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短編2
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トーマス・アラウェイ

1921年12月22日付の『モーニング・ポスト』紙に以下のような求人広告が掲載された。

「学校給食の調理人を至急求む」

 広告主はアイリーン・ウィルキンス。ロンドン近郊の町、ストリーサムに住む未婚の御婦人である。

 その日のうちに応募者からの電報が届いた。相手はボーンマスに住む男性だという。

「ボーンマス駅まで御足労願えれば、車で迎えに行きます」

 彼女がボーンマス駅に到着したのは、その日の午後7時のことだ。そして、翌朝にはボーンマス近郊のタックトンで遺体となって発見された。死因は鈍器による撲殺である。強姦はされていなかったが、金品が盗まれていた。ちなみに、応募者の名前と住所はデタラメであったことは云うまでもない。

 間もなく目撃者が現れた。アイリーンと同じ列車に乗っていたその男は、彼女は駅前で「大型のメルセデス」に乗り込んだと云う。また、遺体発見現場の近くにはダンロップ製のタイヤ痕が残されていた。これすなわち、ダンロップ製のタイヤを装備した大型のメルセデスの持ち主、若しくは運転手が犯人である可能性が高い。近隣のこれらの者が片っ端から尋問されたわけだが、その中にトーマス・アラウェイ(36)がいた。彼は或る実業家のお抱え運転手だった。しかし、同じ車を運転しているというだけで令状が取れる筈がない。捜査は難航した。

 4ケ月後、アラウェイが小切手を偽造し、ボーンマスからトンズラしていたことが判明した。こりゃますます怪しいってんで全国指名手配され、8日後に妻の実家があるレディングで身柄を取り押さえられた次第である。

 彼の筆跡は電報申込書のそれと一致した。同じ綴り間違いをしていることも判明した。目撃者もまた彼を指差した。あらゆる状況証拠が彼が犯人であることを裏づけていた。

 かくして殺人容疑で有罪となったアラウェイは、1922年8月19日に絞首刑により処刑された。裁判では一貫して無罪を主張していたが、処刑の前日に罪を認めたと伝えられている。

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