俺には4つ年上の姉がいる。来年、大学受験を控えている、ブラコン街道爆走中の姉さんだ。
姉さんはとにかくブラコン。とにもかくにも凄いブラコンなのだ。この間なんか、強制的に同じ機種のiPhoneを買わされたし、俺が「生足よりタイツの方が萌える」なんて言えば、やたらとミニスカートにに合わせてタイツ履くようになるし、やたらと手料理を振る舞ってくれるし。ここまでくると、病気のレベルかもしれない。
その上、とてつもなく嫉妬深い。アドレスに女の子の名前が入っていようものなら、カッターナイフを首筋に突き付けられたりしたこともある。ヤンデレって、姉さんみたいなタイプのことを言うのかな。よく知らないけれど。
まあ、とにかく。色々と性格的に問題がある姉さんだけれど、それでも俺は姉さんが好きだ。いや、誤解のないように言っておくけれど、あくまで「姉」という存在として「好き」なのであって、異性として好きなわけではないのだけれど。
俺は姉さんが好きだし、何だかんだ憧れてもいる。サバサバしていて、竹を割ったような性格も潔くて格好いいと思うしーーーそれに。
それに、何より「恩」を感じている。大袈裟な物言いででも何でもない、姉さんは俺の命を救ってくれた恩人なのだ。姉さんの暴挙っぷりは大したもので、俺彼女に殺され掛けたことは、なくはないのだけれど。でもまさか、命を救われることがあるなんて微塵も思わなかった。
だからこそ。どんなに不当な扱いを受けても、時にカッターナイフを首筋に突き付けられても、俺は姉さんのことを嫌いになんてなれないのだろう。
いきなり話がブッ飛んでしまい、申し訳ないが、俺は只今、辺り一面彼岸花の咲き誇る道なき道を歩いていた。彼岸花といえば、その名の示す通り、お彼岸に咲く花だ。その美しい外観とは裏腹に「地獄花」「幽霊花」とも呼ばれており、あまり縁起の良くない花として知られている。
「何だ、ここは……。どうしてこんな所にいるんだ?」
おかしい。今朝は確か定時に起き、朝食を食べ、学生服に着替え、中学校に向かった筈なのだが。慣れ親しんだ通学路には、彼岸花の咲いている場所などなかった筈なのだが…。
「よく来たね」
鈴の音のようなーーー静かな声が、した。一体いつからそこにいたのだろう。長い艶やかな黒髪をなびかせたセーラー服姿の少女が立っていた。
何と言えばいいのだろう……その子は何とな古めかしいイメージがした。今時の子にしては珍しく、髪を染めていなければ化粧もしないない。着ているセーラー服も、何となく一昔前の女学生が着ているようなデザインだった。
「えーっと…、君は?」
「僕に名前なんてないよ。僕は只の使いっ走りーーー哀しい中間管理職だからさ。名前なんて大それたもの、貰ったことがない」
女の子は俺からの質問にスラスラと答えたが、イマイチ感情のこもらない、ぶっきらぼうな言い方だった。使いっ走り?中間管理職?ワケが分からん。しかも女の子の癖に一人称が「僕」かよ…。
「…あのさぁ、君の言ってること、サッパリ分からないんだけど。ここはどこなの?俺、確か学校に行く途中だったんだけど……」
「そうだろうね。事故に遭った時、頭でも打ったんだろうね。だから記憶が飛んじゃってるんだろう。無理に思い出さなくていいよ。思い出されると困る。パニックになって騒がれても面倒だし」
「事故……?誰が事故になんて遭ったの?」
「君だよ」
セーラー服の女の子は、真っ直ぐ俺を指差した。
「落ち着いて聞いてね。君はね、通っている中学校に向かっている途中、居眠り運転のトラックに轢かれたんだ。で、病院に搬送されたけれど、既に虫の息。いつ死んでもおかしくない状態が続いている」
「ーーーはあ!?」
何じゃそりゃ。居眠り運転に轢かれた?病院に搬送されたけれど、既に虫の息!?いつ死んでもおかしくない状態ってーーーつまりは、瀕死の状態ってことじゃないか。
「覚えてないのも無理ないね。事故に遭った人間にとってみれば、事故なんて一瞬の出来事なんだ。一瞬の内に全てが片付き、終わってしまう。君もそうなんだよ。事故に遭った記憶を丸ごと忘れてしまっている」
「で、でもーーーじゃあ、今ここにいる俺は何なんだよ!別にどこも痛くはないし、喋れているじゃんか!自分の足で立ってるし、呼吸だってーーー」
「痛くなくて当然さ。今の君は肉体から離れた魂だけの存在だ。まだ確実に死んじゃいないけれど、時間の問題だよ。こうして君がここにいることが何よりの証だ。ここは此の世と彼の世の中間地点ーーー死んだ人間が来るべき場所なんだよ」
だから僕が来た。女の子はそう言うと、セーラー服なのポケットから朱い蝋燭を取り出した。マッチもライターも使っていないのに、蝋燭には一瞬で火が灯った。
「言い忘れてたけど……僕は彼の世に死者を送るための案内人だよ。ヘタに未練を残されて幽霊になって此の世に留まられても寝覚めが悪いからね。迷わないよう、ちゃんと案内してあげる。ついてきて」
女の子はそう言うと、俺に背を向けてスタスタ歩き出した。ついてきてと言われても……「はい、分かりました」と聞き分け良く言える人間がどれくらいいるのだろう。
「急にそんなこと言われたって……どうすりゃいいんだよ」
どうすればいい?こんな時、一体何をどうすればいいんだ?泣き叫べばいいのか?死にたくない、まだ生きていたいと、大声で泣くのが正解か?それとも、俺を轢いたトラックの運転手を憎めばいい?居眠りしながら運転なんかしやがって。絶対許さないし、祟ってやるからなと凄めばいいのか?
いやーーーそうじゃない。そうじゃないよな。
目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、両親の顔。祖父母の顔。クラスの悪友達。担任の先生。そして、最も強く思い浮かぶ人ーーーそれは、やっぱり姉さんなのだった。
「姉さん……」
何だかんだ、頼りがいのある人だった。オカルト絡みの事件は、全て姉さんが解決してくれたようなもんだし。そうそう、勉強も見てくれたりしたっけ。勉強が不得手な俺と違い、姉さんは成績優秀だったから、試験前は家庭教師をしてくれたしな。
手料理も何回も振る舞ってくれたし。まあ、その都度、俺は腹痛起こして病院に駆け込んだりしてたけどさ。誕生日には、仕事で忙しい両親に代わって、ケーキを買ってきてくれて、ずっと欲しかったマウンテンバイクを内緒で購入し、プレゼントしてくれたし。
夏には市営のプールにも行ったっけ。学校のプールじゃないんだから、自前の水着を持っていけばいいのに、わざわざスクール水着を着ていたし。しかも、微妙にサイズが小さいから、体とか胸のラインがくっきり浮かび上がっちゃって、注目の的だったな。
最近はコスプレにも目覚めたらしく、ネットでマニアックな衣装を購入してたし。この間なんか、体操服にブルマー着用して「一緒にストレッチしよう!」なんて笑顔で誘われたし。風邪引いて寝込んだ時は、ナース服に着替えて看病してくれたっけ。
……こうして思い返すと、すげーな。やっぱりあの人は只者じゃない。
無口でクールで無愛想で朴念仁だけど、たまに優しい時もあって。意地悪だけど、実はとても情の深い人で。血が繋がっていない俺のことを誰よりも大事にしてくれた。
そんな姉さんにーーー月並みな台詞だけれど、「ありがとう」って伝えたかったな。
「何してるの。早く行くよ。グズグズしてると置いてくよ。僕はグズな男は嫌いなんだ」
セーラー服の女の子が、少し離れた箇所から振り返って言った。やれやれ、行くしかないらしい。こんな場所に置いてかれても寂しいし……1人はやっぱり、心細い。
「……分かった。今行く」
覚悟が決まったわけではない。けれど、流されるまま、俺は女の子の後を追って歩き出したーーーのだが。
「鴎介(オウスケ)ーっ!!鴎介ーっ!!おーすけぇーッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!」
名を呼ばれ、振り返る。そこには咲き乱れる彼岸花を蹴散らす勢いで走ってくる1人の女の人がいた。
長い髪を振り乱し、ボロボロと大粒の涙を零し、顔や眼の縁を真っ赤にして。子どものように泣きじゃくりながら、俺の名前を呼び、こちらに走ってきたのはーーー
「姉さん……!」
「鴎介!良かった、間に合った!!」
姉さんは勢い余って抱きついてきたので、その反動で俺は尻餅をついてしまった。姉さんはそんなこともお構いなしで、俺の背骨が軋むような勢いで抱き締めてくる。
「良かったー!良かったー!間に合って良かったー!本当に良かったー!無事で良かったー!」
「ね、ねえざん……ぐ、ぐるじい…!」
「この莫迦!私を置いて死ぬなんて、絶対に絶対に赦さないからな!例え死んでも、地獄の果てまで追い掛けて連れ戻してやる!お前の命は私のものだからな!私がお前の命を握ってるんだから!勝手に事故って勝手に死ぬな!!」
うあああん、と。姉さんは子どもみたいに思いっ切り泣き喚いた。凄い力で締め付けられて苦しかったけれど……俺も泣きそうになった。姉さんがこんな風に大泣きしたのを見たのは初めてかもしれない。
「……感動の再会シーンに水を差すようで悪いんだけど。僕の存在を無視しないでくれるかな」
ふと顔を上げると。セーラー服の女の子が困ったような表情で、俺達を見つめていた。姉さんはグスンと鼻を啜ると、キッと女の子を睨み付ける。
「お前、私の弟をどこに連れてくんだ。こいつはまだ生きているんだぞ」
「だから言ってるだろ?時間の問題だよ。どうせその男の子は助からない。一応、微弱ながらも生命活動は続けているようだけど……それもあと、数十分続くか続かないかってトコロでしょ」
「そんなことはない。こいつは死なないさ」
「何でそんなこと言えるの。というか、あなたは何者なの?見たところ、あなたは死者ではない。死者でない者がどうしてここにいるんだ?」
姉さんはニヤリと笑い、俺の肩をグイと抱き寄せた。
「私の名前は御影(ミカゲ)。この子のお姉様だよ。この子は、鴎介は絶対に死なない。死なせない。死なせるものかよ。だから迎えに来た。悪いけど、この子は返して貰う」
「……だから。何であなたはここに来れたのかと聞いている。普通の人間には到底不可能なことを、あなたはいとも簡単にやってしまっている。おかしいよ。あなた、一体ーーー」
今まで無表情で通していたセーラー服の女の子の表情が強ばっていく。しかし、姉さんはその質問には答えず、俺の手を強く握り締めると、こう言った。
「この子は死なない。私が助けるから。この子の代わりに、私の体の一部をどこでもくれてやる。目玉でも手でも足でも脳でも心臓でも、何なら子宮だっていい。魂だってくれてやるさ。だから、この子は返して貰う。私の大切な弟は、返して貰うからな」
※※※※※
「………」
目が覚めた。まだ焦点が定まらず、ぼんやりとした周囲の様子が見えない。2、3度瞬きすると、俺の顔を覗き込んでいる数人の女性が見えた。
「意識が戻ったわ!」
「先生呼んできて!それにご両親も!」
「こんな状態から生還するなんて……」
それからまたざわざわと周囲が騒がしくなり、意識がハッキリと覚醒した頃には、ドクターと思しき白衣姿の男性や、泣き腫らした目をした両親らに取り囲まれ、診察を受けたり何なりで目まぐるしかった。
どうやら事故に遭ったのは事実らしく、俺は10日ほど昏睡状態だったらしい。即死でなかったのが不思議なくらいに酷い事故だったらしく、体中のあちこちを骨折し、頭も強く打ったため、このまま目が覚めなければ、最悪死ぬかもしれないと医師から宣告されていたようだ。
だが、幸いにも俺は目を覚ましーーー後遺症が残るのではと両親はいたく心配したが、それも大丈夫らしかった。ただ、重傷には変わりないので、当分入院生活は続くし、その後も暫くはリハビリを続けなくてはならないのだけれど。
因みに。姉さんは俺が入院して2週間ほど過ぎた頃、漸く見舞いに来た。姉さんは凄まじく変貌していたので、俺はベットから転がり落ちるくらいに驚いた。
腰まであった長い髪の毛が、男の子と見紛うほどに短いベリーショートになっていたのだ。ロングヘアーが何よりの自慢で、毎日トリートメントを欠かさないでいたというのに……それがどうして。
「嗚呼、髪の毛か?お前の代わりに持っていかれたんだよ。ほら、あのセーラー服のちんちくりん娘に」
姉さんは短くなった髪の毛の毛先を指にクルクルと巻き付け、あっけらかんと笑ってみせた。
「体の一部を代わりにやるって言っただろ?そしたら髪の毛を持ってかれたんだよ。私の髪は、もう一生伸びない。ずっとこのままだ。だがまあ、これはこれで乾かすのが楽でいいな」
「……ごめんなさい。俺のせいで……」
「謝るな。私が好きでしたことだ。術も成功したしな。あの場所に行くためには、ちょいと難しい術を使うんだが、何とか上手くいったし。術に失敗したら、今頃私も御陀仏だったんだぜ。それがこうしてお前も私も生きているんだからさ。儲けモンだよな」
だから、もう勝手に死ぬなよ。
そう言って。姉さんは快活に、気持ち良く笑うのだった。
やっぱり、俺の姉さんは只者じゃない。
作者まめのすけ。