鱗の少年シリーズ 二話目 『尾が二股の猫』

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鱗の少年シリーズ 二話目 『尾が二股の猫』

彼と出会ったあの一件があってから、軽く三日が経とうとしていた。

当時、私は中学生という身だったので、当然学校には行っていた。

だが、学校が終わると、直ぐに私は家に帰り、釣り道具を一式用意すると、自転車にそれを積み、出発する。

母も父も、もう慣れたものらしく、「事故には気をつけろよ〜。」と私を見送ってくれた。

向かう場所はあの防波堤である。

自転車を走らせ、防波堤に着くと、さっそく釣りを開始する。

釣り糸を投げて、獲物を待つ間、クーラーボックスの上に座り、じっと海を眺めていた。

しばらく私は物思いにふけりながら、釣りをしていると不意に後ろに気配を感じた。

なんだと思い、振り返ってみると、そこには何故か猫がいた。黒と赤毛の、サビ猫だった。

珍しいな、こんなところに猫なんて。

この防波堤には、何せ人が全く来ない。

理由を簡単に説明すると、ここは釣りの穴場スポットであると同時に、奇形魚と呼ばれる、体の一部がおかしな魚ばかりが釣れるからだ。

当然、そんな魚食べれるかも分からないし、気味の悪がった少しばかりいた釣り人達はこの防波堤には近寄って来なくなった。

唯一、集団があまり好きではなく、静かな空間で釣りがしたいと思っている私だけが防波堤にいる状態になっている。

そして、普通、ここいらの猫は釣り人の魚を狙って出没するので、こういった、猫にとってエサの取れない場所に猫が来ることはそうそうないのである。

なぜこんなところに猫が…?

私がそう思っていると、猫はぽてぽてと四足歩行で歩きながら私の元へとやってくる猫。

私が指先を猫に差し出すと、猫は指先にちょん、と鼻をつけて挨拶をしてくる。

そのまま私の隣に座り、海を見ている。

私はそのまま釣りを続けようとして、ふと気づく。

「…しっぽが二本ある?」

そう、このサビ猫、しっぽが二股に別れているのだ。

だが、猫の突然の遺伝子の変化で、しっぽが二股に別れて生まれてくる話を聞いたことがあった為、さほど驚きはしなかった。

実際に別の防波堤には、そう言った遺伝子の変化により、障害を持って生まれてくる猫を沢山見てきた為に、私はこの猫も何か障害を持っているのだろうか?と考えていた。

猫は相変わらず、海の方をじっと見つめている。

考えていても分からないものは分からないか。と、私も海の方に顔を向けた瞬間、釣竿にアタリが来た。

何が来るか?と、竿を釣り上げる。

だが、やはりそれは奇形魚だった。

背骨がぐにゃりと曲線を描いた、変な形の魚。

私がその魚を見て、食えないな、とキャッチアンドリリースしようとした時、不意に猫が、それを寄越せと言わんばかりに、「なぁん」と鳴いた。

「これ、欲しいの?」

「なあん」

猫は鳴く。

「うーん…今度来た時猫缶持ってくるから、今回は諦めてよ。」

私はそう言って、魚を逃がそうとした。

が、その手を何者かに止められる。

いきなりがしっと掴まれたので、うわっ!と声が出て、反射的にその方向を見れば、三日前に出会ったあの無愛想な少年がいた。

「その魚、くれよ。」

あの時のように彼は真顔で、尚且つ無愛想な感じで、そう言った。

手には黄色い買い物袋のようなトートバッグが握られている。

「…気になったんだけどさ、」

私はその魚を渡しながら、彼に聞いてみる。

「アンタ、その魚何に使う気なの?」

彼は私をちらりと見た後、

「コイツのエサ。」

猫に目をやりながらそう言った。

「いや…猫にこんな変な形した魚やっていいの?」

「コイツ変な形の魚しか食わないんだ。病気でもないのに、他のヤツ食わせようとしても食わないし、このままじゃ餓死するから、いつもは養殖場とかで破棄される奇形魚食わせてる。」

「だいぶ偏食家な猫だね…。」

奇形魚しか食べない猫って、何なんだろう。

私がそう思っていると、彼はビニール袋の中に、魚をしまった。

この辺りは、工場から有害物質を出すような建物は建っていないので、恐らく猫の体に害はないと思うが…。

だからって奇形魚って。

しかし、私のそんな考えとはお構いなしに、猫は物欲しそうに魚をくれとにゃーにゃー鳴いてるし、彼はトートバッグに入っていた小さな皿に、少量のカリカリを入れて猫に差し出してやっている。

「今更なんだけど、何してんの?」

「コイツの散歩。」

猫を指しながら彼は言った。

「散歩?飼ってんの?」

「うん。ジジイの店に行こうとしてここ通ったら、コイツがお前んとこまで走っていったから。」

もふもふと猫を撫でながら、彼はそう呟く。

その猫に好かれているのか、猫はカリカリを食べながら器用に彼の手に頭を擦り付けた。

その時、猫の首にチリン、と鈴の鳴る首輪と、ネームプレートが見えた為、本当に彼の家で飼っていることが見て取れた。

「ここに奇形魚が居るって分かってたなら、かなり賢い猫だね。」

「ここよく通る道だから、知ってんのかも。」

「へえ。」

そこで会話は一旦途切れて、私は釣りの方へと集中を向ける。

そういえば、ここに来るなら、スーパーかどこかでアサリやハマグリを買ってきたら良かったなと私は思っていた。

この防波堤近くには、それらを美味しく調理してくれるとある屋台がある。

調味料は全て手作りだし、めちゃくちゃ美味しい上に何と料理代は無料。

美味しいものを無料で食べられるのである。

今思い出したが、三日前に預けたヤツがあるし、今日は食べて帰ろうかなと私は考えていた。

取れたてだったし、生きてたから、新鮮なものが食べられるなと私は口角を上げる。

すると、そんな私を見て、幸運の女神は何を思ったのか、また、釣竿に当たりを寄越してきた。

リールを巻いて、釣り糸を引き上げてみると、今度は口が二つある奇形魚が釣れた。

釣り糸の針から奇形魚を外して、私は猫の様子を見ていた彼に、

「居る?」

と魚を指し示す。

彼は無言で頷いた。

「家にもう一匹盲目の猫がいるからソイツにやる。ソイツも奇形魚しか食わねえし。」

そう言って彼は、トートバッグから保冷剤の入ったビニール袋を取り出し、魚を放り込んだ。

保冷剤に関しては、今日は暑いから、自分の体を冷やす為にでも持ってきたのだろう。

実際、私も学校に行く際、保冷剤を持っていく時がある。

「その子名前は?」

サビ猫を指さしながら、私は何気なく呟いた。

「サビ。」

なんの捻りもない名前が返ってきた。

「誰が着けたの?」

「じいちゃん。」

「盲目の方は?」

「クロ」

「黒猫?」

先程の名前の付け方からして、何となくそうなんじゃないかと私が彼に聞くと、彼は肯定するように頷いた。

「サビはオス?メス?クロは?」

「サビはメス。クロはオス。」

「サビとクロって夫婦だったりする?」

家で飼っているのが二匹なら、何となく有り得そうだと私が呟くと

「うん。」

とまた彼は肯定した。

やっぱりそうなのか。と私はへえ。と返答を返す。

「でも、コイツら昔、人魚に食われたみたいで、じいちゃんが若い頃からからずっと生きてるらしい。」

「え。」

思わず私が猫の方を見た。

「人魚の血が不老不死の薬みたいに、人魚の体液が体に入ると、生き物はずっと生き続けるんじゃないかってじいちゃんが言ってた。」

「え、じゃあ、そのサビとクロも……?」

「サビはこの辺りのテトラポットで元々寝てたみたいで、その時にしっぽを食われて、こんなふうに再生したんじゃないかって。」

「じゃあ、クロは?」

「クロはサビと元々番だったみたいで、サビを助けようとした時に、人魚に目玉を食われて失明したんじゃないかってじいちゃんが言ってた。でも、じいちゃんが拾って来る頃には、既にこんなふうになってたらしいから分からんけど。」

彼はそう言って、カリカリを綺麗に食べ終わったサビを抱き抱える。

「…何で、人魚の血って不老不死になるんだろうね。」

話題を変えようとして、私が彼にそう言うと、

「じいちゃんが同族にするためじゃないかって言ってた。」

と彼は言った。

「人魚って共食いもするらしいんだ。一度捕まえようとして、逃げられそうになった獲物に、自分の体液を与えることで『ずっと生きる』っていう呪いをつけておいて、獲物がそれを忘れた頃か、もういいやってなった時に、またここに戻って来させて同族にして共食いする為のものなんじゃないかって俺は思ってる。」

「………そう。」

余計暗くなってしまった。

「実際、腕を食われた事で、俺は鱗が生えてきたし、変なものが見えるようになった。」

「変なもの?」

「常人には見えないもの。」

「……幽霊とか?」

彼は頷いた。

「そのせいで、俺は他人から変な奴って思われるようになった。」

「…そっか。」

彼の話に、私はなんとも言えず、そう呟くしかなかった。

彼の言う、話の中心である人魚を見たこともなければ、彼の言う、『変なもの』が見えたこともない。

だが、彼の体から生えた鱗が見えたということは、少なからず、私にも何かあるのかもしれない。

あるいは、ここで釣りをすることで、何かを感じ取る力があるのかも。

「ねえ、もう帰るの?」

私が彼にそう聞くと、彼は首を横に振って、

「ジジイの屋台でメシ食って帰る。」

とサビを抱っこしたまま、真顔でそう言った。

相変わらず読めない顔をしていると苦笑しながら、私は釣りの道具を早々に片付け始めた。

「私も屋台行くから、ちょっと待ってよ。」

そう言うと、彼はサビを抱えたまま、その場から微動だにしなくなった。

釣りの道具を片付け終わると、私は彼と、防波堤から少し離れた岩場と岩場の隙間に小さく存在した屋台を目指して歩き出した。

屋台に着くと、彼は奇形魚を焼いてもらい、骨を取ったあと、サビにそのこんがりとした焼き魚を与えていた。

そして、三日前と同じく様々な貝を頼み、トートバッグからコンビニのおにぎりを片手に、バクバクと貝を食べ始めるのだった。

その膝の上には、しっぽが二股に別れたサビ、と呼ばれた猫が今度は大人しく座っていて、毛繕いをしている。

私はだし醤油のかかったハマグリを食べながら、今日も屋台のおじいさんの話に耳を傾けるのだった。

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