「いただきます」
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【美容食】
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とっておきの美容食があると聞いて、友人と共に浜へ出かけた。
上半身は色の白いふくふくとした赤ん坊、下半身は水色の鱗の輝く魚の尾ひれを持った生き物が打ち上げられ、声を張り上げて泣き叫んでいる。
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これから解体される運命を赤ん坊ながら悟っているのか、哀れなものだ。漁師たちは慣れているのか、顔色ひとつ変えず、黙々とその奇妙な身体を網から外しに掛かっている。
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顔を真っ赤にして張り上げる五月蠅い声はまさしく人間の赤ん坊そのもので、私の神経を逆なでするとともに、幾ばくかの憐れみの感情を胸の内に呼び起こした。
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これを食べることは、とてもできない。
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私は友人にやんわりと拒絶の意を示した。人魚の肉を口にすれば、不老不死になってしまう。
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確かに皺も身体の衰えも無くなるし、この先一生その心配さえ無くなるのだが、死なない身体というのはいくら何でも荷が重すぎる。
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百年先も、私の勤め先が残っている保証は無いことだし、大体、私達のような貧乏人には手の届かない食材だ。
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すると友人は、くすくすと笑って私に説明した。人魚の肉は、上半分か下半分かで、値段に随分差が出るのだと言う。人魚は、上半身が人間、下半身が魚の生き物だ。下半分、つまり完全な『魚』である下半身は、値段もべらぼうな程ではなく、不老不死の効果も無い。
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ただ、食べると確かに、年を取るのが少し遅くなるのだと言う。
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人体に近い部分ほどその効果は絶大で、尻尾に近付く程、薄れて来るのが普通らしい。
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テレビに映るような人間は皆食べていると言うが、本当だろうか。一番安い尾ひれの部分を買って二人で食したが、味は冷凍の白身魚を更に水っぽく生臭くしたような感じで、お世辞にも美味とは言い難かった。
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【合法カクテルドラッグ】
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ピンクの水彩絵の具をシェリー酒で溶いて飲み乾すと、凄い快楽が得られるらしい。
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試しにやってみると、目の前にピンク色のネグリジェを着た女が現れた。尻を振りながらしきりにウィンクを送るので誘いに乗ってやると、ピンクの肌を晒して私の上に圧し掛かって来た。
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血色の良い湿ったピンクの腕、ピンクの乳房、ピンクの太腿が私の身体に絡み付く。
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目が覚めると、汗をびっしょりとかいていた。部屋中にピンクの芳香が漂っており、寝具には一面ピンクの染みが広がっている。
これは凄い。
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他の組み合わせでもいけるのかと、青い絵の具をバーボンウィスキーに溶かして飲み乾した。青い巨大な恐竜が目の前に現れて、私をひょいと背に乗せて青い宇宙の海を旅してくれた。
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あまりに楽しかったので調子に乗った私は、今度は物凄いスリルのあるものができないかと、黒い絵の具を赤ワインにたっぷり溶かし込んだ。
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赤錆だらけの刃を持つギロチンが、物凄いスピードで私の上に落ちて来た。目の前が真っ赤になって、真っ黒になった。
「バッドトリップか。黒は使うなって言えば良かったな」
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トイレで黒い絵の具塗れの胃液を吐き続ける私を尻目に、友人はにやにや笑いながら真紅の絵の具を舐めていた。
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【干物】
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河童の干物、というのが売っていたので買ってみた。
一枚千五百円。高いのか安いのかわからない。少し生臭い気もするが、まあ、大丈夫だろう。
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家に帰って、早速酒と火鉢を用意する。火鉢の中で炭がぱちぱちと微かな音を立てる。
さあ、炙ろうか、という時に来客だ。ぶつぶつ言いながら玄関に出てみれば、例の友人である。
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どうだ、一緒に一杯やらないか。
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私が笑って縁側の火鉢と干物を見せると、友人は怒号を上げて私を押しのけ、河童の干物をつかむや否や、庭の池に放り込んでしまった。
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ぽちゃん、という音がしたかと思うと、乾ききっていた干物に池の水が染み込み、みるみるうちにとっぷりと膨らんでいく。皺のよった茶色い皮膚が張りのある緑色に変わり、頭の皿はつやつやと輝いて、ぬらぬら光る嘴を嘲るようにくわっと開いたかと思うと。
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水かきで水面を蹴って、あっという間に池の底へと姿をくらました。水面には、名残の泡だけが儚く残されている。
ああなっては、最早捕まえることは不可能だ。その上、池に放った鯉を残らず食われてしまう。
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何ということをしてくれたんだ。
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苦情を申し立てる私に向って、友人は満足そうに腕組みしながら頷き、ただ一言。
「一週間待て」と呟いた。
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一週間後。
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囲炉裏の上で、鍋がぐつぐつと音を立てている。食欲をそそる甘い香りが鼻を突く。生臭さなど微塵も感じさせない、岩魚や鮎をもしのぐ深い香りだ。
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魚を煮る匂いにも関わらず、どことなく新緑を思わせるような、森の奥で微かに感じる風のような、不思議な爽やかさがある。
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「河童ってのは、鍋が格別なんだ。干物のまま食っちまうなんて、勿体ない」
友人は鍋をかき回しながら、上機嫌の体である。
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一週間。池の鯉を食い散らかした河童は、見事に肥え太っていた。
友人が再び訪ねて来た頃には、たも網で容易に掬い上げることができる程に動きが緩慢になっていたのである。
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成程、確かに友人が正しかったらしい。河童は雌だったようで、鍋の中では肉の横に金色の玉子が煮えている。
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せめて、玉子は私にたくさんくれよ。池の鯉の分だ。
私が少しだけ恨めしそうに呟くと。友人は「わかった、わかった」と笑いながら、剥がした河童の皿を囲炉裏で炙り、熱い酒を注いで美味そうに飲み干した。
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【続・美容食】
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先日人魚の肉を勧めてくれた友人とは別の知人から、居酒屋へ行かないかと誘いがあった。
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聞けば、そこの店では格安で人魚肉を出してくれるらしい。
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それも、日本では一番上等とされている、人間で例えれば丁度『太もも』の部分に当たる肉だそうだ。一応魚の部分ではあるが、すぐ上はもう人体なので、魚肉でありながら肉のような歯ごたえと脂肪に富み、尻尾とは比べ物にならないほどの美味なのだと言う。
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勿論、効果も凄まじい。一切れでも食すれば、向こう数年は全く年を取らなくなると言う。
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私が競りを見学した時は、海胆や蟹などよりも遥かに高い値段が付けられていた。そんな貴重な肉が、こんな小さな居酒屋で安く提供できるものだろうか。
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私は何か気味の悪いものを感じて手を出すことができなかったが、知人は煮付けで出されたそれを美味い美味いと何皿も頬張っていた。
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その知人に変化が現れたのは、数日後のことだった。
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髪には白いものが混じり、張りを失った肌の上で目は淀んで窪んで行き、腰は曲がって杖を使わなければ歩けなくなった。
明らかに、年を取っている。人魚の肉を食べたはずなのに、何故。
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謎はすぐに解けた。あの居酒屋が、食品偽装で摘発されたのだ。人魚の肉だと偽り、安い魚人の肉を扱っていたらしい。
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人魚の逆で、魚人……。
だから効果も全くの逆で、知人は早く年を取ってしまったのだ。
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【子供の食べ物】
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レストランに来ている。ビールを一口呑んだ辺りで、ふと、お子様ランチを食べようかと思った。何ということはなく、ふいに食べたくなったのである。
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別に誰かしらの理解を得たいわけではないが、あれは酒の肴に丁度良い。海老フライにハンバーグ、フライドポテト。一口だけのナポリタンスパゲッティ。値段が比較的安価というのも有難い。
どれも、少しずつだから良いのだ。
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私はウェイトレスを呼び、恥も外聞も無く例のメニューを注文する。綺麗な横顔のウェイトレスは、ごく機械的に「かしこまりました」と答えると、いそいそと厨房に引き返して行った。
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それにしても、と私は思う。幼い頃の私も、お子様ランチは大好物だった。今では考えられないが、あの頃の私は酷く食が細かったように思う。それでも、お子様ランチだけは本当に好きで、レストランに来るたびに食べたいとねだったのではなかったか。
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「どうせ、食べきれないでしょう。母さんのを、少し分けてあげるから」
母の困った顔を思い出す。そう言えば、私は件のお子様ランチを完食した記憶が無いのだ。はて。私はどうして、食べきれもしないものをあれほどまでに食べたがったのだろう。
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「お待たせしました」
美しい横顔のウェイトレスが、上品な身振りで皿を置く。
大ぶりな海老フライに、ケチャップで顔の書かれた小ぶりなハンバーグ……まさしく、記憶の通りである。
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私は子供のように笑みを浮かべて頷くと、意気揚々とフォークを握った……その瞬間。
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「なんだい、あんた。ビールなんか呑んでる大人のくせに、俺を食おうってのかい」
ぎょっとして、フォークを取り落としそうになった。きょろきょろと辺りを見回しても、誰も私に話しかけた者はいない。
「俺だよ、俺」
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声は、私のすぐ傍で聞こえる。私が、テーブルに目を戻すと。
ハンバーグのケチャップの口が、にやりと笑った。
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「あれ? お前さん、前も俺を食いに来たかい? 確か、随分前に……」
慌ててハンバーグにフォークを突き立てたものの、ケチャップの口は止まらない。
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「あの頃のお前さんは、いつも俺を半分だけ残してたよなあ。俺が、あと半分だぞ、頑張れって言っても、いっつもお袋さんに押し付けて……」
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お喋りなハンバーグを、一口で頬張る。急いで咀嚼する。子供向けとは思えないくらいに、肉汁と脂の旨味を感じる。しかし、味わっている暇は無い。もう良い大人なのに、こんなところで子供の頃の痴態を暴露されてなるものか。
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ビールで口の中のものを流し込み、息を吐く。
ハンバーグの消えたお子様ランチ。どうやら海老フライに喋る気が無さそうなので、安心した。
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さあ、仕切り直しだ。
気を取り直して、海老フライにフォークを突きさすと。
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びち、と、海老の尻尾が動いた。フライ全体に掛かったタルタルソースが跳ねる。びち、びち、びち。跳ねるソースが、私のシャツに染みを作る。
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わ、わ、わ……。
慌てながら海老にナイフを入れる。半分に切っても、海老フライはまだ激しく動いている。
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お前はもうフライになっているんだ! 海には帰れないんだ! 動くんじゃない!
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四等分した辺りで海老はようやく観念して動きを止めたものの、私のシャツには白いソースの斑な染みができていた。
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ウェイトレスが笑いをこらえている。
私の向かいの席で、家族連れが食事をしている。両親は食後のコーヒーに取り掛かっている。
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しかし息子である少年は、まだお子様ランチに夢中のようだ。ハンバーグと談笑したり、フォークを突き刺す度にびちびち跳ねる海老と戯れてみたり、楽しそうにけらけらと笑っている。
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「……なあ、そろそろ俺らを食っちまわねえか? デザートに間に合わないぜ」
少年のハンバーグが喋る。少年の顔も、首周りの紙エプロンも、タルタルソースでべたべたになっている。
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そうだ、思い出した。
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私は、今度は安堵ではなく脱力のため息を吐いた。
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この店のお子様ランチは、いつだって……食の細い、食べることに興味の無かった私のような子供でも、いつだって楽しめるように、そんな風に作られていて……。
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私は大人に相応しい仕草で上品に口元を拭うと、片手を上げて横顔だけが美しいウェイトレスを呼んだ。
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「ビールを、もう一杯」
あれを楽しむには、私は大人になり過ぎたようである。
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【養殖】
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友人と旅館に泊まった。丁寧に挨拶をしてくれた美人の女将にチップを渡し、早速露天風呂に行く。
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「おはきものを、おあずかりします」
青い着物を着た小さな子供が、脱衣場で礼儀正しく頭を下げた。子供にスリッパを預け、湯につかる。良い気分だ。
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岩で囲まれた広い露天風呂。何組かの客が居る。皆、楽しそうだ。
当然だろう、なかなか予約の取れない旅館なのだから。私と友人だって、商店街の懸賞に当たらなければ永久に来られなかったかもしれない。
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「おのみものを、おもちしました」
先ほどとは別の子供が、盆を持って露天風呂に現れた。赤い着物の女の子だ。男風呂なのだから、男の子にしたら良かったのに。
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「頼んでないよ」
友人が言うと、女の子はにこりと笑った。
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「とう りょかんからの おきもちでございます」
料金はいらないと言うことか。
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風呂が熱いので、冷酒を一合ずつ。下戸や子供の客には、冷たいジュースかお茶のサービスだ。
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しかし、随分と気前が良い。私がそう言って杯を仰ぐと、友人はにやにや笑って、「まだまだ、こんなもんじゃないぜ」と言った。
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風呂を上がると、スリッパを返して貰った。何と、ほかほかと温かい。
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「ふところで、あたためておきました」
スリッパを預かっていた男の子が、またもや丁寧に頭を下げる。
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そこまでしなくても。
私は少し狼狽えてしまって、たまたま財布に放り込んであった飴玉を差し出した。職場で貰ったものの、食べる気がなくてずっと取って置いたため、半分溶けてしまった代物だ。
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「ありがとうございます」
そんなひどいチップでも、男の子は嬉しそうに微笑むと。とても大事そうに、青い着物の袂に仕舞い込んだ。
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「おふろあがりに、いかがですか」
緑色の着物の子が、売店の前で叫んでいる。
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「どうぞ、ごしいんください。 ごししょく、ください」
差し出す盆の上には、冷えたビールのコップにゼリーのカップ……試飲や試食とは思えないほど気前の良い量で、家族連れの子供も大喜びでゼリーを頬張っている。
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エレベーターの前で、震えながら蹲っている子がいた。黄色い着物を着ていたが、男か女かはわからない。
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どうしたの?
私が声を掛けると、男の子はびくりと肩を震わせた後。
ぼろぼろと涙を流しながら、蹲ってしまった。
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「あーあーあー、駄目ですねぇ。天然の癖にさ」
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先ほど挨拶をしてくれた美人女将が、途方に暮れる私たちを押しのけるようにして前に出る。見れば、子供の黄色い着物は随分と擦り切れて古臭く、ところどころに滲んだような染みまである。
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「さっさと行きな! お客様が困ってるじゃないか!」
女将が廊下の先を指さすと、黄色い着物の子供はぐずぐずと鼻を啜りながら、汚れた足でぱたぱたと床を蹴って走って行った。
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「すみませんねえ。タネとして残しちゃいるんですけど、どうにも礼儀がなってなくって」
女将が苦笑する。赤い唇が半月になる。おくれ毛が酷く色っぽく、白粉と香水の香りがふわり、漂った。
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「失礼をしたお詫びに、こちら……」
女将が私の手を握った。どきり、と心臓が波打つ。手を開くと、そこには珊瑚の簪があった。
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女将の黒髪が解け、背中で揺れている。
こんな高価なもの、頂けませんよ。
呼び止めようとした私の肩を、友人が笑いながら掴んだ。
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「ラッキーじゃないか。貰っとけよ。そんなもん、あの人ならいくらでも買えるんだから」
旅館の経営は良いらしい。
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あちこちで、色とりどりの着物を着た子供たちが様々なサービスをしている。
「かいせきの、ししょくは、こちら……」
「おしばいの、こうえんは、もうすぐです。 おだいは、いりません」
「ひとつ、かってくだされば、ふたつ、おまけでさしあげます」
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おかしい。いくら何でも、気前が良すぎる。
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私がそう言うと、友人は客室に備え付けの冷蔵庫から酒と肴を取り出して笑った。驚くことに、これらも全て無料らしい。
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「良いんだよ。客さえ絶やさなきゃ、あの子供たちはここから出ていかない。いいや、出ていけないんだ」
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襖がすっと空いて、女将が顔を覗かせる。長い黒髪は、私が貰ったものよりもずっと高価そうな簪で結わえてある。
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「ご夕飯は、いかがなさいましょう?」
「お任せ、って言いたいところだけれど、こいつが飴玉やった青い着物の子だけは避けてくれ。できたら、緑の着物の子が良い」
友人が私を指しながら言った。
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「かしこまりました」
襖が音も立てずに閉まる。
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夕飯には、ステーキが供された。こんな純和風の旅館でステーキとはいかにも場違いな気がしたが、その味は素晴らしかった。
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脂の乗りはほどほどで、しかししっかりとした甘みがあった。牛とも豚とも付かない歯応えでありながら、噛むほどに味のある汁が口中を満たし、程よい頃合いで繊維が解れて溶けていく。
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余りの美味さに、二度、三度とお代わりし、最後には肋骨の周辺に付いた肉の名残までしゃぶった程だ。
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「宿泊客がチップをやった奴は、食べちゃいけないんだ。縁起が悪い、ってことになっている」
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友人が楊枝で歯の間をせせった。
あんな飴玉ごときでも、効果があるものなのか。
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「惜しいなあ。あの青い着物の子が一番太ってたのに、お前ときたら」
仕方が無いだろう。他人のスリッパを懐で温めるなんて、あんな真似をされたら何かしらの施しはしたくなる。
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しかし、驚いた。
この旅館がまさか、初めて座敷童の養殖に成功した旅館だとは……。
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ステーキには、緑色のナプキンが添えられていた。おそらくはあの子の着物であっただろうそれは、女将が着ていたものに比べて、随分と安っぽく薄っぺらいものだった。
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「ごちそうさま」
作者林檎亭紅玉
命に感謝して、いただきますとごちそうさまを。