今年30になるF美は、週末が来るのが憂鬱だった。
というのは、
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訪ねてくるのだ、、、
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それは夏も盛りの7月最後の土曜日の夜。
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1LDKのリビングのソファーで、F美は体育座りして玄関口の方を睨んでいた。
その顔はげっそり痩せこけ、肩は小刻みに震えている。
足元のカーペットには一本のゴルフクラブ。
時間は午後6時55分。
ということは、あと5分で隆司は訪ねてくる。
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隆司というのは、F美の一回り上の彼氏。
職場の上司だ。
3年ぐらい前からの関係だった。
ただ堂々とデートの出来る相手ではなかった。
そう、彼には妻子がいるのだ。
だから会えるのは、週末の午後7時から9時までの2時間だけ。
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F美の住むアパートは線路脇に建っていて、ローカル線の駅までは歩いて3分だ。
隆司はいつも、6時55分着の電車でやってくる。
7時の約束に間に合わすためだ。
そんな短い逢瀬でも彼女にとっては大事な一時だった。
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だがそんなささやかな一時でさえも、長くは続かなかった。
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なぜなら、、、
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shake
ピンポーン、、、
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室内を無機質な呼び鈴が鳴り響き、ピクリとF美の肩が動く。
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彼女はやつれた顔に無理やり笑顔を作ると、「はい」と返事をした。
玄関口に立って解錠しチェーンを外す。
ギギキという扉の音とともに、隙間から見慣れた男の顔が現れてきた。
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ただその風体は、、、
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ボサボサの白髪混じりの髪。
色白の顔は痩せこけていて、無精髭だらけ。
首から下は裸で、まるで泥遊びでもしてきたかのように、手足も胴体も真っ黒に汚れていた。
身体のあちこちに擦り傷があり、腐りかけているところもあった。
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隆司はそのまま無言で廊下に上がると、痴呆老人のようにふらふらと歩きだす。
その時一瞬F美は彼の手に触れてしまい、ドキリとした。
ひんやりと冷たい、、、
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「すぐご飯食べる?それともシャワーとか、、」と彼女は強ばった笑顔で尋ねるが、隆司は無言で真っ直ぐリビングまで歩いていき、ドスンとソファーに座る。
そしてしばらく天井を見つめていたが、やがて傍らに立つF美に向かって徐に口を開いた。
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「なあ、あんたがF美で、俺が隆司というのは分かったんだけど、そもそも俺は週末になると、何でここに訪ねてくるんだ?」
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彼女は精一杯笑顔を作りながら、
「何でって、ここが私の家で、あなたは私の彼氏だからよ」
と答える。
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そう、私だけの、、、
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F美が隆司に、奥さん以外の女の気配を感じたのは3ヶ月ほど前のことだった。
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それが彼女と同じ部署であるS代ということを知ったきっかけは同僚たちの噂話からであり、その確信を得たのは2人が会社を出てから会っているところを目撃したからた。
それはある金曜日のことだった。
隆司とS代は親密そうに手を繋ぎ、夜の街に消えていった。
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F美とS代とは同期であり、入社以来の大の友人だった。
しかもF美はかつてS代をアパートに呼んで、隆司との関係のことを相談までしたことがあった。
その時S代は言った。
「大丈夫、部長はきっと奥さんと別れて、あなたと一緒になってくれるわ」
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─私とは週に1回。しかも2時間だけ。
でもS代とは、、、。
私と会うと事あるごとに隆司は、
「いずれ嫁とは別れるから、それまでは辛抱してほしい。
愛してるのは君だけだから」
と言ってくれていた。
だから私も我慢していた。
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でも今回の裏切りだけは許せなかった。
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そして前月6月の最初の土曜日のこと。
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いつも通り午後7時にF美のアパートに訪ねてきた隆司。
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白髪混じりのオールバックの頭。
少し影のある色白の顔。
グレーのスーツ。
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リビングで服を脱ぎシャワーを浴びて、テーブルでビールを飲みながら寛いでる彼の背後に立つと、彼女はゴルフクラブをゆっくり振り上げ、思い切り振り降ろした。
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人というのは、こんなにも簡単に壊れるものなの?
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彼女はそんなことを考えながら、頭部から血を流し背もたれにぐったりとなった隆司を床に横たえ裸にすると、引き摺りながら風呂場に運ぶ。
それから台所から出刃包丁を持ってくると、おもむろにその刃先を隆司の首筋にあてた。
あっという間に浴室は鮮血に染まる。
彼女は顔を赤鬼のようにしながら黙々と作業を進めていく。
頭部、手足、胴体と、タイルの上に並べ終えるのに、およそ2時間かかった。
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そして今度は、それらのパーツを2つの指定ゴミ袋に分け入れ、一つずつアパート裏の駐車場にある車まで運び、収納した。
それから軽くシャワーを浴びると着替え、部屋を出ると、再び駐車場まで行き車に乗り、エンジンをかける。
車は北方にある山に向かった。
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翌週の月曜日にF美が会社に行くと案の定、社内は大野隆司部長が消えたと大騒ぎになっていた。当然奥さんは警察に捜索願いを提出したようだ。ただ死体が出てこない限りは警察はあくまでも失踪としてしか扱えないから、本格的な捜査は行われないはずだ。
しかも彼女と隆司との関係に気付いている者は誰もいないから、F美が追及されることはない。
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だがその週の土曜日に信じられないことが起こる。
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F美が会社からアパートに帰り、ソファーで寛いでると、
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ピンポーン、、、
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突然呼び鈴が鳴った。
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時刻はちょうど午後7時。
どなたですか?とドア越しに尋ねても、何の返事もない。
それで彼女は恐る恐るドアスコープを覗く。
そして一瞬で戦慄した。
心臓が激しく脈打ちだす。
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薄暗い廊下に立っていたのは、
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隆司だった。
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─隆司、どうして!?
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F美は震える手でドアを解錠し、チェーンを外すと、ゆっくり開く。
そして彼女はさらに驚愕する。
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隆司は裸だった。
しかも泥だらけだ。
まるで夢遊病者のように虚ろな目をして立っている。
F美の驚く様子にも何のリアクションもなく無言で、ふらふらとリビングまで歩くと、ソファーにドスンと座る。
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彼女の必死な問いかけにも隆司はほとんど応じることなく、ただ「ああ」とか「うん」とか返すだけだった。
無為な時間が流れ、9時になろうかというとき、突然彼は立ち上がると玄関口まで歩き、そのまま帰って行った。
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F美はその様子を、ただ呆然と見守っていた。
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そんなことが毎週土曜日のたびに起こった。
午後7時になると隆司はF美のアパートに訪れ、9時になると帰る。
その間は何を話す訳でもなく、ただじっとソファーに座っているだけだ。
それは7月に入っても続いた。
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そして今日また7月最後の土曜日の午後7時。
F美の目の前のソファーには隆司が座っている。
彼女の精神はいよいよ崩壊の一歩手前まできていた。
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─いったい、こんな事いつまで続くの?
もうお願いだから、訪ねて来ないで、、、
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すると突然、隆司が思い出したように口を開いた。
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「なあ、あんたがF美で、俺が隆司というのは分かったんだけど、そもそも俺は何で週末になるとここを訪ねるんだ?」
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F美は精一杯笑顔を作りながら、
「何でって、ここが私の家で、あなたは私の彼氏だからよ」
と答えた。
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そう、私だけの、、、
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彼女はそっと隆司の背後にまわると、後ろ手に握っていたゴルフクラブをゆっくり頭上にかざしだした。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう