これは東北の知人から聞いた話です。
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小学生の時の話なんだけど赤い瓶って儀式が俺のクラスで流行ってた。
当時流行ってたコックリさんと人気を二分する位の勢いだった。
くじ引きで当たった人の名前を鏡文字で更に真逆の順番で書き記した赤い折紙を百均とかで買った赤い瓶に入れてキツく蓋をした所に寺社の御札を張り付ける。
それを穴を掘って校庭に埋めるというもの。
最初に違和感を感じたのは小学校卒業後。
中学の時に懐かしいなとこの赤い瓶の話題で盛り上がったんだが名前を書いたクラスメイトの名前をどうやっても思い出せない事に気付いた。
だけどその時は深く考えもしなかった。
何が怖いって数年後に同窓会の時にまたこの話題で盛り上がって校庭を掘り返した事があったんだよね。
酔った勢いでみんなノリノリだったけども掘り出した赤い瓶を開けてみたら赤い紙に書かれているのは知らない奴の名前ばかり。
みんなすっかり酔いは覚めたよ。
次に冷静になって色々考えてみたんだけど俺らの居た学年って異様に人数が少なかった事に気付いたんだよな。
5年生も4年生も3年生も2年生も1年生も3クラスづつあったのに俺らの学年だけ1クラス。
しかも男女合わせてたったの17人。
そしてこの17人は今でも全員顔を覚えているし何人かは今でも交流があるし同窓会をやれば全員集合だ。
だけど不思議な事に俺にはコイツらの名前を折り紙に書いた記憶が無い。
でも確かに赤い瓶を埋める時にクラスメイトの名前を折り紙に書いたと記憶している。
どうも何かが矛盾してる。
名前を思い出せないあいつらは何者だったんだ?
後で卒業アルバムとかで確認したけど赤い折り紙に書かれていた名前の生徒は俺らの学年どころか学校にも1人も居なかった。
クラスメイトがその存在毎消えた事に誰も気付かないってどういう事だろう?
そもそもクラスでどうしてこんな儀式が流行ってたのか誰1人として合理的に説明出来る者が居なかった。
その場のノリと言うか「よっしゃコイツを埋めるぞ!埋めるぞ!」「うわー俺かよー(笑)」って感じに盛り上がって名前書いて埋めてただけ。
動機が抜け落ちてるってのが無性に気味が悪い。
作者退会会員