ある町に恩公家知沙奈(オンクケチサナ)という女の子がいた。
当時、彼女は十七歳。つまり、高校ニ年生で、進学の為に勉強に励んでいた。木や草花などの自然環境が好きな彼女は、将来は樹木医になるという夢を持っていた。
しかし、誰もが経験するだろう、ある事が起こった。
彼女の将来の夢が変わるという大きな出来事だった。
事の始まりは、ある日の夕食後である。
彼女が家族と何気なくテレビで音楽番組を見ていると、当時人気のあったアイドルグループが登場した。
彼女はあまり音楽など興味は無かったが、人気のあったアイドルだった為、名前くらいは知っていた。三人で成るそのアイドルたちは、白いワンピースをひらつかせ、歌っていた。
番組が終わると知沙奈の姉、亜矢子がアイドルのモノマネをしてヒット曲を歌いはじめた。
知沙奈も亜矢子に負けじと、立ち上がって踊りながら歌った。それを見ていた父が最初に口を開いた。
「知沙奈は歌も踊りも上手いなあ」
手拍子をしていた母も言う。
「本当、そっくりだわ。お母さん、びっくりしちゃった」
みんなの言葉に、知沙奈は満更でもなかった。冷静に聞けば、ただの褒め言葉だ。しかし、知沙奈はその言葉で思った。
(あたし、アイドルの才能、あるかも)
みんなの言葉が嬉しかったのかもしれない。色んな事で負けてる姉より、褒められた誇らしさからかもしれない。
そう、これで知沙奈の人生の歯車は狂い始めたのだ。
知沙奈は少しずつだが、アイドルを夢見るよになり、芸能界などについて独学で調べるようになった。
次第に、アイドルへの熱は高まり、気がつくと高校三年生になっていた。彼女の学力は、アイドルへの熱が高まっていくにつれ、下がっていた。
それでも彼女は、歌や踊りを優先した。その熱の入れように、彼女の担任を始め、両親や友人などは圧倒され、夢が叶うように応援し支えた。
結果的に彼女は志望校の県立某農業大学におち、滑り止めで受けていた某私立大学に入学が決まった。
姉の亜矢子は、そんな彼女に強く当たるようになり、父も会話をしないようになった。彼女を支えたのは、母だけだった。
ギクシャクした家族関係が続く中、彼女は学校の勉強もそこそこに、アイドルの面接を受けることになった。
大学一年生の時のことである。
その面接が、彼女のターニングポイントになった。
面接当日、初夏にも関わらず肌寒い空気が町を包んでいた。彼女は、面接会場のビルにいた。これまで、何もかもを犠牲にして励んだのだ。落ちるはずは無い。少なくとも、落ちたとしても次に繋がる良い実を刈り取れると思った。
しかし、現実はそう甘くは無かった。
面接官の一言は彼女の、アイドルの夢というガラスを粉々に砕くものだった。
「うーん、知沙奈ちゃんね。映像だと可愛いと思ったんだけどなあ」
「そうですねえ。君さあ、歌も踊りも上手いんだけど、目元と、あと口のバランスがねえ」
彼女の顔は平均的な、どこにでもいそうな女の子の顔だった。だが、出産時に母親が難産で、彼女の口は左側が垂れ下がり、小さくバランスが悪かった。
それは、彼女、恩公家知沙奈の一番のコンプレックスだった。
オブラートにすら包まず、ストレートにコンプレックスを種に語る面接官達の言葉は、もはや彼女の耳には入らなかった。
知沙奈は家にいた。面接が終わると、結果も待たずに家へ一直線に帰った。自室で、ただ泣いていた。今まで築いた努力という名の塔は、脆くも一瞬で崩れた。いや、塔の建築家達も惨殺されたと言って良いだろう。顔の事を言われたのだ。
彼女は目の前の三枚鏡を見た。三方向から、彼女を見返す女達がいる。その口元は確かにヘの字の形に見え、バランスが悪い。
「何なのよ。何で、こんな生まれつきの小さな変な口。それだけで、私の夢が終わるのよおっ!」
近くにあったペン立てを、おもいっきり鏡に投げつけた。鏡は音を立てて、大小様々な破片へと姿を変えた。
鏡の破片が無数の目のようになって、顔を覆って泣き崩れる彼女を睨むように輝いていた。
その日の夕方、彼女の両親と姉が帰宅すると、知沙奈が割れた鏡の真ん中で泣いているのを見つけた。
母親は直ぐに声をかけた。
「どうしたのよ、知沙奈! もしかしてー面接?ー 大丈夫よ、チャンスはまだあるわ」
その励ましの言葉に対し、彼女は涙でぐちゃぐちゃの顔を母親に向けて叫んだ。
「大丈夫? 大丈夫って何よっ?! あんたが私をちゃんと産めば、こんな苦しみ味わないのよ!」
「ー何なの、この口っ?! もっと可愛く産みなさいよ、母親ならっ!」
彼女の叫びに、母親は嗚咽をもらしてその場に泣き崩れた。その母親の横から、父親が知沙奈に歩みよった。顔は真っ赤で怒っていることが分かる。
「いい加減にしろ! お前は母さんを何だと思ってんだっ?! お前のくだらない夢の為に家族がどれだけ犠牲になったと思うんだ!」
そして、握り締めた拳で彼女の頬を殴った。知沙奈は叫ぶ暇無く倒れ、父親がのしかかって平手打ちを加えた。
姉はただ見つめたままで、母親は軽い痙攣を起こしていた。
知沙奈は初めて見る父親の怒りに、恐怖しながら殴られ続けた。父親の髪にベットリついたポマードの匂いが、知沙奈の鼻を抜けて全身に回っていった。
何分殴られ続けただろう。父親が知沙奈から離れ、母親に歩みよった。
そして、姉の亜矢子と三人で部屋を出る際、知沙奈の方を向かずに言った。
「そんなに、その顔が嫌なら整形しろ。ただし、もうお前はウチの子じゃないからな」
部屋の扉がピシャリと閉じられた。
『整形』ー分かったわ、私は私の夢の為に整形する。もう、あんたたち家族なんていらない。
その夜、知沙奈は家中の現金、通帳を持って家を後にした。
彼女は、以前アイドルについて調べたとき、整形についてもある程度知った。いや、自らのコンプレックスを意識して調べたのかもしれない。
◯川整形外科ー相場の十分の一の金額で整形出来る病院は、アイドルの中でも密かに有名になっていたのだ。
ただ、執刀医は医者じゃない。時には、将来医者を目指す者。あるいは、そういう趣味や願望を持つ一般人。それら半分素人が金を積んで執刀するのだ。
成功例がほとんどだが、失敗例もある。しかし、そんなリスクを犯してでも、安い金額で整形したい者がちらほら出てくるのだ。
外は雨が降っていた為、彼女は白地に赤いドットのレインコートを着て、病院に向かった。
病院内は、ガランとしていた。彼女は事前に連絡を入れていて、直ぐに手術となった。
知沙奈が予め、病院に伝えたのは次のようなものだった。
口の形を整えて、大きくする。
目を大きくする。
請求額は二十三万円となった。
執刀する者は、アジア系の外国人とまだ幼い顔が印象に残る若い青年の二人が担当した。
しかし、手術は酷いものになった。青年の丁寧な執刀に対し、外国人の執刀は荒く途中途中で言い合いがあり、ついには青年が手術を投げたした。
「もう、この女を美しくすることは出来ない。だいたい何だこの殴られたような面は。やり辛くて仕方ない」
そう言って、手術室を後にしたのだ。
残された外国人は、引き続き彼女の顔にメスを入れた。
手術が終わり、彼女の口は大きなモノとなった。以前の小さな口は無い。
目も同様に大きくなったが、手術後の為か、真っ赤に充血していた。
新しく生まれ変わった彼女は、自分の顔を鏡で見る前に執刀した外国人に聞いた。
「私、綺麗になれましたか?これでアイドルになってテレビに出れますか?」
彼は答えた。
「ハイ、大丈夫デス」
知沙奈はその一言を聞いて、嬉しさのあまり、レインコートを着て朝日を浴びる町に飛び出した。
そんな彼女の目の前に、一人の小学生が
歩いていた。登校途中だろうか?
彼女は少年に歩みよった。マスクで隠した私の口を見て、少年は言ってくれるだろうか。
「ねえ、ぼく?」
不意に声をかけられた少年は、まだ眠い
のか、目を擦りながら振り向いた。
「なあに、お姉ちゃんー」
彼女はマスクをつけたまま聞いた。
「私って可愛い?」
少年は如何にも怪訝そうに、眉をひそめて言った。
「うん、マスクで口が見えないけど可愛いと思うよ」
少年の一言に知沙奈は歓喜した。そして、マスクに手をかけて聞いた。
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「私、可愛いいいっ?!」
少年の目の前には、口が耳まで裂けて、真っ赤な目をした女がいた。
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恩公家知沙奈には夢がある。
アイドルになってテレビに出ることだ。
今、彼女はテレビと新聞の一面を飾っている。
真っ赤なレインコートを着た女
その名は口避け女、とー
作者朽屋’s