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境界線上の奏【孤独なパズル】

中編7
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境界線上の奏【孤独なパズル】

大学の法医学部時代、先輩にキャンプに連れて行ってもらったのを切っ掛けに、伊佐美 奏こと私は、以来ソロキャンプにハマってしまった。

これは、とある非科学的な現象のせいで、将来監察医になる夢を諦めた私の、一人旅の回顧録だ。

私は今、H県N山岳の麓で、ソロキャンプを満喫していた。

大学を卒業し警察官を夢見ていた私は、自分の特異体質のせいで夢を諦める事になった。

その失意の最中、私を救ってくれたのがこの一人旅だ。

女の一人旅など危険だと厳格な両親には反対されたが、元々人付き合いも下手くそな私にとって唯一残されたパーソナルスペース。

そうそう諦められるものでは無い。

マイクロストーブのガスを止め、クッカーを手に取る。

煮詰めたホットチリを一口含み、至福の笑みを浮かべた。

まだ肌寒い三月の夜。

少しピリ辛のチリが身体を暖めてくれる。

白い吐息が夜空にふわりと舞い、満点に輝く星々に降り掛かるようにして消えていく。

私は遅めの食事を済ませると、ローチェアーに深々と腰掛け読書タイムへと移った。

淹れたての珈琲と焚き火さえあれば幾らでも時間は潰せるが、やはり旅のお供に本は欠かせない。

しばしの安らぎ。

やがて目元に疲れを覚え、眼鏡を外し目を擦る。

「そろそろ寝るかな……」

背伸びをし寝る前にトイレに行く事にした。

女のソロキャンプで一番面倒なのはこれだ。一応簡易式トイレを車に積んではいるが、やはりトイレだけは文明の力に頼ざる得ない。

ここに来る前、予めチェクしておいた国道沿いにある公衆トイレを目指す。

歩いて約十分の道程。

懐中電灯を照らしながら進んで行くと、やがて目的の場所に辿り着いた。

が……。

「何だ……?」

こじんまりとした公衆トイレの脇に黒いセダンが一台停まっていた。

車中泊か何かだろうか?ドライブがてら休憩というのも珍しくはない。

もしトイレに誰かいるのなら気恥しいと思い、私は慌てて懐中電灯を切った。

遠目に車内を見回す。

人は居なさそうだが……。

いや、居た。

どうやら座席を倒して寝ているようだ。

ならばと思い足を一歩踏み出した瞬間、私は即座にその歩みを止めた。

待て……何だあの煙は……?

車内に立ち込める薄らとした煙が見て取れた。

思わず嫌な予感がし、即座に方向を変え車へと駆け寄った。

車のドアに手を掛ける。

鍵は掛かっていない。

急いで開き男性に目をやる。

スーツを着た男性が座席を倒しぐったりとしている。

「おい!」

怒鳴るように声を掛け、左手首を取り脈拍を確認し、男の胸に耳を当てた。

脈がない……心配も停止、唇も僅かに紫がかっていた。

ふと助手席に目をやると、ほぼ灰になり掛けた七輪が置いてあった。

男性の足元には幾つかの錠剤とアルコール類の空き缶が何本も転がっている。

「くそっ……!」

助手席を叩き私は下唇を噛み締めた。

スマホを手に取り110番に通報すると、状況と場所を即座に伝えた。

死亡は医者が確認するまで断定はできない。

だが、この状況を見る限り死んでいる事は明らか……。

深く息を吐き自分の手を見た。

微かに震えている。

法医学時代に何度か遺体解剖に携わったが、こうして事件として死体と関わる事は初めてだ。

「これがリアルってやつなんだな……」

両手をギュッと握りしめ辺りを再確認する。

七輪の横にはマッチの箱。

スナックか何かの店名が明記されていた。

一応こういった場合現場保存が優先されるため手には取れない。

あくまでも視線だけを動かし車内を見回す。

やがて一通り見終えると、私は車からそっと離れた。ポケットから煙草を取り出しジッポで火をつける。

吸い込んだ煙を一気に吐く。

口の中がザラザラし、案の定煙草は不味かった。

大学時代に覚えたのだが、やはり未だに美味くはない。

だが困惑した気分をリセットするには丁度いい、頭のモヤも少し晴れる気がする。

タバコを揉み消し携帯灰皿にしまうと、遠くから緊急車両の音がした。

パトカーだ。

車に近付き近くまで寄って停まった。

警官が二人降りてくると、私の元へと駆け寄ってきた。

「貴女が通報者?」

「はい……」

「ちょっと色々聞きたいのでいいですか?」

「分かりました……」

私が頷くと、警官がもう一人に合図を送った。

すると、その警官は車内を念入りに確認し始める。

その間、私はもう一人の警官に詳しく状況を話した。

「自殺で間違いないでしょうね……ここ、たまにあるから……」

車内にいた警官がそう言いながら落胆した様子で戻って来た。

「本部に報告してきます。救急車は出動中だったため少し遅れますが、もうじき来るでしょう」

「分かった、頼む。それではお嬢さ」

「お嬢……?」

思わず言いかけた警官を睨みつけてしまった。

「あ、いえ、貴女は一応第一発見者という事になりますので、とりあえず連絡先と身分証等を確認させて頂きたいのですが……」

「はあ……分かりました」

私は肩を落としながら警官の指示に従った。

やがて用も済み、警官に今日はもう引き取ってもいいと言われた頃、救急車のサイレン音が近付いてきた。

キャンプ地へ戻ろうと歩き出す。

救急車とすれ違い、背後で慌ただしさが増していく。

やれやれと溜息をつき、やるせない気持ちで軽く背後を振り向いた時だった。

救急隊員が担架で男性の死体を運んで行く。

それを警官二人が補助していた。

が、一人だけ、不自然に車両の横で立ち尽くす人影が揺らりと在った。

何だ……あの影は?

暗い……何処までも暗い影。

闇夜だと言うのにその暗さが余りに濃いため、逆に影が際立って見える。

影が不自然に揺れ動く。

やがてソレは蠢くように揺らめき形を成していった。

ゴクリと喉が鳴った。

悪寒が背中をなぞるようにして襲ってくる。

唐突な恐怖にすくみ上がりそうな自分を、震える両手で抑え込んだ。

以前にも見た事がある。

医学を志した者として、絶対に見てはイケないもの。

非科学的な現象。

妄想や幻覚、精神理念上にしか存在を許されていないもの。あんなものがあっていいはずがない、いや、存在してはならない。

私は遠い過去、アレが見えてしまったせいで、夢を諦めたのだ。

非科学的な現象を認めざる得ない自分に落胆し、科学を信じきれなかった自分に失望したから……。

影はそんな私を嘲笑うかのように形を変えていき、やがてスーツを着た男へと変貌した。

生気のない、屍人のような顔。車内でぐったりとしていたあの男性瓜二つの姿に。

周りには男が見えていない様だ。

まるで私だけがその存在を目視する事を許されたかの様な状況。

男はゆっくりと片手を上げ車内を指さす。

何だ……何が言いたい。

よく見ろ……そう言いたいのだろうか……。

怯えと恐怖、入り交じる思いの中、私はふと湧き上がるもう一つの衝動に、自分が抑えられない気持ちでいた事に気が付いた。

怒りだ。

ふつふつと腹の底から煮え滾るような感覚。

私の夢を奪いながらも、私にだけ何かを主張してくるこいつに、私は言い知れぬ怒りを感じていたのだ。

マニュアル通りの蘇生法を繰り返す救急隊員、自殺何てと落胆し同僚と話し込む警官達、それらを素通りし車へと近付く。

ついでに立ち尽くす男の影もガン無視してやった。

ドアが開いたままの車内をもう一度覗き込む。

何んだ……何があるって言うんだ?

苛々を募らせ鬼気迫る勢いで見回す。

灰皿や男の足元、木炭の中や助手席の周囲、やがて背後から私の行動に気が付いた警官達が駆け寄って背後で喚き出した。

「ダメだよ近付いちゃ!」

「触らないでください!」

両脇を絡め取られ車内から引きずり出される。

だがその瞬間、私は空白のパズルを見つけたような感覚に陥った。

心の底で、ゆっくりと最後のピースがハマる……。

「マッチ棒がない……」

「君何を言って、うわっ!」

私は聞き返す警官の襟首を勢いで掴んだ、そして鼻先が当たりそうなほど顔を近付けて口を開く。

「練炭を扱ったのにあの男の手は綺麗すぎる……それに車内でマッチを使い練炭自殺を測ったのなら、何故火をつけたはずのマッチ棒が車内にないんだ!練炭の中にはマッチ棒の燃えカスは無かった……何故箱だけが車内に残されてる!本当に自殺なのか!?」

その言葉に、警官達はハッとして急いで車内へと戻って行った。

男は睡眠薬で眠らされここまで運ばれて来たのかもしれない、練炭は元々用意されたもので、あのマッチ箱は偽装工作か……。

私は怒りをぶつけたせいか、一気に気が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。

「はは……ざまあみろ……」

顔を上げ影に視線を移す。

男の姿は、もうそこにはなかった。

その後、先程の事を厳重に注意&叱咤された私は、要約解放されキャンプ場へと帰路に着いた。

別れ際、警官達は事件の協力に感謝する事を私に伝えてきたが、その顔は少し晴れた顔をしているようにも見えた。

冷めた珈琲を口にしローチェアに腰掛ける。

焚き火に薪を焚べ、揺らめく炎にじっと目をやった。

また見てしまった……アレを。幽霊だのお化けだのと、非科学的な文字の羅列に嫌悪していた私が、またアレを……。

ポケットから煙草を取り出しジッポで火を付ける。煙をゆっくりと夜空に吐いた。

煙は真っ直ぐ立ち上り、夜の闇へと吸い込まれていく。

相変わらず舌がザラりとしたが、そこまで不味くはない。

「苦いなあ……」

私はボソリと零す様に言って、暗闇の中、妖しく揺らめく炎を、いつまでも見つめ続けた。

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面白かったです。
とても練り込んだストーリーですね

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