび、私は心を奪われるのでした。

・・・これは秋の夕暮れどき、下校時のことです。

彼女と一緒の下校。私は幸せの絶頂でした。

秋風が道を疾りぬけました。本来なら身体を凍えさせる冷気も、彼女の傍にいると二人の一体感を感じさせる良きスパイスでした。

彼女は、ふと歩みを止めます。

道端の看板を見ているようです。

それは、葬儀の案内でした。

「故 〇〇〇〇儀 葬儀式場」とあります。

「知ってる人なのかい?」

私は彼女に尋ねました。

しかし彼女は首を横に振ります。

「知らない人よ。でもね、誰かが亡くなるのは、寂しいことじゃない?」

「そうだね。でも、顔も見たことない人の葬儀に心を向けるなんて、君は本当に優しいんだね。」

「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると、あたしとっても嬉しいわ。でも、そうね。

もし、亡くなった人がどんな人だったかをみんなが知れば、通りすがりの人も故人を偲(しの)んでくれるのかしら。」

彼女はそう言うと、私の腕を引いて、また歩みを進めるのでした。

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それから日が経ち

私が町を散策していると、またしても葬儀の案内看板を見つけました。

日頃は、およそ故人と無関係であろうから、珍しい古風な名前でもない限り気にも留めず素通りするのですが、この時は思わず立ち止まり看板を凝視してしまいました。

・・・その看板には、故人の写真が据えられていたのです。

それも、葬儀業者の丁寧な仕事ではなく、いかにも素人がやったふうな、ポロライドカメラで撮って排出された写真をそのまま看板に貼り付けたようなものでした。

さらに気味が悪いことに、被写体の老人は、遺影の写真のような落ち着いた佇まいではなく、驚いているような、あるいはなにかに恐怖したような表情をしているのです。

・・・なんと、おぞましいことをする人もいたものです。

よほど故人に恨みのある人がしたのでしょう。

しかし、陰湿な。どこまでも陰湿な・・・

異常者の闇に触れ、身体に虫唾を走らせた私は、再び帰路を歩みました。

物悲しい風が道に吹き荒みました。

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・・・それから季節は秋から冬に移った頃のことです。

その日も私は彼女と学校の帰りを同じくしていました。

彼女は、やはり美しいのでした。

紅いマフラーに、グレーの毛糸手袋。

そして乳白色の八重歯を覗かせながら私に微笑みかける彼女。

冬風が二人の間を抜けていきました。彼女の美しく長い髪がたなびきます。

たなびいた髪が眼に入ったようで、目元をくしゃっとさせながら、彼女は髪を整えました。

その仕草も可愛らしいのです。

それにしても、仄暗い町を彼女と共に過ごしていると、なんとも幻想的な気分になります。

・・・しかし視界に、とある電柱を認めたとき、私は一瞬固まりました。

その電柱には、葬儀の案内看板が括り付けられていました。

いつかのおぞましい光景が頭をよぎります。

ところがそれは、こう言ってはなんですが、

いたって普通の葬儀の案内看板でした。

彼女との会話に気持ちを切り替え、電柱を通り過ぎます。

「あ、ちょっと待って!」

彼女は私を引き留めました。

そして彼女は電柱の前まで歩み寄ります。

案内看板に向き合った彼女は、おもむろに、自分のカバンに手を差し込みます。

そして、1枚のポラロイド写真を取り出しました。

・・・写真は、丁寧に、私の彼女の手で、看板に貼り付けられました。

「さ、行きましょう」

彼女は私の血流の止まったような手を、柔らかにつかみ、何事もなかったように歩みます。

・・・私は彼女の顔を見ることができませんでした。

夜の帳はすでに降りています。

私はもうこの闇から抜け出せないように思いました。

・・・それからどのように家に帰ったのか曖昧です。

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後日、彼女に先日の出来事の真意を訊ねました。

すると彼女は、私を彼女の家に招いてくれると言うのです。

・・・放課後、気まずく思いながらも、彼女と一緒に帰りました。

「突然に家に行っても、親御さんは大丈夫なの?」

「大丈夫よ。お父さんは単身赴任でいないし、おふくろは・・・あたしに無関心だから。」

「え?おふくろ?君が言うと似合わないなぁ。

ママとか言いそうなのに。」

「そうかしら?あたし、この呼び方好きなのよ。

普段はぶっきらぼうで距離があるようなのに、芯のところでは愛情でつながっている。

そんな温かみを感じるじゃない?

もし将来子供ができたら、子供にもあたしのことはおふくろって呼ばせたいわ。」

・・・この子は母親からの愛情に飢えている。

でも、それは片想いなのだ。そう感じました。

そのあとも、彼女とたわいのない会話を続けましたが、

それでも私の心のもやは消えず、

彼女と手をつなぐことはできませんでした。

ただただ潮風の香りにだけすがりました。

やがて彼女の家に着きました。

廊下を通ったとき、居間に彼女のお母さんがいるのを認めたので、

廊下から軽く挨拶をしましたが、

私達には興味ないようで、見向きもしません。

・・・私達は廊下の奥にある彼女の自室に入りました。

初めて入る彼女の部屋。

しかし高揚感はありません。

ただただ重い気分です。

対照的に、彼女はとても嬉しそうです。

彼女は梅昆布茶を淹れてくれましたが、私はそれに手をつけることはできません。

そして、意を決して彼女に、先日の写真のことを尋ねました。

すると彼女は少し照れた顔で

「うん・・・あなたにまた褒めてもらいたくて・・」

「え?」

「あの写真があれば、通行人の人も、どんな人が亡くなったか分かるでしょう?

痩せている人なのか・・顔にホクロのある人なのか・・目が二重の人なのか・・・

名前だけではただの記号よ。でも写真1枚あるだけで、あの看板を見た人は、きっと亡くなった人のことに想いを馳せるはずよ。」

そう語る彼女の顔は美しく、眼の奥の光はなお輝いています。

「そのために、君は故人の写真を看板に貼ったんだね?」

「そうよ。みんなが見知らぬ故人を偲ぶようになったなら、もっと優しい世の中になると思うの。」

彼女は両手を広げて、天井を仰ぎます。

演劇じみていると思いながらも、ブラウスの袖がなびくのが華麗と感じてしまいました。

「それに、あたしだけ葬儀看板の名前だけを見て寂しい気持ちになるなんて、

・・・あたしが可哀想じゃない?」

彼女は両手を広げながら、顔だけこちらに傾けます。

柳のような美しい眉が、八の字に傾きました。

「あとね、なによりね。

あなたに、優しい子だって言われて嬉しかったのよ・・・」

媚びるような笑みが、彼女のみずみずしい唇からこぼれ落ちます。

私は何も言えなくなりました。

私のへつらいのような褒め言葉が、彼女を変えてしまったのでしょうか。

そして私は、愛する恋人の暴走を受け入れるのも、人間の器なのではと考えてしまいます。

「たしかに、普段テレビで、

紛争や自然災害により何千何万という人が死んでいるという報道を見聞きしているけれど、

正直なところ、ただの数字でしかないよね。

・・・そこに、人の体温を感じることができない。

・・・君は、そんなボクみたいな想像力の無い人達を、良い方向に導いてくれるのかもね。」

それっぽく、私は彼女をフォローすることにしました。

私の、彼女の思想への賛同を聞くと、

彼女は眼を爛々と輝かせます。

「ありがとう!本当にあなたを恋人に選んで良かったわ!」

彼女は満面の笑みです。

私は、その魅惑的な笑顔に心を奪われました。

・・・そうだ。私こそが彼女の唯一の理解者になるんだ。

愛する彼女の、美しい彼女の親愛の笑みを、

唯一間近で受ける恩恵にあずかれる、この私こそが・・・

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「じゃあ、もっとあなたに、あたしを好きになってもらおうかな!」

「え?」

彼女はすくっと立ち上がると、壁の前に歩み寄りました。

壁にはカーテンが張られています。

ですが、カーテンが張られているのは、道路に面した窓のある壁ではなく、

家屋の内側に面する壁なのです。

「見ててね〜見ててね〜」

無邪気に彼女は、いたずらっ子のような笑みを私に向けます。

彼女はカーテンを、シャーッと両端に広げました。

その光景に、私は呼吸を止めてしまいました。

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そのカーテンの奥、その壁一面には、

ポラロイド写真が、びっしりと張られていました。

二、三百枚はあろうかという、おびただしい数の、怯えた表情をした老若男女の写真・・・

「ねえねえ」

彼女は私に呼びかけました。

数秒遅れて、彼女に振り向きます。

パシャっという軽い音と共にフラッシュが焚かれました。

「あは。やっぱりいい顔してる。」

カメラから、ポラロイド写真が排出されます。

その私は、他の写真の人のように、怯えた顔をしていました。

「これは特別な一枚ね。」

そう言うと彼女は、

私の怯えた顔を閉じ込めたその写真に、

あつく頬擦りをして、

それから、

その写真をゴミ箱に投げ捨てました。

「でも、まだいらないものね。あは。」

彼女は私に微笑みます。

「あなたのことが、心から愛(いと)しいのよ・・・」

その顔は本当に美しく、そして、狂気でした。

・・・それからしばらくして、

季節は春風が桜を薫らせるころ、

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・・・彼女はあっけなく亡くなりました。

そして私は、その町から逃げるように転校をしました。

都会に住む伯父さんの家に居候をしながら、都内の高校に通いました。

漁師町から都会への転校ということもあり、クラスメイトの女の子たちは、とても垢抜けていて綺麗に見えました。

しかし、私はもう、彼女との出来事から、女性に対して潜在的に恐怖するようになっていました。

そしてそのころから、

性的嗜好も、いままでと真逆なものへと変わりました。

それはまるで、あのたおやかで可憐の偶像と化した彼女から逃げるように。

・・・私の青春時代の話はここまでです。

読んでいただいてありがとうございます。

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・・・え?いま私がどう過ごしているかですか?

はい。あれから何事もなく、後年に家族を持つこともできました。

はい。息子が1人います。

はい。そういえば、先日こんなことがありました。

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私の高校時代のアルバムを、息子と見ていたときのことです。

「ねえ、この人はだあれ?」

息子は、

集合写真で私に寄り添う、

私の彼女だった人を指差します。

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「えっとねぇ・・友達かな・・?」

「そうなんだ?でもヘンだねー。

この人、こんなに腕にぴっしりしがみついて、

・・・まるでお母さんの恋人みたいだね!」

「そうね・・・彼女は本当に優しい人だったのよ・・・」

「そうなんだ・・・え、それどういう意味なの?」 

「うん?」

「あ、ごめんね。それでこの人はいまどうしてるの?」

「・・・いいのよ。

あたしが『優しい人だった』なんて言ったせいね。

・・・この人にはもう会えないってことよ。」

「え・・・どうして?」

「夜中に写真を撮ろうとして、教会に忍び込んだらピストルで撃たれたのよ・・・」

「え!?シャサツされちゃってたの?」

「ええ。神父の寝込みを襲って顔を撮ろうとしたみたいなんだけど、

その神父が、かつて殺し屋をしていたものだから・・・」

「そっか・・・それは仕方ないね・・・」

「そう・・ね・・」

「お母さん!」

「ん、なに?」

「切り替えていこう!!」

「・・・そうね」

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「それとお母さん・・・」

「うん、なにかしら?」

「イトシイってなに?」

「愛しい?大好きって意味だけど、なんで?」

「ん、なんでもないや。」

「そう?

それにしても、あなた難しい言葉を知っているのね。」

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私はアルバムをしまい、息子を公園に遊びに行かせました。

眼鏡をかけた旦那が居間で新聞を読んでいます。

私は、旦那に梅昆布茶を淹れてあげようと、お湯を沸かしました。

コポコポとお湯が音を立てています。

最近、あの当時の彼女にだんだんと近づいている気がします。

髪型をロングにしたり、紅いマフラーを巻くようにしたり・・・

ふと、私は彼女の好きだった洋曲を思い出して、それをかけることにしました。

その死を偲んで・・・

オーディオから音色が流れてきます。

旦那が、読んでいた新聞をテーブルに下ろして、

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「君、その曲好きだよね。

なんて名前の曲だっけ?

・・・イギリスのロックバンドの・・・

・・・えーっと・・・」

彼女のことを、私は永遠に忘れないでしょう。

「・・・クイーンの、

ボヘミアン・ラプソディよ・・・」

「そうかそうか。」

「・・・昔に亡くなった親友が好きだったのよ」

「そうだったんだ・・・でも、亡くなった友人の好きな曲をずっと憶えていてあげるなんて、

君は本当に優しいんだね」

「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると、あたしとっても嬉しいわ。」

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・・・公園にて・・・

息子が一人でブランコに座り、独り言を言っている。

「・・・そっかぁ、いつもお母さんのとなりにいる人って生霊じゃなくて、もう死んでいたのかぁ」

優しい夏の潮風が、息子の身体を抜けていった。

息子は首をあげて、空をのぞむ。

「大人の前では幽霊と喋らないようにしてたのに・・・さっきはうっかり反応しちゃったなー。反省反省。

でもまぁ、写真の女の人、

その本人が一緒にアルバムを覗いていたんだから・・・仕方ないよね。」

息子は独り笑う。

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そして首を垂れて、思いに耽る。

「・・・それにしても、

『 もうすぐひとつになれるのよ 』

ってどういう意味だったのかなぁ?」

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