「いやあ、若い女の子が入社するっていうから、期待してたんですけどねえ。」
トラックに乗ったとたんに、翔が口を尖らせた。
「良かったじゃねえか。職場に花が咲いて。」
ひろしが、そう言って、エンジンをかけると、わざとらしく翔は、はあっと溜息をついた。
「あれのどこが花なんすか。根暗眼鏡じゃないっすか。」
「案外、眼鏡を取ったら美人かも知れねえぞ。」
ひろしがそう言うと、翔は首をブンブンと横に振った。
「いやいや、美人なんて、眼鏡してたってわかりますって。あぁ~あ。」
ひろしは苦笑いした。会社に何しに来てんだか。
ひろしと翔は解体業の会社に勤める同僚で、翔はこの春入社したての新入社員。
3月に入社した事務員の女性が5月に妊娠が発覚して出来ちゃった婚で退社したため、急遽募集をかけると、すぐに次の事務員が見つかった。翔は、3月に入社して退社した子にも、いろいろちょっかいをかけていたようで、彼氏が居たことと、結婚退社がショックだったようだった。それゆえ、次に入社する女性にも興味津々だったようで、入社した女の子を見て、がっかりしたようだ。
まったく、この男は、女のことしか頭に無いのか。
呆れながらも、ひろしは現場にトラックを走らせた。
以前、見積もりに行った、あの別荘地へと車を走らせる。
あの女が車を止めて、故障車を装ったあたりに来ると、翔がだんだんと無口になっていった。
無理も無い。あんな怖い目にあったすぐ後だ。
仕事なので、断るわけにも行かず、その別荘地に行くには、かの廃ホテルの前を通らずには行けないので仕方ない。今日は昼間とはいえ、やはりあの記憶は消えるわけではない。
あの日、コンビニに止めた営業車が少しでも早く発進していれば、ひろしと翔はこの世に居なかったはずなのだ。女が空から降ってきて、フロントガラスに張り付いた瞬間に木っ端微塵に割れ、ボンネットには工事用の足場板が刺さっており、女の姿はどこにも見当たらなかった。ひろしの耳に聞こえた「ざんねん」という言葉は、翔の耳には届いていなかったようだ。
あの直後、何か聞こえなかったか?と聞くと、翔はきょとんとした顔をしたので、ひろしはこれ以上、翔をビビらせないためにも、自分の心の中だけにしまっていたのだ。
自然と、二人の意識はあの廃ホテルに向いてしまう。
そこには、女も車もあるはずもなく、二人は内心、ほっと胸を撫で下ろす。
「俺、この仕事、気が向かなかったんスよねえ。」
翔がこぼすと、ひろしは
「仕方ねえだろ、仕事なんだから。」
と答えた。それでも不安そうな翔に、ひろしはさらに答えた。
「まあ、幽霊も真昼間には出ねえだろ。今日は作業は夕方前には終わる。」
「やっぱ、あれって幽霊なんすかねえ。」
翔がまた泣きそうな顔をした。
「さあな、化け物には変わりねえ。」
ひろしは、幽霊に関しては懐疑的であった。ひろし自身が、目で見えるもの以外は信じることができない、現実主義であるがゆえかもしれない。あの女は確かに存在し、そして忽然と消えた。
車の窓を開け、外の空気を入れると、ひろしの鼻腔をふと、ハッカの匂いがかすめたような気がした。
あれは、まだ、ひろしがこの翔のように若く、何も怖いものが無かった時代だ。
ひろしは、この若造のように、軟派ではなく、かなり硬派で尖っていた。今の解体業になる前は、この会社はまだ街金で、トイチと言われる高利で金を貸す、かなり阿漕な商売の金融会社だった。
ひろしは、いわゆる取立て屋として雇われていた。借りた金を返さないほうが悪い。ひろしはかなりの確立で金を回収することに長けていた。中には、金を返さずにトンズラする奴らも居たが、必ず見つけ出して回収した。
そんなある日、ひろしは夜逃げしたターゲットを見つけた。河原で息をしていない状態で。その傍らには、痩せ細った女と、まだ幼い女の子の水死体が転がっていた。一家で入水自殺したのだ。
鬼の取立てと言われたひろしと、今の親方である社長は、呆然と立ち尽くした。
まだ幼い小さな手の中には、何か白い物が握られており、それがハッカ飴だということに、匂いで気付いた。
入水したにも関わらず、その飴はしっかりと幼女の手に握られており、どこからか嗅ぎつけたのか、小さな蟻が列を作って、そのハッカ飴にたかっていた。
その日を境に、親方は街金融を畳んで、今の解体業に鞍替えし、堅気になった。
あの家族の死体を忘れる事はできない。健気な小さな手には、ハッカ飴が握られており、おそらく橋から飛び降りるさいに、ぐずる子供に与えたものなのだろう。
流れ着いたドロップの缶には、ハッカ飴しか残っていなかった。
ハッカの匂いと、死臭が入り混じる。それ以来、ひろしは匂いに敏感になった。
その時、ふとひろしの携帯が鳴っているのに気付いた。
ひろしは、車を路肩に止めると、携帯を耳に当てた。
姐さんからだ。
「もしもし、ひろしさん?うちの人が...うちの人が...。」
姐さんは震える声で繰り返した。
「親方がどうしたんですか?」
すると、電話口からは、すすり泣きが聞こえてきた。
「心臓発作を起こして...。」
「なんですって?」
ひろしは、あわてて車をUターンさせ、今来た道を引き返した。
「ひろしさん、どうしたんですか?仕事は、どうするんすか?」
「翔、親方が大変なんだ。引き返すぞ。相手先には、俺から詫びを入れておく。」
「えっ?親方、どうしたんすか?」
「心臓発作起こして、今、病院だ。」
「マ、マジっすか!」
作者よもつひらさか
ひろしと翔の親方シリーズ第二弾w
第一弾 「 親方、空から女の子が!」 http://kowabana.jp/stories/28794