俺には影が見える。
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影が見えるんだ。
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いつからだろうか?
思い返してみた。
始まりは恐らく3ヶ月ほど前の初秋のこと。
休みの日に一人、宛もなくバイクで走っていた。
県北部に連なる山々の一つに適当に目星をつけ、44個カーブのあるという噂の山道を軽快に走っている時だ。
彼方に連なる山々の狭間にある朱色の太陽を眩しげに眺めながら、何個めのカーブを過ぎた頃だろう。
連日の仕事の疲れからか、ほんの数秒間うとうとしたのだと思う。
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あっと思った時は既に白いガードレールが間近に迫っていた。
激しい衝撃とともにバイクもろとも宙を舞った後、あっという間に雑草の密集する法面が視界に飛び込んでくる。
次の瞬間まるで高圧電流に触れたかのような強烈な痛みが全身に走り、目の前が真っ暗になった。
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その後しばらくは静寂と漆黒の闇が辺りを支配した。
そして再び目を開いた時だった。
いきなり視野の隅々まで神々しい光に包まれる。
それから光の真ん中辺りから人の顔らしきのが徐々に浮き上がってきた。
それは懐かしい人。
去年亡くなった田舎のじいちゃんだ。
ただその顔はまるで魚眼レンズを覗いた時の姿のように、いびつに歪んでいる。
「じいちゃん!」
込み上げる思いから叫ぶと、日に焼け赤銅色の皺だらけな顔のじいちゃんは優しく微笑み、ふっと消えた。
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それからまた光の奥から人の顔が少しずつ浮き上がってくる。
━これはええっと、ええっと誰だろう?
懸命に記憶の糸を手繰り寄せる。
そしてようやく分かった。
それは中学生の時にいじめを苦にし首を吊って命を絶った友人の斎籐くんだった。
「斎籐くん、どうしてここに?」
俺の問いかけに色白で面長な顔の斎籐くんもニンマリと微笑んだ後、またふっと消えた。
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そして最後に現れたのは何だろう?
真っ黒い影のシルエット。
それは例えて言うと夕暮れ時、西陽の逆光ではっきりと捉えられない人の顔のような風体をしている。
さらに目を凝らすと、影の奥に女の人の青い顔らしきものがボンヤリ透けて見えてゾッとする。
そうしているうち、その人も幻のように消え失せた。
それからも恐らくかなりの時間の間、闇の世界を彷徨っていたと思うが、再び目を開いた時はいきなり病室の白い天井が視界に飛び込んできた。
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結局俺は市内の救急病院に搬送された後、緊急手術を受け一命は取り留めたが絶対安静の中一週間意識を失っていたということだった。
体のあちこちに打撲傷、何本かの骨は複雑骨折を起こしていたらしい。
頭や胴体手足には包帯が巻かれ口には酸素マスクがされた状態で寝たきりのままほぼ一月が過ぎ、ようやく車椅子でならベッドを離れることが出来るようになったのは、入院を開始してから二月経った頃だった。
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その日朝から体調が良かった俺はベッドで昼食を終えた後車椅子で病室を出て、レストルームに行ってみた。
自動販売機でコーヒーを買った後、テーブルですすりながらボンヤリ周囲に視線を動かす。。
薄いブルーの病院着姿で皆、思い思いの時間を過ごしている。
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面会に来た家族と楽しそうに喋る中年の女性、
新聞を読む高齢の男性、
そして窓際のテーブルで外を眺めているのは、鈴木さんだ。
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鈴木さんは俺の隣の病室で長く入院している方で、今年80になる女性。
身寄りのない方らしくて、会う度に「私なんかもうそろそろお迎えが来るから」というのがお決まりのセリフだ。
俺はしばらく室内の様子を眺めると、一旦視線を外す。
そして再び同じ方を見た時だった。
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何だろうか?奇妙なものが視界の端に入る。
それは窓際に座る鈴木さんの背後。
そこに黒い人影みたいなのが立っている。
その人型をしたシルエットは老婆の真後ろで、ただじっと佇んでいる。
そしてその顔部分をよく見ると、無表情な青い顔が透けて見えていた。
瞬時に俺の脳裏には、事故に遭い死線を彷徨っていた時に現れた黒い人影を思い出した。
俺はしばらくそれに釘付けになっていたが、やがてそれは周囲の光景と同化するかのように溶け込み消えた。
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そして翌朝、検温と朝食の後また車椅子でレストルームに行きテーブルでコーヒーを飲んでいる時のことだった。
傍らの廊下を白いシーツが被せられストレッチャーに乗せられた人が数人の看護師に囲まれながら進んで行くのに気づく。
先頭の看護師が険しい顔で「しっかりしてくださいね」と声をかけている。
どうやら急病人のようだ。
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そして通り過ぎていく一団を目で追っている時だった。
俺ははっと息を飲む。
廊下の奥にある集中治療室に向かう一団の最後尾に、またあの黒い人影の姿があった。
そいつは看護師たちに囲まれ進むストレッチャーの背後を付いていく。
それは歩くというより水面を進む水鳥のようにスーッと移動していき、最後は治療室の中へと消えていった。
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そして午後の検温の時のこと。
担当の若い看護師がベッドの傍らで、俺の血圧を測りながらボソリと呟く。
「良いおばあちゃんだったのに、鈴木さん残念だったね」
「え、鈴木さん、亡くなったの?」
「え、知らなかったの?今朝突然苦しみだしたから急遽集中治療室で救命措置をしただけど、ダメだったみたい。
急性心臓発作だったということよ」
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途端に俺の脳裏に今朝レストルームで目撃した、あの光景が甦る。
━あの時ストレッチャーで運ばれていたのは、鈴木さんだったんだ。
それじゃあ、あの時いた、あの黒い人影は?
その時同時にあの無表情な青い女の顔が思い出され、じわりじわりと腰から背中に向かって冷たいものが這い上がっていく。
看護師が立ち去った後も俺はベッドで半身を起こしたまま動くことが出来ず、ただじっと虚空を眺めていた。
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翌日の日曜日は朝から、母が見舞いがてら洗濯物を取りに来てくれた。
午後からは大学の友人SとYが見舞いに来る。
俺と同じ「オカルト研究サークル」の部員だ。
ベッド横の丸椅子に座った二人は俺に気を遣ってか、終始出来るだけ楽しい話題を喋ってくれていた。
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「でな、俺たち今から地域で噂の廃墟に探訪に行ってくるんだ。
お前も早く体治してから一緒に行けるようになれよ」
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Sの言葉を最後に二人はそれではと立ち上がる。
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俺は見送りしようと、ベッドの反対側に置かれた車椅子に乗ろうとしていた。
そして何気に病室の片隅に視線をやった時だ。
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━あいつが立っていた、、、
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窓から漏れる気だるい西陽に包まれて、あいつはいつもの影法師のような風体で窓際にひっそりと佇んでいた。
そして影の奥からボンヤリ覗くあの青い顔。
死んだ魚のような2つの目は、じっと友人二人を捉えているようにも見える。
俺はベッドの端に座ったまま固まり、動くことが出来なかった。
心臓が激しく脈打っている。
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友人らはその間にじゃあなと言ってから、ドアへと歩きだす。
俺はなんとか肩越しに振り向くと、Sの背中を凝視しながら声を絞り出す。
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「いくな、、行くんじゃない」
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だが二人は俺の声に気付くことなく、笑いながらドアを開き出ていった。
そして窓際にいた【影】も、まるで床を滑走するかのように俺の横側を通り過ぎ、ドアを開けることなく部屋から消え失せた。
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fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう