俺には4つ年上の姉がいる。年齢より外見も声も大人っぽく、たまに大学生と勘違いされることがあるらしく、本人はそれが心底嫌であるらしい。彼女は齢18歳の現役高校生なので、年齢相当に見てほしいのだと常日頃から漏らしているが、俺にしてみれば羨ましい限りである。
何故かと聞かれれば、あまり言いたくないのだけれど。ぶっちゃけてしまうと、俺もまた年齢相当に見て貰えないからである。俺の場合は年齢よりも若く見られるのだ。
男子は中学生になると、成長期に入り、身長がぐんと伸びると言うが。中学生になって2年目になるが、全く伸びていないまま現在に至る。ついでに声変わりもしていない。
「お前の声ってさぁ。アニメとかに出てくる草食系のちっちゃい子どもみてーだよな」
これは姉さんの談。アニメに出てくる草食系のちっちゃい子どもみたいな声……うん。それは絶対誉めてないよな。
でも、確かにそれは的を得た発言かもしれない。家に掛かってきた電話に出ると、9割9分の確率で女の子に間違われるのだ。男の子とすら認めて貰えないのである。酷い場合は、「あ、お嬢ちゃんかな?電話に出れて偉いねー。お利口さんだね。パパかママいるかな?」なんて言われたこともある。
……何気にこれはコンプレックスである。姉さんからは「お前の一人称、”俺”から”僕”に変えろよ。そのほうが萌える」などと提案されたが、冗談じゃない。誰が「僕」などと言うか。
……話が逸れてしまった。修正しよう。
今回もまた、お馴染みの怪異譚になるのだが。これがまあ、色々ややこしい話になるので、順を追って話していこうと思う。
「入浴中に”だるまさんがころんだ”と口にしてはいけない。頭の中でその言葉を思い浮かべるのも駄目。もし、その決まりを破ってしまうとーーー恐ろしいことが起きちゃうんだって」
クラスメートの鮎川夏乃は、放課後になって急にそんなことを言い出してきた。俺は鞄に教科書やらノートやらを詰め込んでいたのだが、ふと手を止めて鮎川を見る。
「何じゃそら。だるまさんがころんだって、子どもの遊戯とかじゃなかったっけ?」
「それはそうなんだけど。まあ、都市伝説みたいなものだね。最近、私、怖い話とかにハマっててさ。ネットで色々検索してたら、あったわけ。”だるまさんがころんだ”の都市伝説がね」
「ふうん。女の子って好きだねぇ、そのテの話」
女の子の間では、恋愛話の次に人気を誇っているのがオカルト話であるらしい。実際に体験したという心霊現象の話やら都市伝説やら。それを話のタネにして盛り上がることをガールズトークと言うらしい。
俺は、あんまりオカルト話には興味がないーーーというわけでもないが、俺自身が「引きつけやすい」体質であるが故、詳しく聞くと、後々嫌な目に遭うのは目に見えていたので、適当に話を流し、家へと帰った。
帰宅し、遅めの夕食を済ませ、風呂に入る。湯船に浸かり、呑気に鼻歌など歌いながら天井を見上げていると。ふと鮎川に言われたことが脳裏を過ぎった。
ーーー入浴中に”だるまさんがころんだ”と口にしてはいけない。頭の中でその言葉を思い浮かべるのも駄目。もし、その決まりを破ってしまうとーーー恐ろしいことが起きちゃうんだって。
「……思い出しちゃった」
ていうか、思い出した時点で、頭の中で”だるまさんがころんだ”という言葉を思い浮かべるからアウトじゃんか。鮎川の奴、何というトリビアを教えてくれるのだ。
「恐ろしいことが起きる…ねえ。恐ろしいことって何だ?」
周囲を見渡すが、別に何にも起きていない。大体、風呂とだるまさんと、どういう関係があるんだよ。そんな風に思っているとーーー
”だ る ま さ ん が こ ろ ん だ”
「ッ!?」
あどけない子どもの声がした。しかもハッキリと。これは勘違いとか空耳のレベルではない。
”だ る ま さ ん が こ ろ ん だ”
クスクスと。笑いを堪えながら喋っているような、そんなニュアンスの声だ。湯船に浸かっている筈なのに、体の芯が冷えてきた。
”だ る ま さ ん が こ ろ ん だ”
「何だよ!達磨さんなんてここにはいねーし、転んでなんかねーよ!止めてくれよ!!」
声が若干震え、支離滅裂な言い分になってしまった。今すぐにでもバスルームから逃げ出したかったが、迂闊に動くとマズイような気がしたので、身動きが出来ない。
”だ る ま さ ん が こ ろ ん だ”
「…、……、止めろって言っーーー」
言い掛けて、気付く。バスルームに備え付けの鏡から、2本の華奢な細い腕がニュッと伸びていた。しかも、両方左手。
”だ る ま さ ん が こ ろ ん だ”
腕が。うねうねと気味悪く躍動しながら伸びてくる。それはゆったりとした動作で、バスタブを這い上がり、こちらに近付いてきた。
「ひゃっ…、」
「おい、まだか!?随分と長風呂じゃねーか、この萌えキャラ声!声優としてアニメ会社に派遣するぞ、このクソガキ!!いー加減、出ろってーーーん!?」
計ったようなナイスタイミングで、姉さんがガラリとバスルームの扉を開けた。そして鏡から伸びている2本の腕と、今にも泣き出しそうな顔をしている俺の顔を交互に見ると。
「えい!」
バッシャーン!!姉さんは服を着たまま、湯船に飛び込み、俺に詰め寄った。
「大丈夫か!?あの手に変な悪戯されてないか!?」
「う、うん。大丈夫、だけど……」
姉さんのほうが大丈夫じゃなくないか?着ている無地のTシャツが肌に張り付き、下着の線とか柄とかハッキリ見えちゃってるんですけど。今日の下着は黒いレースだってこと丸分かりなんですけど!?
「そう。無事ならいいや」
姉さんは安心したようにそう呟くと、バスタブの縁にしがみつき、うねうねと指を動かしている手の甲を思いっ切りひっぱたいた。
「こいつ!肘から先の分際で、弟の入浴シーンを覗くんじゃねぇ!さっさと消えねーと、指を1本ずつ切り落として野良犬の餌にしちまうぞ!!」
すると、腕はピキンと固まり、すごすごとバスタブの縁から手を離し、鏡の中へ吸い込まれるようにして消えた。意外と気の小さい奴らしい。
「姉さん……アレ何?俺が入浴中に”だるまさんがころんだ”って言葉を思い浮かべたから出たの?」
鮎川が言ってた恐ろしいことって、これなのか?
しかし、姉さんはあっけらかんと「はあ?そんなこと聞いたことねーよ」と言いながらTシャツを脱ぎ始めた。おいおい……。まさか一緒に入るとか言うんじゃないよな?
「どうもイマイチ分からん。詳しく説明しろ」
Tシャツに引き続き、ジーンズを脱ぎ始める姉さん。やっぱり一緒に入る気らしい。お互い14歳と18歳だというのに、何てあけっぴろげなんだろう。
顔や耳が赤くなっているのがバレないよう、視線を反らしながら、鮎川から聞いた都市伝説の話をすると、姉さんは俺の髪をグイと掴み、無理矢理顔をこちらへと向けさせた。目が爛々としている。
「……鮎川夏乃?名前からして女かだという気がするんだけど、お前、女と会話してたの?」
「……た、ただのクラスメートです。席が近いから、たまに話すんですよ。それだけの関係です。あはははは!」
しどろもどろになってしまった。しかも恐怖のあまり、タメ口が敬語になってるし。何だろう、付き合ってる彼女に浮気がバレた時の言い訳してるみたいな気分だった。
姉さんは剣呑な目つきで暫く黙っていたが、「今度の参観日は私が母さんの代わりで出席するからな」と呪詛の言葉を吐きつつ。残っていた下着も全部脱ぎ捨て、全裸になった。全力で目を逸らす。俺だってなぁ、男の子なんだぞ!
「その都市伝説は割と最近出来たものじゃないか?私も古いものは幾つか知ってるけど、最近のものはよく知らないからね」
恥ずかしがっている俺とは正反対に、姉さんは堂々としたものだった。4つも年下の弟の前で裸になることくらい、どうってことないらしい。それはそれで悲しいものがあるが……。
「都市伝説ーーーね。ふん。あんまり気にするなよ。ネットではそれこそ、たくさんの都市伝説があるけれど、大抵は根も葉もない噂だったりする。だけどね、多くの人に信じ込ませることで”噂”が”事実”になることもある」
「噂が……事実に、なる?」
「そう。アヤカシや怪異ってーのは、人が生み出したモノなんだよ。例えば……暗い夜道に対する恐怖心から”後引き神”や”べとべとさん”なんていう妖怪が生まれたりな。都市伝説も然り。あれは人から人へと伝わっていく噂話。ただの噂話でも、多くの人間が認知し、把握し、恐怖すれば、怪異は簡単に生まれるさ。鏡から出てきた腕も、きっとそうして生まれた怪異だろう。腕という形を取ってきたのは……まあ、人間の体の一部だったら腕でも足でも顔でも良かったんじゃねーか?怪異は人間に畏れられてこそ、怪異になれるからな。要はお前を怖がらせたかったんだよ」
長い説明を終えると、姉さんは湯船から上がり、体を洗う用のスポンジにボディーソープをたっぷり染み込ませた物を、武器のように構えた。
「そろそろ上がれよ。体洗ってやるよ」
……俺はブクブクと湯船に沈んだ。色んな意味でのぼせたらしい。
作者まめのすけ。