俺には4つ年上の姉がいる。最近、かなりの率でブラコン度が増してきた姉さんは、やたらとスキンシップを取ってくる。キャミソールとショーツという薄着で抱き付いてきたり、「今晩、一緒に寝ようか」と言ってきたり……今日なんて、わざわざ高校を休んで俺の参観日に来ていた。マジでビビった。
クラスメートからは「あのキレーな人誰?」「誰のお母さん?」「いや、お母さんにしちゃ若過ぎでしょ」「お姉さんかな」などと、歓声めいた声が上がる中、俺はひたすら俯いていた。
お陰で授業は殆ど上の空。確か現国の授業だったと思うが、先生の話なんてサッパリ頭に入ってこなかった。ノートも真っ白だし。
悪夢のような授業参観が終了し、ホームルームを終えて帰ろうとしたら、姉さんが校門で俺を待ち構えていた。確か授業参観の後は保護者同士の懇談会がある筈なんだが……。それには出ないのか?
「ね、姉さん…?懇談会には出なくていいの?一応、母さんの代わりで来てるんだから、出た方がいいんじゃない?」
「やだね。ンなかったるいもん誰が出るか。私が今日、ここに来たのは品定めだよ。お前のクラスメートの雌豚共がどんな顔触れか確かめてみたかっただけだ」
さらりと毒を吐き、「帰るぞ」と踵を返す。あまりの潔い暴言っぷりに、逆に清々しく感じてしまう。悪口もこうも堂々と目の前で言われると、後腐れがない。
俺達は並んで帰路についた。姉さんは機嫌がいいらしく、家に帰ったらホットケーキでも焼いてやるぞとか言っていたが、彼女の料理の腕前を熟知している俺は、胸焼けがしてきた。
胃液が込み上げてくるのを我慢しながら歩く。そこは丁度、高層マンションの下だった。すると、急に姉さんが立ち止まり、ふと上空を仰ぐ。つられるようにして俺も空を見上げると、白いふわふわしたモノが落下してきた。
ドシャッ!!!!ピチャッ……ピチッ……、
「…、…ッ、うわああっ!!!」
それはーーー人間だった。俯せで倒れているので顔は分からないが、長い髪とふわふわのワンピースから、女性だということが分かる。
投身自殺?飛び降り自殺?それとも事故?或いは殺人?あああ、そんなことより早く救急車呼ばなくちゃ。ええと、救急車なんて呼んだことないから、何番を押せばいいのか分からないぞ。110だっけ?いや、それは確か警察だ。どうしよう、早く呼ばないと大変だというのに、頭の中がパニックになってしまって、携帯をどこにしまったかも思い出せない!
「そうだ!確か警察は119番だ。でもって、あとは携帯を探してーーー」
俺がポケットや鞄をガサゴソ探していると、信じられない現象が起きた。これを奇跡と呼ばずにどうするーーー何と、地面に倒れていた女性がムクリと立ち上がったのである。
何階から落ちたのかまでは見ていないが、もしかしたら、そんなに高い階からは落ちていないのかもしれない。とりあえず声を掛けようとすると、姉さんがそれを手で制した。
「止めとけ。今の彼女に何を言っても通じねえよ」
「え…?でも、助けてあげなくちゃ。まだ生きてるみたいだよ。動いてるし」
「違う。よく見てみろ」
重苦しい口調で呟く姉さんを横目に、女性の様子を窺う。彼女はしっかりと両足で立っていた。おまけにどこも怪我していない。顔も腕も足も。ワンピースは破けてもいない。掠り傷1つ負っていないのだ。ただーーー彼女は正気を失っているかのように、目の焦点が合っていなかった。
「橋元君がいけないの。私を捨てたりするから。紗栄と浮気したりするから。私のお腹には橋元君の赤ちゃんがいたのになぁ。生みたかったのになぁ。橋元君との子どもだもの、可愛い筈なんだけどなぁ。橋元君が認知しないなんて言うから。別れようなんて言うから。結婚するって言った癖に、嘘つき。嘘ばっかり。覚えてなさいよ、ワープロに遺書を書いて保存してきたんだから。全部書いてやったんだから。世間に知らしめてやるんだからね。後悔しろ。
死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる死んでやるし ん で や る」
ブツブツと呟きながら、彼女はスッと消えた。あれっと思う間もなく、跡形なく消えた。
「あれっ……?」
ドシャッ!!!!ピチャッ……ピチッ……、
一瞬。瞬きしているほんの一瞬の内に、先程の女性が再び飛び降りてきた。何だこれ……。
「この道は駄目だな。もう通れない」
姉さんは呟くと、俺の腕を引き、くるりと方向転換した。そして交差点を渡り、わざわざ遠回りになるルートを選びながら、時間を掛けて帰宅した。
「あの人……、幽霊なの?」
玄関先でへたり込みながら姉さんに尋ねる。何て言うか、今まで見た中で、1番後味の悪いものだった。彼女は死した後も、ああして飛び降りているのだろうか。自分が既に死んでいるという事実に気付いていないのか?
姉さんは俺の頭にポンと手を乗せた。
「彼女はね、”地獄”に堕ちたんだよ」
「じ…地獄?閻魔大王様がいたり、血の池があったりするあの地獄?」
姉さんは呆れたように首を振り、「それは日本昔話に出てくる逸話だろ。小学生みたいなこと言ってんな」と俺の頭を軽く小突いた。
「自殺は最大の罪に値する。他人を殺すのも勿論罪だが、それに匹敵するくらい自殺というものは悪いことなんだ。自殺者は無限地獄に堕ちると言われている。無限地獄に堕ちた者は、自分が死ぬ瞬間を永遠に繰り返さなくてはならないんだ。無限のループーーーいつまでたっても救われることなはい。飛び降り自殺をした者は、ああして何度も飛び降りを繰り返し、首吊り自殺をした者は、何度も首を吊る。未来永劫、死の瞬間の苦しみを味わうことになる。成仏なんて出来ないし、魂が浄化されないから、生まれ変わることも出来ないんだ」
「……可哀想だね」
そういえば、伯父さんもそうだったっけ。彼もまた首を吊って自殺し、結果として地獄に墜ちた。伯父さんも、ああして何度も首を吊っているのだろうか。ずっとずっと、首を吊り続けてーーー今この瞬間にも。
「私に言わせれば、自業自得だよ。可哀想だとは思うけれど、同情はしない。ああなると、もう救う手立てはないしな」
さあて、ホットケーキでも作るかな。姉さんはとってつけたように明るく言うと、靴を脱いで上がり、キッチンへと入っていった。俺は玄関先でへたり込んだまま、両手を合わせて合掌した。
合掌したところで、どうにもならないのだけれどーーー彼らを救うことは出来ないのだけれど。合掌せずにはいられなかったのだ。
作者まめのすけ。