この話は41歳のベテラン看護師である関屋さんにお聞きしたものです。
彼女は現在N市内にある救命医療センターに勤めております。
そこは事故や病気などで身体に重篤な傷病を負った人たちの治療や療養を専門に行っているところです。
彼女はそこに勤めだしてもう五年になり、その間様々な方々の治療に携わってきました。
関屋さんは自他ともに認めるリアリスト(現実主義者)であり自らが実際に現実で体験したこと以外は信じないという世界観を持ってましたから、霊的な現象などに関しては否定的です。
しかし三年前に自宅で倒れてセンターに救急搬送されてきたSさんという女性との関わりの中で、彼女は自らの世界観を変更せざるを得なくなるのでした。
以下は関屋さんの談です。
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─それは三年前の初夏のことでした。
ちょうどその頃といえば公私ともども私にとっては大変な時期でした。
私的には当時私は二人目を妊娠していて大分お腹も目立ってきてたんです。
公的には勤めている医療センターで警察ざたに発展するような大変な事態が起こっていました。
ある小学生の女の子が自宅で骨折し入院していたのですが、ある日忽然と病室から姿を消してしまったのです。
この子は私の担当だったのですが、12歳の女の子にしては口数の少ないどこか暗い感じの子でした。
でも私の大きくなったお腹をさすりながら『早く会いたいな。赤ちゃん元気に生まれてきたら良いのにね』とか言うような優しい一面もあったりして、私にとっては印象的な患者だったのです。
彼女の母親は荒れた日常生活を感じさせるようなちょっと地味で疲れた感じの人で、たまに見舞いに来たりしたときも女の子は嬉しがっていたというより、どこか母親に気を使っているようなそんな様子だったことを今も憶えています。
たまたま見舞いに来ていた母親のヒステリックな訴えで女の子がいないということが分かった後は、すぐに病院職員たちが手分けして院内のあちこちを隈なく探したのですが見つかりませんでした。それで止むを得ず警察に来てもらって捜索ということになりました。
捜索は病院周辺も含めて20日ほど続きましたが結果として女の子は見つからなかったのです。
防犯カメラなどの分析からある程度分かったことは当時既に歩けるようになっていた女の子は一人でこっそり病室を抜け出したというところまでは判明していたのですが、その後の消息は掴めなかったようです。
そんな感じでただでさえ重労働なのに加え、このような院内での患者の失踪と言う前代未聞の事態が重なったこともあり当時の私の心労は極限に達してしまい、それが原因かどうか分からないのですが、とうとう流産してしまいました。
そして女の子が失踪してから一月ほどが過ぎたある日のことです。
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N市郊外在住の専業主婦Sさんは自宅の台所で晩御飯の準備の最中、突然頭部に激痛が走り倒れます。
その後はご主人の緊急連絡で彼女はセンターに救急搬送されます。
Sさんはくも膜下出血を発症していたのです。
急きょ手術が行われたのですがその処置は困難を極め、結局手術が終わった時は既に日が変わってました。
その後も絶対安静の中Sさんは数日間寝たきりという状態が続きますが、ある朝彼女は突然意識を取り戻します。
それはSさんの手術からちょうど一週間が経った日の朝のことでした。
彼女の担当だった私がいつものように朝の検温に行くと、頭部に包帯を巻いてベッドに仰向けに横たわっていたSさんが両目を開き天井辺りを見ながらキョロキョロしていたんです。
その後Sさんは順調に回復していき、それから三日後には手足を動かしたり言葉を発するようになり一週間後には私と会話まで出来るようになりました。
そしてSさんの入院が始まっておよそ一カ月が経ったある日のこと。
その日の朝方はいつも以上に体調が良さげだった彼女は検温を終えた後、手術後に体験した現実とも夢ともいえない不思議な出来事のことを私に話してくれたんです。
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「看護師さん私ね、、、
自宅の台所で料理してる時、突然頭に激痛が走って倒れたでしょ。
そしたら一瞬で目の前が真っ暗になり崖っぷちから飛び降り真っ逆さまに急降下したかのような感覚に襲われ、気が付いた時には何故か古いトンネルの中のようなところに倒れていたの。
そこは石造りで天井がアーチ型をしててあちこち青かびがあってね、薄暗くてひんやりしてたな。
心細くてキョロキョロと辺りを見回していると、前方の彼方にポツンと小さな光が見えたの。
それで取り合えずそっちに向かってフラフラ歩き出した。
その時薄手のワンピースしか着てなくて裸足だった私は、両腕をさすり震えながらヒタヒタ歩いていた。
それからどれくらい歩いた頃かな、ふと前を見ると遠くの方にボンヤリとした白い人影とその隣に黒い人影がこちらに近づいてきているのに気が付いたの。
『誰だろう?』と目を凝らすと、一人は白いドレスを着た女の子だった。
12、3歳くらいかな?何か青白い顔ですごく消耗した感じだったのを憶えてる。
そしてもう一人はその子より頭一つくらい小さな背丈をしたボンヤリした人型のシルエットで、隣の女の子に寄り添うようにして立っている。
それで近づいて見ると白いドレスの子は服があちこち泥だらけで首には痛々しい青アザがあったから『あなた大丈夫なの?』て聞くと、女の子は自分の首辺りを触りながら『絞められたの』と言うから『誰に?』と尋ねた。
すると彼女急に怯えるような表情になって口をつぐんでしまって、それからはしばらく黙ってたんだけど、また突然口を開くと今度は『沼の近くでね、沼の近くで』と泣き顔で何度も繰り返しだした。
だから私『沼の近く?沼の近くって、どういうこと?』と彼女に尋ねたんだけど、また口をつぐんでしまって終いにはまた二人でトボトボ歩き出したの。
そして私の前を通り過ぎて背後の暗闇の方へと行こうとしたから私思わず『ちょっと待って、あなたたち名前は?』と尋ねた。
そしたら白いドレスの方だけが一瞬だけ振り向いてから『わたしは麻実』と言うとまた前を向くと歩き出して最後は見えなくなった。
それから再び私光の方へ歩き続けたらようやく外に出ることが出来て、気が付いたらここの病室のベッドに寝ていたの」
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Sさんに女の子が言った最後の言葉に私は大きなショックを受けました。
というのは「麻実」というのは行方不明になった女の子の名前だったからで、後でSさんからトンネルで出会った女の子の風体を詳しく聞いたところ姿を消した時の麻実ちゃんとほぼ同じでした。
麻実ちゃんが失踪したのはSさんが病院に来る前のことですから、もちろん彼女がそのことを知る由もありません。
半信半疑ながら私は警察の人にSさんが話した一部始終を伝えたんです。
話を聞いた警察の人は最初のうちは軽く受け流すような態度だったんですが、捜索が行き詰っていたこともありまた私があまりに真剣な表情をしてたせいか、最後は真剣に受け止めてくれて「分かりました。この話を参考にもう一度捜索してみます」と言ってくれたのです。
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結論から言うと信じられないことにそれから一週間も経たないうちに麻実ちゃんは見つかりました。
ただ残念ながら変わり果てた姿で。
着ていた白いドレスは泥だらけで首には絞められたようなどす黒いアザがあったそうです。
発見されたのは病院裏手にある竹藪の中で奥まったところにある沼の近くだったそうです。
検視の結果、麻実ちゃんの死因は首を絞められての窒息死ということでしたから警察は殺人事件として捜査を開始しました。
そして一月後には犯人と思われる者が逮捕されます。
それは驚くべきことに麻実ちゃんの母親でした。
もともと普段から麻実ちゃんは母親からDVを受けていたらしく、病院に救急搬送されたのも母親から鈍器で足を殴られたことが原因だったようです。
母親が麻実ちゃんに手を掛けた理由は、ギャンブル狂いで酒乱である旦那の連れ子だった麻実ちゃんに対する理不尽な憎しみからだったということでした。
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最後に関屋さんはこう付け加えます。
「もしかしたらあの時麻実ちゃんの隣にいたという小さな黒い影は、生まれてくる予定だった私の子供だったかもしれませんね。
だって麻実ちゃんあんなに赤ちゃんに会いたいって言ってたから、、、
麻実ちゃんは私の子供に促されてSさんに本当のことを打ち明けたのかも、、」
そう言って彼女は微かに微笑んだ後、悲し気に俯きました。
作者ねこじろう