その日も、何気無く海にいた。
愛犬の凛太はいつもの様に砂浜を走り回り、俺は岩場に立って海を見ている。
何も変わらない、いつもと同じ光景がそこにはあった。
しかし、三十分くらい経った頃だっただろうか。
凛太の吠え声が変わったので、砂浜に目を向けると親子らしい二人の姿を見つけた。
父親と息子。
少なくとも、俺はそう見た。
父親は、小肥りの三十代後半くらいで黒と黄色のチェックのシャツを着ている。息子は小学校低学年くらいだろうか。遠くでよく見えなかったが、父親にあまり似ていなかった。
「よくもまあ、こんな現地の人間でさえ知らない穴場の砂浜に来たなぁ」
この砂浜はちょうど潮と潮が重なる場所になっていて危険だ。だから綺麗な砂浜ではあるが海水浴には向いていない。
おまけに、切り立った崖下に位置しており人が通れる道なんてものはない。
つまり砂浜に辿り着くには崖を降りるか、海から船で直接来るしかないのだ。
凛太とじゃれあう息子と、その息子をニコニコしながら見ている父親の姿をしばらく見ていた。
向こうは、まだ俺に気づいていないようだった。
ようやく凛太が俺の方に向かって走って来て、それを目で追った息子が気が付いた。
俺が軽く会釈すると、父親が近づいてきて挨拶をしてきた。
「こんにちは。お兄さんの犬でしたか、いや可愛らしいですね。名前は何て言うんですか?」
「あ、凛太と言います」
簡単な自己紹介をお互いに済ませると、二人でしばらく海を見ていた。
息子と凛太は、まだ砂浜でじゃれている。
「息子は、犬を欲しがっていたんですよ。一人っ子ですから、遊べる相手が欲しかったのかもしれません」
俺は、そう言う父親の方を見ずに海を見ていた。
「私も妻も仕事が忙しくて…。おまけに、息子は本当の息子じゃないんです。もちろん、血なんて関係ないですけどね。そういう事もあって、なかなか二人で遊んだりする事も出来ませんでした…」
なるほど、と一人頷きながら、岩場から砂浜に移る父親についていく。
「でも、すごく親子に見えましたよ。仲が良さそうで微笑ましい光景って言うんですかね…」
俺の言葉を聞くと父親は頭をかきながら、照れ臭いですね、と笑ってから言った。
「それで、いつの日だったか休みがとれたので思い切って海に誘ってみたんです。すると息子は嬉しそうな顔で『パパ、ありがとう!』って言ってくれました。いや、嬉しかったなぁ…」
七福神の、名前を何て言っただろうか。笑っている太った神様によく似た笑い方をする父親を見ていると、俺も自然と笑みがこぼれる。
「ねえ、お兄ちゃん! りんた、かわいいね! ぼくもこういう犬がほしかった‼」
砂浜から、凛太と一緒に駆けてきた息子が嬉しそうな顔で言った。
でも俺はただ、ありがとう、としか言えなかった。
無邪気な表情で笑う息子と、血の繋がりなど気にせず息子を愛する父親。
幸せな光景がそこにはある。
「『ありがとう』か…。後悔先立たず、だな」
俺の独り言が聞こえたのか否か、父親が聞いてきた。
「お兄さんは、どうして海に…?」
その質問に、俺は答えられなかった。
それでも、言葉にしなくても頭の片隅に記憶が漂っている。
まるで、はるか昔のような記憶。
志望校の受験に落ちた俺を、家族は優しく励ましてくれた。でも、その優しさや気遣いは鬱陶しいものにしか感じれなかった俺は、凛太をつれて近づくなと言われていたこの海岸にきて…。
遠くの砂浜の方から聞こえた凛太の吠え声が、記憶の再生を止めた。
どうしたんだろう、と砂浜に向かうとき、後ろから息子が父親に言ったであろう声が聞こえた。
「パパ、ありがとう!」
理由は分からないが俺は目を瞑り、凛太のとこまできた。
目を開けると、砂浜に死体が打ち上げられていた。
親子だろうか。大小二つの死体がそこにはあった。
腐敗が激しくて姿形は分からないが、これだけは分かった。
「なんか…、さっきの親子みたいに幸せそうだな」
抱き合っている死体に手を合わせ、親子がいる砂浜のほうを振り向いた。
しかし、そこには誰もいなかった。
足元で凛太が、くーん、と鼻をならしている。
俺はまた、海を見ていた。
生命の母と呼ばれるこの海に漂う、一人と一匹がこの砂浜に打ち上げられるいつの日かを想いながら…。
作者朽屋’s
皆様、お久しぶりです。
二作品ほど、長編を執筆中なんですが進行が進まず箸休めと言いますか、息抜きでこの作品を執筆しました。
怖話の作品も読者のクオリティも高まる中、満足して頂ける作品と言えるかどうか分かりませんが、宜しければどうぞっ!