ある夏の暑い日の話。
仕事帰りに薬局で買い物をしていた真理に友人からメールが届いた。
「これから渋谷の○○って居酒屋でプチ女子会やるんだけど、真里も来ない?」
メンバーは真里もよく知っている女子二人と真里の三人。
ちょうどはしゃぎたい気分だったので即「OK」と返信した。
時間的に自宅まで帰っている暇がなさそうだが、荷物は駅のコインロッカーにでも入れておけばいいと思った。
しかし駅のホームに設置されているコインロッカーの前で、真里はいつもと少し違った光景を目にした。
[現在こちらのロッカーは使用出来ません]
20以上あるロッカーのうちの二箇所に使用禁止の張り紙がされている。
左上の隅っこと右下側の二つ。
何か事件でもあったのだろうか?
あるとしたらやはり鍵を壊しての盗難とか。
なんとなく近くの場所は嫌だったので、ド真ん中のロッカーに薬局で買った荷物を押し込んだ。
まぁ仮に盗まれたとしてもそこまで被害の多い物は入れていないのだが、出来れば帰ってきた時無事に回収したい。
百円を入れ鍵を引き抜くと、同時にホームに電車の到着アナウンスが流れるのが聞こえてきた。
両手を顔の前でパンパンと叩き「無事でありますように」とロッカーに向かい呟いてから振り返ると、ホームに入ってきた電車の元へと早足で駆け寄った。
nextpage
女子会は思いの外盛り上がった。
三人での予定だったが結局真里以外にも二人追加されて、集まった人数は計五人。
もはや「プチ」ではなかったが、その分ワイワイ騒げて楽しい時間を過ごす事が出来た。
ただそのせいで帰りは遅くなってしまい、真里が駅まで帰ってきた時にはすでに11時を過ぎていた。
改札を出ようとした時、ふと何かを忘れている事に気づく。
「あっ・・・ヤバ、荷物があったんだ」
はしゃぎすぎて完全に失念していた。
急いで今来たホームを逆走し、ロッカーの元へ向かう。
そしてロッカーの前まで来た所でようやく全部を思い出した。
「・・・・まさか盗まれてたりしないよね」
すでに二件の被害が出ているなら「二度ある事は三度ある」で盗られていてもおかしくはない。
ゆっくりとロッカーの扉に手を伸ばす。
もし中から荷物が盗まれていたら鍵はかかっていないはずだ。
盗んだあとにわざわざ鍵をかけ直していくような馬鹿な窃盗犯はいないだろうから。
ガチッ、ガチガチッ。
ロッカーを開けようとする行為を扉が頑なに拒否した。
どうやら鍵はしっかりとかかっているようだ。
ほっと胸をなでおろす。
ハンドバッグの中からロッカーの鍵を取り出すと、カチンと音を鳴らし鍵を開け扉を開いた。
「・・・・・・えっ!?なんで」
開いたその先に荷物はなかった。
まさか盗られたのだろうか?
でもちゃんと鍵はかかってたのに・・・・
頭が混乱しながらも扉を全開で開けた時、真里の目に奇妙な光景が映った。
ロッカーの奥が影掛かっており、暗くて先が見えなくなっている。
慌てて一度その場から数歩下がり、ロッカーの奥行を確認してみた。
目測だが恐らく50~60cmといった所だろうか。
すぐ後ろにはしっかりと照明も点いている。
ロッカーの奥が暗くて見えないなんて事はありえないはずだ・・・
その時点で嫌な予感は充分していた。
だが「荷物を探さなくては」というほんのちょっぴり使命感と、「今のは何だったんだろう」という少しの好奇心が真里を突き動かした。
もう一度ロッカーの扉をゆっくりと慎重に開ける。
そこにはやはり先の見えない暗闇が広がっていた。
nextpage
「もしかしたら・・・・単にロッカーの中を黒く塗りつぶしたイタズラなんじゃ」
確認する為にロッカーの中に手を伸ばす。
しかし真里の手はロッカーの奥60cmあたりの所を軽く通過してさらに入っていった。
「ええっ!ちょっとこれどういう~」
「あぶぁ・・・」
いきなり聞こえてきた声に驚き思わず真里の独り言が止まった。
直後に何かがロッカーに入れていた右手に触れた。
「ひっ!ひゃぁっ!!!」
びっくりしてすぐに右手を引き抜いた。
と同時に扉を支えていた左手も離れ、バネの力で扉が自動で閉まっていく。
その時、一瞬だけ真里にはロッカーの中にいたものの姿が見えた。
体中がまるで木炭のような色をした灰色の赤ちゃんがこっちを見ていた。
あえて言うなら目だけは少し赤黒い色だっただろうか。
ガチャン!
ロッカーの扉が大きな音を立てて閉まった。
恐怖で体中の力が抜けてその場にへたリこんだ。
「な、何・・・・今の・・・・・」
あまりの事に真里は呆然としていた。
今までこの手の怪奇現象には全く関わった事がなかった為、完全にビビってしまった。
足が思うように動かず上手く立てない。
どんどん気持ちが焦り始める。
早くここから逃げないと。
「あぅ・・・だぁー・・・」
ようやく膝で立った状態になった時、先程と同じ者の声がロッカーの中から耳に届いた。
思わず体が硬直した。
キィーッ
ロッカーが開く音が目の前で鳴り、扉がゆっくりと開き始める。
「ひっ!あぁっ!」
ガンッ!
顔を背けながら力いっぱい両手で扉を押し込んだ。
そのままの状態で二度と開かないように扉を強く押さえつける。
心の中で「来るな!来るな!」と必死に願った。
カン!カン!
中から扉を叩いてくる音が聞こえる。
耳を塞ぎたかったがあいにく両手は塞がっている。
怖くて怖くて涙が目から溢れ出していた。
「あぶー・・・あばぁ・・・・ぁぁ・・・・・・・・・・・・」
そのうち赤ん坊の声は次第に扉の前から遠のいていった。
そしてしばらくするとついにその声は全く聞こえなくなった。
nextpage
「はっ、はっ、し、死ぬかと思ったっ・・・・・・」
真里はこのまま自分は心臓麻痺で死んでしまうんじゃないかと思っていた。
大げさかもしれないが、それほど心が追い詰められていたのだ。
現に彼女がその後ちゃんと二本の足で立ち上がるのに10分はかかった。
もはや荷物の事など頭の中から消え失せていた。
今はただ早く家に帰りたいという気持ちだけだ。
ずっとロッカーを押さえつけていた両手をそっと離す。
だが目の前のロッカーには何も変化はない。
「はぁっ、良かった。は、早く帰らないと」
足元に落ちていたハンドバッグを急いで拾う。
キィーッ。
聞き覚えのある音に真里は心底恐怖した。
恐ろしさのあまりバッグを拾う為に下に向けた顔を戻す事が出来なかった。
「あぁ~うぅ~」
そんな彼女の事などお構いなしに赤ん坊の声は耳に入ってくる。
必死の思いでゆっくりと顔を上げた。
先程まで押さえていた場所の左隣のロッカーから、5cmほど扉を開け顔半分だけ覗かせていた。
灰色の赤ん坊は表情を変えずに、片目でこっちの様子をじっと見つめている。
何故かその時、真里は体が動かせなかった。
いわゆる金縛りというものだろうか。
赤ん坊は動けない真里を無表情で観察し続けると、急にニコリと笑ってから扉を開けてロッカーから這い出してきた。
真里はその姿を見て一瞬卒倒しかけそうになった。
さっきのは顔半分だけ覗かせていた訳ではなかった。
初めから顔が半分しかなかったのだ。
正確に言うなら、赤ん坊の顔の左側1/3程が見当たらなかった。
暗くてちゃんと見えなかったりしたから今まで気がつかなかったのだ。
「まぁ・・・・まぁ・・・・」
赤ん坊の手が少しずつこちらへと近づいてくる。
思わず真里は両目を瞑った。
「どうかしましたか?」
不意に後ろから声をかけられ驚いて倒れそうになった。
「ちょ、ちょっと。大丈夫ですか!何かありましたか!」
服装を見ると駅員さんのようだった。
生きている人間の顔を見た為か、その瞬間安心しきってしまいそのまま気を失ってしまった。
nextpage
その後、真里は駅員に介抱された後にあのコインロッカーで窃盗事件が2件起きている話を教えてもらった。
それだけなら別に驚く事ではないのだが、先程助けてくれた駅員が以前にあの赤ん坊を目撃しているというのだ。
「ロッカーが少しだけ開いてて、そこから赤ん坊の顔が見えたんですよ。でも誰も信じてくれないし、自分も見間違いだったのかなと思っていたので。でも・・・・あなたにも見えたという事はやっぱりあのロッカーにはヤバイもんがいるようですね・・・・」
帰る際、その駅員は今度こそロッカーの撤去が出来るように掛け合ってみると言ってくれた。
それから二日後の朝。
真里は出勤の途中でどうしても確認したくてロッカーの場所に向かった。
駅のホームのコインロッカーの前に行くと、全てのロッカーに張り紙がしてあった。
[コインロッカー撤去のお知らせ]
張り紙には「10日以内に預けている荷物を引き取って下さい」という注意書き等が書かれていた。
どうやらあの駅員さんはちゃんと仕事をしてくれたようだ。
だが、真里は少し複雑な気持ちだった。
つい最近この近所である事件があった。
ある女性が自分の赤ん坊の死体を持って警察に自首してきたのだ。
驚く事に、その赤ん坊の死体は顔が半分無かった。
警察がその母親に事情を聞いても「気がついたら無かった」としか言わず、取り調べも難航しているらしい。
容疑者の母親には精神鑑定の実施されるそうだ。
ニュースでも各番組がこぞってこの狂気に満ちた事件を報道していた。
結局まだその母親が自分の赤ん坊に何をしたのかは詳しくは解っていない。
そんな時に真里が出会ったのがあの赤ん坊である。
無関係とは思えない。
もしかしたら一度ここに死んだ赤ん坊を置いていき、怖くなって後で戻ってきて警察まで自首したのだろうか?
それとも赤ん坊がここに入れられた時はまだ生きていたのかも・・・・
そこまで考えた時、はっとして考えるのを止めた。
考えても仕方のない事だ。
確かに可哀そうではあるが、私にはどうする事も出来ないではないか。
両手を合わせ「成仏してね」と呟くと、その場で回れ右をした。
ガチャンッ。
「ひっ!?」
突然の音に心臓が飛び出そうになった。
今確かに後ろであの音がした・・・
恐る恐るゆっくりと後ろの方を振り向く。
しかし、そこには先程と変わらないいつも通りの光景があった。
「さっ、さすがにこんな朝っぱらから出てこないよね」
言葉とは裏腹に正直不安でいっぱいだった。
『まもなく2番線に、急行○○行きの電車が~』
駅のホームに電車の到着アナウンスが響き渡る。
その場には長居したくなかったので急いでホームの端の方へと走った。
首筋を汗がダラダラと大量に流れていく。
それにしても暑い・・・・
テレビでも「今年も記録的な猛暑だ」とか言っていたが納得の暑さだ。
あまりの暑さに少し走っただけですぐに疲れてしまい、息を切らした。
持っているタオルで汗を拭う。
けど暑いからといって毎日シャワーだけで済ますのも失敗だったかもしれない。
なんだか今日は凄くダルいし・・・・妙に肩が重い気がする・・・・
気温30℃を超える真夏の暑さの駅のホームで、赤ん坊の笑い声が何処からか聞こえていた。
作者バケオ
よく「霊を馬鹿にすると祟られる」と言われてますが、「あまり霊に同情するのも良くない」とも聞きます。
結局は「霊が出そうな場所には近づかない」のが一番なんでしょうね。
これから夏本番で怖い話のシーズンですが、肝試しとか行く場合は気をつけて下さい。
本人が気づいてないだけで、もしかしたら背中にくっついて帰って来てるのかもしれませんから。