カンカンカンカン、、、
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小気味良い警報器の音が、5月の晴天の空に次々吸い込まれていく。
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左右にテンポよく往復する赤いランプを見ながら、織田は軽いため息をついた。
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それは誰もが気だるい月曜日の朝のこと。
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街の人から【開かずの踏切】と呼ばれている遮断機手前には、サラリーマン、学生、主婦、老人、、、
様々な人たちが何をするわけでもなく、ただ険しい顔で立ち尽くしている。
一番先頭に立つ織田が、もどかしげに腕時計に目をやると独り言を呟く。
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─やば、8時50分だ。
今日は9時から社長の訓示だったな。
遅刻なんかしたら、次のボーナスの査定に響くかな?
それにしてもまったく、この踏切ときたら、いったいいつになったら開くんだ?
だいたいなんで役所は、こんな状態を放置してるんだ?
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彼の勤める会社は、踏切を越えて商店街を直進して5分のところにある。そのことが、ますます彼の気持ちをイラつかせていた。
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織田は今年で三十路に突入する独身サラリーマンだ。
大学卒業後7年勤めた車関連の会社を去年辞め、今春から以前から憧れていたIT関連の会社に再就職を果たした。
なにぶん働きだしてまだ3ヶ月しか経ってない新人だから、彼としては上司から目をつけられることだけは避けたかった。
すると、
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「今朝はいつになく長いですねえ」
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と、間延びした声がした。
隣に立つ老婆が織田を見上げ、ニンマリと微笑んでいる。
その笑みを目の当たりにしたことでイラつきが限界まで到達した彼は何故か突然後ろを向き、人の群れをかき分けかき分け脱出すると、線路沿いの道を東に走りだした。
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─このまま待ち続けて遅刻するくらいなら、迂回してもいいから会社に行ってやる!
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走りながら彼は高架下の道がないか探す。
すると前方左側に、小さなトンネルの入口らしきものがあるのに気付いた。
よっしゃあと心の中でガッツポーズをとると織田は、そのまま入口から入っていく。
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車1台が通れるか?というほどの幅と低い天井をした石造りの薄暗い空間。ひんやりしている。
出口までは、わずか15メートルほどだった。
織田はあっという間に出口まで到達すると、外に出る。
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その瞬間、彼は何とも言えない違和感を感じた。
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辺りが通り雨の間際のように薄暗いのだ。
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ふと見上げると、さっきまで雲一つなかった晴天の空には、古びた写真のようなセピアカラーの不気味な雲が彼方まで広がっている。
普段は当たり前に視界に入ってくる住宅や古いビルも、どこかドンヨリ重々しく感じられた。
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これは、どういうことなんだ、、、
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訳が分からず彼はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、とにかく会社のある方角へと歩きだした。
線路沿いの歩道を西へと歩いている時、織田はまた奇妙なことに気付く。
人がほとんど歩いていないのだ。
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朝のこの時間だと、通勤や通学の人たちが多数往き来しているはずの道が閑散としている。
車も走っていない。
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すると前方から、背の高い頭の禿げた老人が近づいてきた。
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まるで夢遊病者のように、焦点の合わない目でふらふらともたつきながら歩いてくる。
すれ違い様、織田は軽く老人の肩にぶつかった。
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「あ、すみません」
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慌てて言ったが、その老人は全く気が付いていないかのように、そのまま通りすぎて行った。
その時彼は老人の背中を見ながら何故だろう、かつてどこかで会ったことがあるような気がしていた。
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織田は踏切のところにたどり着いたところで立ち止まり、時間を確認しようと内ポケットから携帯を出す。
そして画面を見た途端、衝撃を受けた。
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令和00年00月00日00時00分
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なんだこれは?
さっきまでは普通に日時を表示していたのに、、、
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軽いめまいを感じながらも、彼は会社に向かって北へと通りを歩きだした。
すると今度は幼い子供連れの女が近づいてくる。
2人とも、とても洋服とは言えないようなボロボロの麻を身に纏い、俯きながら歩いてくる。
すれ違い様、織田は思わず2人に「あの、すみません」と声をかけたが、逃げるように立ち去って行った。
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ようやく8階建てのテナントビルに着いた彼は、正面入口自動ドアから入り、エントランスを進む。
右手の受付案内コーナー、正面のエレベーターホール。
始業前の時間ならいつもなら賑やかな場所。
だが今は不思議なことに誰もいない。まるで休日のように静まり返っている。
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エレベーターの扉が開き、そそくさと彼は乗り込むと、5階ボタンを押す。そしてやれやれと前を向いた瞬間、心臓が止まるくらい驚いた。
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いつの間にか長い黒髪で白いスーツ姿の女が、真横に立っている。
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たった今までホールには誰もいなかったはずだ!
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扉はゆっくり閉じ、エレベーターが動き始めた。
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チーン、、、
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チャイム音とともに、金属の扉がゆっくり開いていく。
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織田は目の前に広がっていくオフィスの光景を見て、愕然とした。
ちょっとした体育館ほどの室内に
整然と並べられたデスクや事務機器。
いつもなら話し声や電話の音が行き交っているはずなのに、しんとしている。
いくつかのデスクの前に社員の姿があるが、皆何をするわけでもなく、ただボンヤリとして座っている。
スーツの女は先に出ると、すたすたとデスクの間を歩き進み、最後は窓際の席に座る。
織田はエレベーターから降りず、1階のボタンを押すと、
再び扉を閉じた。
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ビルを出た彼は、ふらふらと来た道をたどるように歩き出した。
途中、道の端にだらしなく座り込む浮浪者風の男の、汚いヤジを無視しながら進んで行く。
やがてあの高架下入口が見えてきた。
そしてまた中をくぐり、反対側に出る。
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途端に朝の陽光と街の喧騒が彼を襲った。
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見上げると、雲一つない晴天が広がっている。
走っていく車、歩道を行き交う人の姿も、いつも通りの光景だ。
試しに携帯の画面を見てみる。
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令和4年5月23日月曜日午前8時55分
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─え?そんなバカな。
だって朝、踏切待ちで確認した時は8時50分だったはず。
あれから、まだ5分しか経ってないなんて、、、
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混乱した頭のままだったが、彼はとにかく会社に向かって走りだした。
今度は踏切も閉じてなかったから、スムーズに商店街を通り、テナントビルのところまで行き着くことが出来た。
エントランスに入ると、右手では受付嬢が微笑み、正面エレベーターホールではスーツ姿の男女がたむろしている。
織田はエレベーターに乗り込むと、5階のボタンを押した。
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オフィスはいつも通りの活気だ。
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社長の訓示は定刻通り9時から始まり、その後彼はパソコンの前に座ると、通常業務をスタートした。
だが頭の片隅には今朝のあの不思議な出来事が、消えずに居座っていた。
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終業のベルが鳴った。
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織田がパソコンの前で目薬を射していると、システム課の佐藤が声をかけてきた。
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「なあ、ちょっと相談したいことあるんだけど、帰りに居酒屋でも行かないか?」
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佐藤は織田と同じ年齢で同じ大学の出身であり、会社では彼の先輩になる。
ちょうど織田も今朝の件で心がモヤモヤしていたから、付き合うことにした。
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その居酒屋は、テナントビルから歩いてすぐの商店街にある。
月曜日ということもあって、店内に客はまばらだった。
織田と佐藤は2人、奥のカウンターの真ん中に座って酒を酌み交わしながら、談笑している。
小一時間ほど経った頃だろうか
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「ところで、相談というのは、どんなこと?」
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なかなか切り出さない佐藤に、織田はとうとう自分から話をふる。
佐藤は生ビールを一口飲むと、しばらくうつむいていたが、ようやく口を開いた。
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「俺、死にたいんだ」
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「え?」
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「上司の杉山課長がどうにも苦手でな。
今日みたいな月曜日の朝とかに出勤する前なんかは、めまいや吐き気までするんだ。
仕事上ちょっとミスしただけで、とにかくネチネチしつこく叱責するし、俺がたまに出来の良い企画案を立案したら、全て自分の案として上に報告する。
奴は人として最低の部類だよ」
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そう言って佐藤は生ビールを一気に飲み干した。
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「まあ確かに、あの課長、社内でも評判良くないけど、何も死ぬことはないだろう?」
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織田が佐藤の思い詰めた横顔に向かって言うと、
「それだけじゃないんだよ!」とカウンターを叩いた。
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「何か他にもあるのか?」
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織田が尋ねると佐藤は深く頷き、続けた。
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「お前がまだ入社する前のことなんだけどな、うちの課の一人の女性社員が自殺したんだ。
大野明代さんといって一つ上だったけど、いつも白いスーツで背筋を伸ばし颯爽と歩いていて、すごく有能で美人でしかも独身で社内でも人気があって、俺も密かに憧れていたんだ。
それが去年のちょうど今時分だったかな。
そう、あれは今日のような月曜日の朝だった。
大野さんはうちのテナントビル屋上から飛び降りたんだ」
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一瞬、織田の記憶の片隅にある歯車が動く。
佐藤はハイボールを一口飲むと、続けた。
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「当初、会社の人間は皆、何であんな人が自殺したんだろう?と話していたんだが、後から少しずつ理由が分かってきたんだ。どうも彼女妊娠していたみたいで、その相手というのが、あの杉山だったみたいなんだよ。」
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「え!?杉山課長は既婚者じゃなかったっけ?」
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織田の言葉に苦々しげに頷くと、佐藤はまた口を開く。
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「まあ、男と女だからな。いろいろと拗れたんだろう。でも結局、あのクソ杉山はケジメをつけきれず、大野さんは自らの命を絶ったというわけだ」
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織田は、佐藤の震える肩を、ただ無言で眺めていた。
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そしてとうとう休日前の金曜日の朝に、事件は起こる。
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いつもの通り、織田が定時に出社すると、オフィスは異常な空気に包まれていた。
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室内中央辺りに呆然と立ち尽くす佐藤。
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手には血のついた果物ナイフらしきものを握っている。
足元にはスーツ姿の社員が、くの字になり倒れていた。
その周りを取り囲むように立っている社員たちは深刻な顔で口々に「なあ、落ち着け、落ち着くんだ」と宥めている。
ナイフを握る佐藤の右手はブルブル震えていて、白いワイシャツには、あちこち赤い染みが出来ていた。
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佐藤、、、
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織田が声をかけると、佐藤はハッと我に返ったような顔になり、取り囲む社員たちをかき分け、真っ直ぐエレベーターのところまで歩くと、乗り込み、扉を閉める。
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その凡そ5分後、
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佐藤はビルの屋上から身を投げた。
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杉山課長は腹部を刺されて重症だったが、一命は取り止めた。
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カンカンカンカン、、、
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踏切の警報音が鳴り響いている。
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佐藤の葬儀が行われた日曜日の朝、葬儀会館を出た織田は喪服姿のまま、あの【開かずの踏切】の前に立っていた。
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今朝も長いですねえ、、、
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間延びした声がするので横を見ると、いつもの老婆が皺だらけの顔を織田の方に向け微笑んでいる。
彼は何かを思い出したような顔をして後ろを向くと、険しい顔をした人たちをかき分け、歩道を東に歩きだした。
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しばらくすると、あの高架下の入口はあった。
彼は迷わず中に入ると、暗いトンネル内を歩き、反対側に出る。
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和紙に墨汁を溢したような空の下。
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薄暗い歩道を織田は西に向かって歩きだす。
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途中、首の異様に長い細身の女や、頭の割れたサラリーマン風の男にすれ違いながら踏切のところまで行く。
その時、彼はふと思った。
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もしかして最初にこの異世界に紛れ込んだとき、初めて出会った背が高く禿げた老人は、去年亡くなった田舎のじいちゃんだったんじゃないだろうか?
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織田は今度は北へと歩きだした。
しばらくすると、右手に見慣れたテナントビルが見えてくる。
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入口自動ドアから入り、正面エレベーターホールに視線をやると、そこには2人の男女が立っていた。
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一人は濃紺のスーツ姿の佐藤。
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もう一人は白いスーツを凛と着こなす女性。
多分、大野明代だろう。
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「佐藤!」
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織田が声をかけたが、2人は振り向くことなくエレベーターに乗り込んでいき、正面に向き直り並び立つ。
そして
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金属の扉がゆっくりと閉じていった。
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fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう