短編2
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禁断の棺

民俗学の先生から昔聞いた話です。

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ソ連の誇る法医学、古生物学、人類学、考古学の世界的な権威ミハイル・ゲラシモフ。

1941年6月19日、ゲラシモフの率いる調査隊が英雄ティムールの眠る美しき幾何学の霊廟グーリ・アミール廟を調査する事となった時である。

秘密の地下室で棺を発見したゲラシモフは早速遺体の調査に乗り出す。

しかし時代は激動の20世紀。

調査開始から僅か二日後、ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を敢行しソ連に侵入する。

霊廟の調査は中途半端に打ち切られスターリングラードの戦いが始まった1942年11月に再埋葬された。

その後、グーリ・アミール廟調査隊について変な噂が立った。

彼等が何かを霊廟で発見しそれをソ連政府にさえ隠していると言うのだ。

何でもKGBの前身の一つであったある組織がゲラシモフへの尋問を行ったとされる。

ゲラシモフへの尋問を命じた者の名はD・G・ミルザと言う。

話は飛ぶが恐るべき宗教の破壊者であったソビエト連邦であるが彼等が一度だけ神秘主義に、それも「黒魔術」に対して興味を示した事があると言ったら驚くだろうか?

それを推し進めたのが他ならぬミルザである。

ミルザは極秘裏に様々な魔術研究を行ったと言われている。

米ソ冷戦時代に超能力研究というのが両陣営で行われていた事は有名である。

しかし黒魔術とソ連という奇妙な組み合わせに面食らう方は多いだろう。

確か共産主義というのはその手の迷信を一番嫌うのでは無かったか?

しかし現にソ連にその迷信を信じさせる出来事は起こったのだ。

「聖墓を暴いた者には、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」

禁断の棺の内側にはそう書かれていたとゲラシモフは言った。

一般的にゲラシモフの報告はミルザに握り潰されスターリン政権に報告される事は無かったという事になっている。

しかし、実際はスターリンは生涯この呪文に苛まれ続けたと言う。

周囲の動揺をよそに博物館に展示される筈だったティムールの遺体をイスラム式の葬儀を行った後に再埋葬させた。

その直後にソ連軍はスターリングラードでドイツ軍に対して奇跡の形勢逆転を経験する訳だ。

この一件からスターリンの黒魔術狂いは次第に常軌を逸していく事となる。

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