ジメジメとした梅雨の時期。
ある時、私の家に実態のないヤモリが住み着いていた。
実態のないヤモリは、その言葉通り、実態がなく、黒い影だけが動き回っている状態で、現れてからも特に害がなかったことから、私はそのまま放置していた。
家族にも言ってみたが、ヤモリは家を守ってくれる益虫だから良いじゃないかと、そんなにヤバいと思った様子もなく。
と言うよりも、相手にされていなかった。
そんな時、夜間、私が風呂に入っていると、不意に設置してあった姿見に、ヤモリが映ったのだ。
ヤモリは大体、15cmくらいの少し大きめのサイズで、なぜか体に苔が生えており、その苔から小さな白い花が咲いていた。
白い花だけでなく、うっすらとピンクに染まった花も咲いており、恐怖は感じなかったが、不思議な色合いをしたヤモリだと思った。
しかも、しっぽがスラリと長く、ヤモリの体の半分がしっぽで締められている。
鏡に映ったのは数十秒程度で、その程度の色や形しか分からなかったが、風呂から上がる頃には、そのヤモリはどこかに消えていた。
不思議なヤモリも居たものだなぁと、さして恐怖も覚えず、着替えながら何気なく洗面所の鏡を見た時、私は驚いた。
「うわぁああ!」
と声を上げてしまうほどには驚いていた。
なぜって、そのヤモリが、私の顔の上にいた。
苔を乗せた体と、スラリと伸びたしっぽ、そして小さな白とピンクの花。
ヤモリは私の顔の上を這い、腕の方へと移動していく。
その感覚がダイレクトに伝わり、ゾワリと背筋に悪寒が走った。
どうにか出来ないかと、私はそのヤモリに触れようとするも、鏡にしか実態が映らないそのヤモリは、鏡を介さず見るとただの黒い影。
黒い影が、私の体の上を這い回り、動いているのである。
何だこれ、何だこれ、と思い、私は風呂場を飛び出し、母や父にヤモリを取ってくれと言ったが、そんなもの体のどこにも這ってないと言われ、一括された。
その日は動き回るヤモリのゾワゾワ感と戦いながら、あまり眠れない夜を過ごした。
翌日、朝一でウロコくんが居る教室に向かった。
ウロコくんは、いわゆる見える人で、ある時、彼のおじいさんと素潜りに行った際、人魚を見たのだとか。
ここら辺の地区は海に面しており、漁業が盛んに行われている。
そんな地区で素潜りをしていた際に、人魚と呼ばれる怪異に出会い、腕の肉を噛みちぎられたのだとか。
その日から彼は変なものが見える体質になり、同時に、人魚を見たおじいさんも、変なものが見えるようになったそう。
彼とは少し前に出会って、同じ中学であることを知り、そこから頻繁に関わりを持つようになった。
なので、霊感体質なウロコくんなら、何か知っているだろうと思ったからだ。
だが、予想に反して、ウロコくんからは、
「ああ、お前んとこ、ヤモリなんだ。」
と、そう返ってきた。
予想の斜め上を行く回答に、私は「え、私ん所って何?」と聞き返す。
「俺ん所、クモなんだよ。アシダカグモ。」
「えっと……その見える影が?」
「うん。」
聞く所によれば、ウロコくんの家にも似たような実態のない虫がおり、それがたまたまクモの形状をしていたそうだ。
多分、クモの種的に、アシダカグモだろうと彼のおじいさんは冷静に分析したそうだ。
「アシダカグモもヤモリも、家の害虫食べてくれる益虫だから、殺したりせず自然にしておく方が良いってじいちゃんが言ってた。」
「ええ……でも……」
「だって、ソイツに住まれても別に害は無いだろ?」
彼にそう言われ、ふと気付く。
確かに、ヤモリが体の上を這っていても、別段ちょっと体がくすぐったいだけで、不調や何かが起こったなどの悪いことはない。
「それはそうだけど、っていうか、住むって何?」
「気に入った宿主が居るとその宿主に住むんだよ、コイツら。」
「住む?人の体に?」
「うん。その宿主の悪い部分を食べてくれるから、大事にしろよってじいちゃん言ってた。」
彼はそう言って、何気なく首を掻いた。
すると、その首を掻いた場所から、カサカサと大きなクモが彼の顔を這って出て来た。
「コイツの足が首元に来ると、痒くなるからあんまり来ないで欲しい。」
彼はそう言って、ポリポリと未だ首を軽く掻いている。
「うわっ」
と私が声を出すと、クモは彼の頭の方に行ってしまい、見えなくなった。
「でも、お前、随分綺麗なヤモリに住まれてるんだな。」
彼はじっと私の顔見ながらそう言った。
「え、どういうこと?」
「お前の顔に今止まってる。」
「え、マジで?」
慌てて手鏡を取り出して見てみると、確かに居る。
しっぽがスラリと長く、苔が生え、花を咲かせたヤモリが、頬から目元にかけて、顔に止まっている。
「………。」
「益虫にも色々居るんだ。俺が知ってるのだと、他に蝶々も居る。」
「え、誰?」
「俺のばあちゃん。若い頃からずっと住まれてるんだって。」
なんとまあ、彼のおばあさんは蝶々に住まれてるのか。
何かそう考えると可愛らしいな。
「じいちゃんが、ハッキリ見えるようになって良かったことで、ばあちゃんの蝶々がハッキリ見えるようになって、これだけは良かったと思ってるって言ってた。」
「どんな感じなの?」
「オレンジ色の綺麗な蝶々らしい。」
奇怪なヤモリやクモの話が、蝶々に変わるだけで随分とメルヘンチックな話になったなと私は、恐怖心が途端に無くなった。
手鏡をもう一度見ると、ヤモリは私の体の方へと移動していき、制服に隠れて見えなくなった。
「アンタ、鏡無くてもハッキリ見えるんだね。」
そう言えばと思い、私がそう呟くと、彼は真顔で、
「お前も影が見えてんだろ?」
とそう呟いてくる。
「いや、そうだけどさ。」
「貸してやれよ、害はないんだから。」
本を貸すみたいな感覚で言わないで欲しい。
得体の知れないものに勝手に体に住まわれているのだから、そりゃ驚きもする。
まあ害がないのであれば、特に何もする必要は無いかと、私は結局、ウロコくんの話を信じることにした。
ウロコくんの言った通り、アレからヤモリに住まれ続けているが、特に体や周りに害もなく。
本当に、ただの益虫だったようだ。
ただ、私が風呂に入る時、益虫はまるで何かを探すように、私の体から出て行き、風呂場を動き回っている。
だが、風呂を出る時には私の体に戻って来る。
ヤモリは鏡にしか実態が映らないようだが、普通に存在する虫も食べるようだ。
前に、風呂場の鏡の上に張り付いていた蚊を、ヤモリはペロリと舌を出して食べてしまった。
ウロコくんにその事を話すと、やはりウロコくんに住んでいるクモもそんな感じだそうだ。
実態のある虫も食べるし、やはりGも食べてくれるようで。
ただ、ウロコくん曰く、この益虫は、見える人の体にしか住まないとのことだった。
ということは、彼のおばあさんも見えるのかと聞いた所、おばあさんは、彼のおじいさんが見えるから、それに影響されたのだろうとのこと。
「見える人の近くにいると、必然的にソイツも見えるようになってくるんだ。お前は俺とよく関わる機会があるから、それで見えて来てるんじゃないのか?」
彼にそう言われると、確かに、と自分でも自覚する。
正直、彼と関わり出してからヤモリが見え始めたし、彼と関わり出してから、割とよく変なものを見る機会がたまにあった。
「別に関わるのは良いけど、見えても無視しろよ。」
彼は仏頂面の真顔でそう言った。
「俺はお祓いとか出来ないし。」
「そうだね。体験した人にしか分からない感覚だよ、これ。」
見える人ってどんな感じなのだろう。とそう思っていた時期がなかった訳じゃない。
霊感診断とか怖い怪談話とか、小学生が読むような本を読んだりしていた時期もあったが、これは体験した人にしか分からないし、こういうのはやっぱり、体験しない方がいい。
今回はたまたま益虫が体に住み着いただけだから良かったが、何か別のものだったりしたらと思うと、私は少し薄ら寒くなった。
「何か、秘密を共有し合ってる感じがしていいね。」
何気なく私がそう言うと、彼は珍しく素直に、
「そうだな。」
と呟き、また何気なく首を掻いたのだった。
作者銀色の人
学校のトイレで、ちょっと小さめのアシダカグモ見たことあるんです(-∀-)