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呪いについて何かお困りですか?
もし何者かに呪いをかけられているのなら、私が呪いを解きましょう。
確かにそれは非常に複雑なものですから、確実に、とは言い切れません。
ですが、私ならあなたの呪いを解くことができるかもしれないのです。
私に頼まれても解くことができない呪いというのは…
…つい先走ってしまいました。まずは私自身の話をしなければいけません。
私は生来、通常の人間が持ち得ない能力を備えています。
人間を巣食う一種の呪縛を、可視的に捉える能力です。
呪縛は私の網膜にはっきりそれとわかる形で映りこみます。
(私がここで書く“呪い”とは、私の目が見ている呪縛の形のみを指します。それ以外の意味で使うことはありません。)
ただし、私には「喝!」だかなんかを吼えてその呪縛をたちどころに雲散霧消させてしまうような超能力はありません。
誤解しないでいただきたいのは、私は決して霊能者、或いは霊能力者ではなく、むしろそうした事象とは一切無縁の人間だということです。
ではなぜはじめに「呪いを解く」などと言ったのかという話ですが、その前に、まずは呪いが私の目にどう映っており、それがどのような性質で、どのような方法でかけられるか、ということをお話します。
過度に観念的な解説になることを避ける意味でも、私の体験を交えてお話しする方がいいでしょう。
高校時代の友人に連れられて、母校野球部の試合を観戦しに行ったときの話です。
私の母校野球部は度重なる監督の交代もあって最近はとんと勝てなくなったのですが、かつて甲子園に出場したこともあり、県内では強豪校に数えられます。
野球部OBの友人は今でも熱心に部員を世話しており、私と外で食事をしている時など、彼らをその場に呼び出してご馳走するほどです。
ですから私にとっても何度か面識のある部員を応援することは、ただ母校の応援という以上に熱が入ります。
ところが、試合開始前にベンチから両ナインが一斉にグラウンドへ集合したときから、私の目には常ならぬ光景が広がっていました。
母校のスターティングメンバー全員が、異形の姿をしていたのです。
右肩が大きくずり落ちた者、膨れ上がった肉腫を肘に下げた者、老人のように腰が深く折れた者など、格好は様々ですが、共通するのは醜く爛れた顔です。
私以外の人間には正常に見えたでしょうが、彼らが呪いにかけられていることは明らかでした。
日々練習を積み重ねた彼らのプレーが一定の水準を下回ることはありません。しかしここぞというところで呪いに縛られます。
三回表、母校の攻撃。四球とエラーでチャンスを広げ、次の打者がバッターボックスに立ったときでした。
バットを構えた部員の妙に盛り上がった背中が、みるみる膨張しはじめたのです。
二球で簡単に追い込まれ、三球目にバットを出した時には、いつの間にか彼の背中から生えたもう一本の腕が彼の右肘を掴んでいました。
投手の正面にボテボテと転がった打球は二塁へ送られ、テンポ良く併殺されました。この試合で一番の好機を逃したのです。
その後も彼らは要所で悉く精彩を欠き、この試合で敗退が決まりました。
…私の目に呪いはこのように映っています。
これは飽くまで一例に過ぎませんが、呪いの性質もなんとなくわかっていただけたかと思います。
呪いは対象者をがんじがらめに縛り、生気を奪います。
これは野球部員を死に至らしめるような大袈裟なものではありません。しかし非常に強力に、且つ有効に働いている呪いに違いありません。
そして恐らく彼らがそうであったように、大半の事例において対象者は呪いを感知していません。
…ひとまずこの話はここで置いて、先に呪いがどうようにかけられているか、という話に移りましょう。
それはごく簡単に言えば、常人には理解不能の“呪詛”を繰り返し唱える、という方法なのですが、これについても一例を挙げます。
私の妻の話です。
私が初めて妻と出会ったとき、彼女は既に根深い呪いに縛られていました。
その容姿は…いや、それを事細かに記すことは止しておきます。人外の姿、ということでご理解ください。
それは私が今まで見てきた中で最も禍々しい呪いのひとつです。長期間継続して施されているものだと想像できました。
その呪いが直接的に彼女の息の根を止めることはなかったかもしれませんが、場合によってはそれを後押しすることはあり得たでしょう。
では彼女はその強大な呪いに見合うほど、何者かから深い恨みを買うような人物だったのか、ということに関してですが、それは私にもわかりません。
私が彼女との触れ合いを通してわかることは、彼女は非常に謙虚であり、心が清く穏やかな女性だということだけです。
ただし、彼女は極度に失敗を恐れ、また執拗に自分を責める傾向がありました。
呪いは常時彼女の内部でガシャガシャと蠢き、時として私の目に見える姿で彼女を蝕んだのです。
それでも私は、そんな彼女を愛し始めていました。私の全てを投げ打ってでも彼女を呪いから解放してやりたいと思いました。
ところが、私がそれを決断した日からです。私の心配を余所に、彼女の呪いは日を追うごとになりを潜めていったのです。
はじめは私が強く念じ続けた結果ではないかと考えましたが、それは正しくありません。
二人で彼女の両親に挨拶に行った時、すべてがわかりました。
彼女にとって久々の帰省でした。両親と顔を合わせるのも数年ぶりということで、私に引けをとらないほど緊張していました。
私たちが彼女の両親と膝を合わせた時、彼女の身に変化が現れました。
母親の口から発される一定の言葉に呼応して、萎縮したはずの呪いが蘇り、ドクドクと激しく脈打つのを見たのです。
私は呪いをかけていたのが母親であると確信しました。
そして、母親が唱え続けた呪詛についても大方見当が付いたのです。
この時母親が発したのはこういう言葉です。
「まさかこんな愚図を貰ってくれるなんてね」「それにしてもようやく結婚かい、長かったね」「お前でも生きてりゃ奇跡が起るんだね」
大まかですが、私はそれらの言葉をより直接的な呪詛に置き換えることができます。
「なんでお前はそんなに愚図なの?」「なんでお前は結婚できないの?」「なんでお前は生きていられるの?」
呪詛というのは対象者に理解を許しません。意味の解る言葉は呪詛になりえません。
試しに彼女の立場になって母親からの呪詛を受けてみて下さい。
「なんでお前はそんなに愚図なの?」
これは常人にも発語、さらに表記が可能な、文法に破綻のない、日本語のフレーズです。
それでもあなたはこの問いを理解し、また正当な答えを出せますか?
もしできるのであれば、呪いにはかからないでしょうね。
呪いの強さを決めるのは、術者と対象者の関係です。
切るに切れない関係。一方に抗うことが許されない関係。双方の愛情が通じ合わない関係。
それは職場、学校、家庭。あらゆる状況で存在します。
このような関係において、対象者に沈黙しか許さない問いを反復すること。それは呪いのごく基本です。
敵意や怨恨、或いは侮蔑を乗せた呪詛は繰り返しによって対象者の内側に着実に根を下ろしていきます。この際、対象者がそれを知覚していることは殆どありません。
そして呪いが成長すると特定の状況下で発現するようになり、対象者を縛りつけます。私にはそれが目で見えますが、当人を含め、他の誰にも見えないでしょう。
しかし呪いを解く方法も存在します。
妻の呪いが日毎に減退したのは、彼女が自ずと呪詛に抗う力をつけていったから…つまり私という理解者に巡り合い、結婚を決め、生きる意味を見出したことが理由だと思います。
もし彼女が母親との関係を一切断つことができれば、呪いはほとんど無に帰すでしょう。
もう一度、母校野球部の話に戻ります。
私は事前に彼らがかけられた呪いを見ることができませんでした。
潜伏中の呪いは私にも見えないことがあります。彼らの呪いが著しく発現するのは野球の試合が始まる時です。
ここまでお話すれば、まさか相手校側が勝利を確実にするために呪いをかけた、だなんて考えないでしょう。
もちろん理論的には可能ですが、あまり現実的とは言えません。
彼らに対し、最も自然に、そして強力に呪いをかけることができるのは……おわかりですね?
そしてここまで読んで頂いたなら、呪いの真の恐ろしさは、それが齎す効果そのものではなく別にある、ということがわかるはずです。
…本題に戻りましょう。
私はあなたの呪いを解くことができるかもしれません。
私は呪いを具体として見る力があり、誰よりも呪いの仕組みを理解しているつもりです。
私に相談して頂ければ、呪いの根を探り、術者を突き止めた上で、最善の策をとることができます。
ですから、あなたが望むなら、私は<あなたにかけられた呪い>を、解くことができるかもしれません。
同時に、私はあなたの呪いを解くことができないかもしれないのです。
あなたが望んでも、私は<あなたがかけた呪い>を解くことができないかもしれません。
もしあなた自身がそれを把握していないのなら、私にも為す術がないからです。
“あなた”に言ってるんです。
あなたが知らずに何者にかけている呪いを解くことはできません。
作者たらちねの
もし気を悪くされた場合ご理解いただきたいのは、これは飽くまでもありふれた着想を元にして書いたつまらない創作であり、最後はそうした創作を書くにあたってひとつの手法を用いただけということです。