この年末年始に見た夢のこと。
もしかしたら、初夢だったかもしれない。
その夢の中で私は駅で電車を下りて、暗くなってきて空が暗色の濃紺、「青い闇」の小さな町の小道を歩いていって。
閉館時間も間際の閻魔堂。それが目的地。
何かどうしても閻魔様にお参りしたくなるような理由があって(私らしくもない)、でも具体的に何なのか知らない。
そうしたら、お堂の建物の奥に行く途中の小部屋で、閻魔の顔をした(お面やかぶり物を付けた?)小さな子供がスヤスヤ眠っている。板間か畳に敷いたお布団で。
その子供をしばし眺めていたら、誰かが人体の動力の神秘について、簡単なトレビアを教えてくれた。
けれども特に怖いとは思わなかった。人気はなくて薄暗いお堂でも、ちゃんと電気はついていた。空気が温かくて外ほどには寒くないし、漠然と親切でアットホームな感じ、厳粛さと温かさが入り混じっているような雰囲気。
それから時間がないから、奥の部屋に板間かタイルを歩いていく。そこには(重要文化財の?)閻魔像が祭られているはず。
お祭りしている像の扉が閉じている。
もうお参り時間が終わり近いからだろうか。
そうしたら仕掛けが作動して、閻魔像を安置した座席台の扉が開いていく。
(ひょっとしたら参拝客にセンサーで反応する機械仕掛けなんだろうか?)
そんなことを思った。
けれど。
せっかく扉が開いたのに、座席台には閻魔像がない。空席になった大きな椅子があるだけ。本来あるべき場所が不在になっている。
それで困ってしまってどうしようかと思っていると、女の声(おかみさん?)がする。
「今日は月に一度?の特別な日ですので、別のお堂にちゃんといらっしゃいますよ」
それで奥の部屋を出てみると、同じ敷地の二軒くらい隣の少し破れかけたお堂の入口から、灯明なのか、金色の光が漏れていた。
(夢はそこまで。以下、考察)
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不思議なことにあまり恐怖は感じなかった。
それは閻魔って「怖い」だけでなく、ものの見方によっては「救い」でもあるからだと思う。
なぜなら善行には果報で報いてくれるのだし、犯した罪以上に過剰な罰や理不尽な虐待をされることはない。つまり、罰を与えるだけでなく、守ってくれる公正さや正義の象徴みたいなもの。
鬼や悪魔とは本質的に異なっている。罰を受けたとしても、それで罪から救われる・報いられる。
一見は不在の(存在しない)ように見えた閻魔(神仏による正義と公正さ)はちゃんと存在しており、安心して良いということ(?)
作者退会会員
今はあまり本格的にやる気・創作する気にあまりなれない(汗)。現実があまりにも酷すぎて、フィクションの恐怖どころか、ユーモアや冗談すら意味を失うような有様なのだから。
そもそも、「こわばな」は短い話が基本であるため、あまり長い長編小説は投稿しづらい面もあったり。しかも今どきはどこのサイトや業者にも特定勢力の手が回っているとしか思えない節があり、一般人に見える他のユーザーですら迂闊に信用できなかったり(苦笑)。
備考
(掲示板)たぶん「余命三年時事日記」(実在ブログ)が一番怖い
https://kowabana.jp/boards/101207
前投稿「今に雪が降っている意味」も関連する話です。