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深夜のビルの屋上、赤黒い鮮血の記号が殴り書きにされる。
『封神(神として封じる=殺害してあの世に送る)』
それこそまさしく歓喜の主張。
なぜなら命を屠る祭儀は無上の悦びであるからに。
万軍の上帝はきっとそれを良しとされるに相違ない。
まさしく人間は二脚の羊であり造物主の家畜中でも最高のものである。
成し遂げられた出来事を天は見そなわす!
万歳を叫んで然るべき聖なる業が紡がれたのだ!
連綿たる業鎖の極点は新たに行われた。唯一真理、祝祭の火を絶やしてはならない。ひたすらそのためにのみ、一切衆生はこの球形の青い牧場に生を受けるのである。闘争と流血と絶命の踊りこそが、永劫に魂の輪廻と世界の流転を紡ぐのだ。
「肉の牢獄は破砕され、頚木は放たれたのだ。イーデアの世界に回帰せよ」
その場には死体が一つ。
そして聖なる油が厳かに注がれる。
「香油を塗られて祝福されるべし、火による末期の洗礼を享受せよ」
液体特殊燃料を振りかけられ、種火に点火されて赤々と燃え上がる。丸焼きの捧げ物のように燃え、黄色い脂肪を焦がして香ばしい煙が立ち昇る。供える肉を焼いて天上に煙を捧げるのはギリシアでもヘブライでも古来より正統なる作法であった。
そして殺害劇の主催者が一人。
威厳ある異形の立ち姿、沈黙の祈祷を捧げるかのようだ。右手の黒手袋が赤く汚れているのは、はみ出した腸を掴んで振り回したからに他ならない。ゆえに彼は返り血で汚れていない左手で箱型の無線を耳に当てていた。
『現況、お前がこのエリア最後のNAMAHAGE
(ナマハゲ)だ。引き続き死命を果たせ』
通信にノヴェは短く応じた。
「ダッコールド(了解)」
無機質に応答する声は若く、アクセントは五母音の発音によく馴染んでいた。
暗黒機密な密葬殺戮者の顔貌、隠されて見えない。
永遠に不明であろう。
それこそが「本来」の姿なのだから仮面なしには「彼」は「彼」ではありえなかった。この世の人ではない何者かが「役目」を果たすために身をやつしているに過ぎぬ。
記号として現世に顕現した真実の顔貌は、まさしく東洋の「鬼」に似ていた。
俗に「般若」と呼ばれる型の変種。ただし塗ったような漆黒であった。さらに金泥めいた隈取まではしっている。文様は直線的、総じて幾何学的な構成、チタニウムの材質とあいまってどこか現代的な印象を醸す。額の一対の角だけは鈍い色合いの鋼であった。
鉛のような暗色の上着は袖口が大きく開き、背中から肩、袖に金糸で縫い取られた植物文様。壮麗であるゆえにいっそう禍々しい。
少々丈長な裾の下、腰後ろの皮のホルスターにはサブマシンガンと鎌をぶら下げている。
ズボンの鉛色はやや色が明るく、ほとんど曇天の灰色だった。裾から覗く左足先は奇蹄類のような蹄になっている。どうやら精妙にして奇矯な義足であるらしい。
まことに魔界的な造形であった。
おおよそヒトとは思われぬ。総じて評すれば機械仕掛の悪魔細工。はたまた人命を刈り取る天使なのかもしれなかった。
そんな非現実的な男が、現実に今ここに立っていた。
「このまま葬査を続行する」
軒並みに葬りつつ探査する。
関わった者は生かしてはならない。
だからノヴェは白銀に輝く髪をなびかせて破滅騒乱の中心地に殺到した。
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闇夜に遺憾なく銃口炎が瞬く。
漆黒に乱れ咲く灯明の花よ。
無慈悲なまでに忠実なサブマシンガンが吼えたくっている。
仮面の御使い、死神の代行者ノヴェは殺戮に酔いきって喚く。
「放生する、放生してやる!」
囚われた生物を解放する放生(ほうじょう)は美徳であり善根である。
泥人形の五体に囚われた魂を解放することは救済である。
「アイ・リリース、アイ・リリース・ユー! エヴリヴァンッ!」
無知な猿でも理解できるように英語で叫びながら、一切微塵のためらいもなく引き金を引く。ホローポイントの非人道的な弾丸が遺憾なく射出される。物理エネルギーを十全に対象の骨肉に叩きつける鉛弾。陸戦協定違反のダムダム弾の変種である。
潰され、引き裂かれ、打ち砕かれる肉体。
惜しみなき硝煙に血と糞の臭いが混じる。
狙った先、撃った先、赤い花を盛大に乱れ咲かせて崩れ落ちる。
黄色と赤の内臓がコンクリートに流れ出し、砕けた頭から桜色の脳が撒き散らされる。
イリアス神話の戦場に流れた血の河が具現する。
ニーベルンゲン伝説の皆殺しの終末のように屍の山が築かれる。
これこそが神代から無限に繰り返されてきた事象。
悲鳴と歎きの声の残響が復讐の神エリニュスの慟哭のように降り積もる。
アラビアの霊鳥の影は果たされぬ報復を求めて跋扈する。
それでもものともしない。背後に付きまとい腕や足を這い上がる怨恨の死霊の苦悩など一顧の価値もないと断じている。不動明王の如き覇気が情けも後悔も無価値にする。気虫ケラどもを一切合財殺し尽くして進撃するのだ。
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晦冥なる果て無き螺旋階段を降り下る。冥府へと下る道のようであった。まるで深海の大怪獣リヴァイアサンの食道の奥に入り込むような昏迷の気配がひしひしと圧している。それでも奈落の神は見そなわすだろう。隠れ兜に身を隠して地獄王ハデスは御照覧ある。
地の底には祭壇があった。エトルリアの古代より続く血塗られた祭壇が。
太古より受け継がれた臓物占いの儀式であった。
肝臓の形状より森羅万象の行く末を見定める奥義。
腹を裂かれた小児の周りに、異端の僧侶たちが集まっている。痩せこけて青白い顔は化け物の容貌であった。忘れ去られた言語で鼓膜を冒すような祈祷を捧げている。現代の罪の認識などありはしない。親兄弟で共食いし近親相姦して恥じることのなかった原始の時代の価値が実行される場所なのだ。
まさしくゴヤの「黒い絵」の世界だった。実体をもった影どもが蠢く。
その混沌の真っ只中へと狂気の断罪天使が押し入ったのである。
「貴様らを神聖絶滅する」
ノヴェはついに得物を抜き放つ。
それは屠殺具と呼ばれる特殊な武器。常人ならざる魔人、ありうべからざる妖霊を屠る直接殺害兵器。彼の屠殺具は「鎌」であった。形状は百二十度に開いた、片刃の短剣に近い。爪のように湾曲して鋸歯状になっている。
隻足の抹殺者ノヴェは蹄の義足で鎌を身構える。
肉を削ぎ、骨を絶つ。
踏み砕き、切り刻む。
禍々しい武器と行いが彼の本質を何よりも雄弁に象徴するだろう。
そのためにのみ彼は存在するのだから。
邪教徒の群れが迫り来る。
「これより殺戒を破ります。天主よ、この殺生を嘉納したまえ!」
ノヴェは義足を振り上げて、取って置きの蹴りを見舞う。顔面を陥没骨折した生首はもげて弾け飛ぶ。蹄の足は人造品ではなく、人外甲殻類の足を移植したのである。
切り飛ばされた腕や足が切断面もはっきりと投げうたれていく。
生きのままの稼動する人体を解体するための凶刃である。
飛散する肉体断片と乱舞する火影。怒号と絶叫が濃密に交錯する。
『よくも地獄へ来た!』
嘆きと絶望の叫びが包囲する。
「奈落とはこのわたしのことだッ!」
ノヴェは負けずに吠え立てた。万事は気合である。
素手で鎖骨を引きちぎる。破れたリンパ管から薄黄色い汁とどす黒い静脈血、そして鮮血。親指で眼窩を抉る。破裂した眼球。肘うちすれば鼓膜を破り。膝蹴りすれば内臓破裂。四肢をくまなく処刑道具に鍛え上げてこの場にある。
何者にも換え難い充足があった。
人命など塵芥同然、わたしも貴方も泥人形。
ただ炸薬の如き刹那のみが尊いのである。
異常者たちの宴は底抜けに高まっていく。うず高く積み上げられる死の山こそがバベルの塔のように神の領域へと至るのである。
突貫する。
すれ違いザマ、切断された首から赤い噴水が湧き上がる。
最深の底の底に到達する。
魔方陣に背骨を切り取られた男が横たわっている。
発芽した冬虫夏草の空蝉のように内臓がうねうねと広がっている。
壮麗豪華なるビザンツ風の祭服に身を包んだ高僧は安楽椅子に泰然と憩っている。
ここの最高指導者様はアルツハイマーであらせられた。
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真昼、ブラインドを下ろしたオフィス。
仮面の男ノヴェが参上した。喪服のような黒い背広に銀髪般若マスクである。
「鬼還致しました、チンクェ」
奥には執務机が一つだけ。
回転椅子で振り返った紳士チンクェは慣れているらしく、取り立てて驚いたそぶりもなかった。明るい色調のグレーのスーツ、縁のない眼鏡。バロック風のカツラを標準装備した四十三歳。たぶん独身。
「ご苦労、総統」
「やめてください。私はノヴェです」
軽口めいた挨拶をノヴェは真っ向から否定した。チンクェは眼鏡を光らせて口を尖らす。
「だってクローンだろ。あの『幻の第三代総統』の」
「私は私です。遺伝子構造は同じでも、私には自分だけの魂がある」
ノヴェは珍しくむきになって仮面の下で毒づいた。
「ヴァカ、褒めてるだけだよ。なーんで『生物兵器』とかはゼンゼン平気なのに、『総統』ってゆったときだけ怒るんだよ」
「……対象を確保、連れてきました」
無視したノヴェはクーラーボックスをドンっと開く。
高く差し上げたのはハゲ頭の生首だった。あの最高指導者の老僧だ。
机上に無遠慮なやり方でドンと置く。
カツラ眼鏡のチンクェ氏はポテチを食べながらぼやいた。
「また殺したのか。どうせ拷問で殺すから同じだけどさ」
「労力の無駄です。効率重視です」
「尋問調査官のディーエチが、出番がないって歎いてたぞ。吊るし上げて脛を鉄棒で叩かないとストレスが溜まるんだそうだ。巷のSMクラブでバイトするかどうか、本気で悩んでたみたいだぜ、彼女」
「あんな変態の立場など知ったことではありません。どうせ恍惚の楽園の住人ですから、まともな問答など不可能です。合理的に残留思念に喋らせます」
ノヴェは焼き串を取り出して、ごく乱暴に死体の耳に突っ込む。テレビのチャンネルをガチャガチャやるみたいに脳幹をかき回している。
「今調整しますんで」
「あまり机を血で汚さないでくれないかな?」
さりげなく文句を言うカツラ眼鏡。
ノヴェは事も無げに平然と作業を続行している。
「死んで時間がたってますから、血は固まってますよ。問題はありません」
「そうかね? 本気でそう思うかね?」
「全くもってそう考えます」
生存者両名、与太に水を掛け合っている。
突然だった。
死せる首級がくわっと目を見開いたのだ。
『あ、あ、あ』
死後硬直した唇が開かれると、半壊した声帯が中古のレコードのような音を搾り出す。両眼からは涙とも脳液ともつかない赤い雫が滴り落ちていた。
カツラ眼鏡チンクェはテストの問いを投げる。
「では第一問。最期に食べたのは?」
『か、肝臓。小児の肝臓』
「一般の人間らしい食べ物では?」
『スゥトロベリーサァンデーえええええっ!』
「甘党かね? ポテチは喰う?」
チンクェは死体の目の前でポテチをヒラヒラさせる。
『あ、油ものは健康に悪い。メタボリックになる』
「うるせえ」
チンクェ氏は拳固で冷たい禿生首を二回小突いた。欠点を指摘されてムカついたらしい。
すると直立不動していたノヴェが恬淡としてコメントした。
「無抵抗の相手に、そのやり方は卑怯だと考えます」
「違うだろ。無抵抗なら何をしても良いのさ。世間の常識」
「それは違います。抵抗したからこそ根こそぎ虐殺しても良いのです」
あくまでも不良クールなチンクェ氏にノヴェ総統は熱く哲学を語った。
この二人にはよくある会話だ。
チンクェはそれ以上取り合わずにシャーマンな尋問を続行する。
「で、炭素菌のタンクは何処に隠したの? 国軍の生物兵器保管庫から盗んだアレ」
『知ィらない』
「再調整します」
ノヴェは長い釘を取り出して、生首の右の目頭に押し込んだ。
『ギギ、ギ、イデェー!』
「これで駄目ならば。生き残りを別に確保してあるので、なんならそっちに訊いてみましょう。殺処分を待つように、屠殺課には待ってもらっています」
「それを先に言えよ、ヴァカ」
チンクェはポテチ袋を逆さにして最後の破片まで残さず平らげる。
ノヴェは思想を述べた。
「慈悲であります。捕虜は人道的に扱われるべきですから」
トラクターで畑に生きたまま耕す。
そして有益な農作物に転生させる(ジャガイモとか)。
捨身の善行を強制で積ませるためだ。
そんな処刑がもし人道的と言えるのならば、そのとおりなのだろう。
作者退会会員
単純に残虐ホラー・バイオレンスのアクション短編です(過去習作の蔵出し)。筆者の本性炸裂、洋物のホラーアクションとか、そういうのが好きだったので。
仮面の殺戮者ノヴェが、邪教徒を殺戮バイオレンス。ただ本当にそれだけの内容です。日本東北の心優しき鬼「ナマハゲ」を欧米人がダークヒーローの題材にしたらどうなるか。そういうイメージですね。
なお、雰囲気や世界観のために名前や台詞がごく一部イタリア語だったりします。