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最初は気のせいだと思った。
涼しくなり、鈴虫の羽をこすり合わせた求愛も激しくはなってきた。でも、暦上では秋と言うけど、誰しもがこの暑さは夏だと言うだろう。
だから、この音は季節外れの花火だと思ったのだ。
…ぱんっ……ぱんっ……ぱんっ…
断続的に続く、何かが破裂するような乾いた音に気がついたのは、私の宿題に対する集中が切れかけた時だった。
「また、どっかの学生が花火でもやってんのかな」
私は充電していたミュージックプレイヤーのイヤホンを耳にはめ、その迷惑な音を掻き消す位の音量で好きな歌を再生して、ペンを手にとった。
中学二年生の私にとってそんな音の正体よりも、夏休みが終わってから出された膨大な宿題をやることの方が大切だったのだ。
しかし、数学の問題が二十問ほど書かれたプリントを終えようとしたとき、『何か』に気がつき顔を上げた。
私の部屋には、北と東に窓がある。机は、ちょうど北東の角に合わせて配置され正面が東を向いていた。だから私が顔をあげれば、左後ろに北側の窓が、前に視線を向ければ東側の窓があるのだけれど。
その『何か』は、感覚的に北側の窓からだと感じた。耳からイヤホンを外して椅子から立ち上がり、北側の窓の前に私は立っていた。
窓の半分は本棚で隠れていて、もう半分はブラインドで視界を遮られている。私は、ブラインドの隙間に人差し指を挟み隙間を作った。
その瞬間、青とも赤とも言えない光が隙間を通して私の目に刺さったので、思わず目を細めた。
私は目を左手でこすりながら、右手で恐る恐るブラインドの紐を引っ張った。この北側の窓から外を見るのは久しぶりだ。しかも、こんな夜中に。何故かと言うと…。
「うわぁ…」
自然と溜め息が出る。私の家の北側には、小さな道路を挟んで平屋が三軒立っていて、その先に林が広がっていた。でも、私がこの窓をあまり開けない理由は他にある。
それは、平屋の後ろに、古いお寺と墓地が広がっているからだった。
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誰だって、好きで夜中に墓を見る人なんていないだろう。でも、私が見た妖しい光の正体は、その墓地の方から出ていた。
人は不思議だ。それが、見てはいけないモノ、見たくはないモノでも自然と気になり見てしまう。そう、例えば車に乗ってると、動物の死骸に出くわす事がある。それが、死骸であってグロテスクだと理解していても、視線はソレに向かうみたいに。
だから私は、その光の正体がボンヤリだが何となく理解出来たのに、墓の方に目を配してしまった。
想像通りそれは紛れも無く、火の玉だった。
ふわふわと、墓石と墓石の間を漂うように浮遊している。それも一つだけじゃない。赤や青、緑の火の玉が所々に見られた。
私はただ、初めて見た火の玉に恐怖と興奮でその場に硬直しつつ、目はしっかりと火の玉の集団の動きを捉えていた。
すると、その内の青い火の玉が、ふわりふわりと吸い寄せられるように林の方に飛び初めた。
遂に黒い壁のように横に広がる林の内の、とりわけ高い木の頂上付近に青い火の玉は辿り着いた。
その瞬間だった。
shake
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……ぱんっ……
あの音と共に、火の玉が花火のように青白い火花を散らして消えた。
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そして、また間隔を開けて、別の火の玉が同じように浮遊し、閃光し、弾けた。
次から次へと墓場にいた火の玉は、木の頂上付近に来ては儚くも美しい火花を散らして消えていった。
気がつけば、墓場の火の玉は消え、またいつも通りの静けさがそこにあった。
それでも私は、ジッと、火の玉が消えた木の頂上を見ていた。何故なら、何となくオカシイからだ。
その木の名前なんか知らないけど、木の形というと、縦に長い三角形を想像すると思う。でも、その木は、頂上付近が何故か異様に膨らんでいた。矢印の先に、小さな黒丸があるみたいに。
まるで、何かがいるような…。
「あっ…!」
私の視線の先の膨らみが、突然動いた。
遠くて見えなかったが、翼のようなモノが、ニュッと出たと思うと羽ばたき始めたのだ。
「え、鳥…だったのかな……」
そう呟いた私の背中に、冷や汗が流れた。
その鳥のような何かの影が、少しずつ大きくなっている。いや、近づいて来ていると分かったからだ。
心臓の鼓動が、徐々に早くなり、音が頭に響き始めた。
月が隠れて居た為に、鳥のようなシルエットしか見えないが、本能的にソレが見てはいけないものだと感じた。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ…!)
それでも、足が動かない。手が動けばブラインドを閉めることも出来るが、例を外れず動かない。
ここにきて初めて、後悔という大きな二文字が頭を埋め尽くし警報を鳴らした。
気がつけば、ソレはもう目と鼻の先まで来て居た。
(あ、死ぬな私…)
理由なんて無いが、漠然とそう思った時だった。
「由紀ぃー、お風呂入りなさいー!」
恐らく階段下から叫ばれたであろう、母の一声で、身体の自由を得た。
私は叫ぶことも無く、振り向いて部屋のドアを思いっきり開けて階段を駆け下りた。
ちょうど母が、居間に入ろうとしたとこだった。
私は、そのまま母の後ろを走り去り、風呂場に向かった。
後ろから母の声が聞こえた。
「ちょっと何を慌ててんのよ。それに、何したらそんな汗か…」
脱衣所の扉をピシャリと閉じた為、後半は何を言ったのか聞こえなかったが、脱衣所の鏡に写った自分の姿を見れば、言おうとしたことが分かった。
鏡には、額から滝のように冷や汗を流す私の姿が写っていた。
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(悪夢でも見たみたい…)
いわゆる、汗でシャツがビッショリという状態だった。
まだ、心臓の激しい鼓動音が、身体の内側で鳴り響いている。
鏡の中の真っ青な表情で見つめ返してくる彼女に、私は尋ねた。
(あれは……何? 何で木の上に? 鳥? いや、怪鳥。それとも、ユーレー?)
無表情のままの彼女は、答えなかった。
私は、目をギュッと瞑ってから、頭を左右に振った。
(駄目だ…! ワケわかんないっ!)
理解しようにも、勉強に引き続き、火の玉を見て、それが弾けて、怪鳥が飛んでくるなんて、私の頭では処理しきれなかった。
そして、開き直ってなのか、それとも生理的なものなのか、ベタベタのシャツや下着を脱ぎ捨てて風呂場に入った。
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身体を洗い、湯船につかる。
うん、ちょうど良い温度だ、と呑気な事を考えられるほど、落ち着いてきた。
そうなると、自然とさっきの『アレ』の正体について考え始める。
(本当に、何だったんだろう。というか、窓割られて部屋にいたらどうしよう! いや、それもそうだけど火の玉も見たんだ! アレこそ何⁉)
宿題の問題のように答えがあるかどうか分からないけど、当然の疑問が頭を巡った。
それから、湯船につかって五分位経っただろうか。
ボーッとしていた私の耳に、声が聞こえた。
「…つ…で……いつ…で……」
再び私の身体は温かい湯船につかっているのに、凍りついた。
その声は、明らかに風呂場の外から。いや、正確には家の外だ。顔をあげて見ると、風呂場の小さな窓が小さく開いている。
私は、浴槽に足を浸かりながら立ち上がり、バスタオルを身体に巻きつけた。ちょうど、曇りガラスの窓に薄っすらと私の顔が映った。
「…まで……い…ま………いつ……」
聞こえる。確かに、窓の外からその声は聞こえるのだ。老人のような老婆のような、そんな唸るように掠れた声の主は、窓の外にいることが分かった。
窓の隙間からは、真っ暗な闇が見えた。その闇の中から、声が聞こえるのだ。
(誰か…いるのか…な)
風呂場は、ちょうど私の部屋の真下にあり、曇りガラスの小さな窓も、北側を向いていた。そう、小さな道路を挟んで、三軒の平屋と林と、墓場だ。
闇に目が慣れてくると、ボンヤリと家の外壁のコンクリートの壁が見える。
その白い壁の上に、ソレはいた。
鷲のような足が二本見え、視線をあげていくと、暗闇から突然、老人の顔が出てきた。
shake
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ニュッと出てきた老人の顔は、目も口も、底の見えない井戸のように真っ黒だった。
その口から、ハッキリと聞こえた。
「……いぃつまでぇ………いぃつぅまでえ」
同時に、窓ガラスがひとりでにスライドした。
「きゃああああぁっ!!」
ソレは鳥のような体を持ち頭が老人の顔の化物で、私は遂に叫び声をあげた。
ガタンっ……ガタンッ、ガタン!…
「おい、由紀どうした! 何があった⁉」
「由紀、ここ開けてっ!」
風呂のドアの外から、私の叫び声を聞きつけて来てくれた両親の声がした。
風呂のドアは、カギがかかっていない筈なのに、何故か開かないらしい。
私自身は、ドア越しでも良いから両親の近くに行きたかったのに、体が金縛りみたいに動かなくなっていた。
両親の私を呼ぶ声と、風呂場のドアをこじ開けようとする音が風呂場の中にわんわん響く中、その化物の後ろに妖しい光が見えた。
(火の玉…だ……)
さっき見たような白い火の玉がふわりふわりと漂い、化物と私の顔の間にきた。
そして、化物が大きく口を開けたと思うと、
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shake
……ぱんっ!…
あの音がして、青白い閃光が一瞬だったが、暗闇に光の空間を創り出した。
それが合図だったみたいに、体の金縛りが解けて、私は浴槽に崩れ落ちた。
「…いぃつまでえ……」
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風呂場に響いた一言に、私は手足をバタつかせながら、顔をあげた。
窓から見える夜空には、見事な満月と月明かりに照らされた翼を羽ばたかせる化物の黒い影が見えた。
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その後の事は、あまり覚えていない。
パトカーのサイレンのような音で気がつくと朝になっていて、私は自分の部屋のベッドに寝ていた。
「あ……れ……」
上半身を起こし、左を向くと母が涙ぐみながら私を見つめていた。
「…っ、由紀ぃ!」
私の体を優しく抱きしめてくれた母の温かさは、今でも忘れない。
私も目を熱くして、安堵の気持ちで母の事を抱きしめた。
ただ、目を開けたとき、母の背後にあった北側の窓を目にして一瞬体をビクつかせた。そこには、釘でつけたような痕が無数についていたからだ。
そんな得体の知らない何かに怯えた私に対し、どうやら両親は風呂場に響いた声などは聞き取れなかったらしく、痴漢だと思い直ぐに警察を呼んだそうだ。
だから翌日私が落ち着きを見せると、若い警官二人が家に来て色々聞かれたが、火の玉と老人の頭を持つ鳥のところを話すと顔を顰(しかめる)ばかりだった。
そしてもう一つ、私の気になることがあった。
あの日、私が恐ろしい体験から目覚めた朝の事であるけれど、歓喜の悲鳴で沸いたウチとは対照的に悲痛な叫びのあがった家があった。
それは、あの三軒の平屋の内の、私の家と道を挟んで直ぐの家で女性の死体を発見した男性の悲鳴だっだ。どうやら男性は、女性の元主人のようで、発見した元妻の死顔は歪みどこか恨めしそうだったという。
死因は、首吊りだった。ただ、亡くなってから一週間以上経っており腐敗が進んでいて、元妻を見た元主人は発狂寸前だったらしい。
あの恐ろしい夜から一ヶ月、母方のお婆ちゃんに体験を話す機会があった。
笑われると思っていたが、予想に反してお婆ちゃんは優しく真剣に話してくれた。
「由紀ちゃん、それは多分、以津真天(いつまで)という妖怪だろうね。ほら、学校で勉強したと思うけど、昔は合戦なんかがあってね。大勢の亡くなった遺体はほったらかしだったそうなんよ。それで、その妖怪はどこからともかく現れて言うんよ」
電話越しだが、一気に話したお婆ちゃんのお茶を啜る音がした。
「『いつまで~、いつまで~』という風にな」
お婆ちゃんの話は、その後も続き、突然の死や、未練のある死の遺体には魂が残るという。誰かが供養し成仏させれば良いが、放っておかれた遺体の魂は、怨霊の類になったりと危険だから、以津真天という妖怪は魂を喰らい、遺体の供養を勧める為にも現れるらしい。
『いつまで』というのは、『死体をいつまで放っておくのか』という事らしい。
電話を終えた私は、風呂場で見た白い火の玉は平屋で自殺した彼女の魂だったんじゃなかったのかなと思うと、何ともやり切れない気持ちになった。
あの花火のように、一瞬でも輝きを放つ魂。
恐い反面、また弾けるような音と輝きを見せる火の玉を、見たいと思う私がいた。
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……ぱんっ……
作者朽屋’s