九回目の投稿です。
僕はアルビノと呼ばれる先天的な病気です。
体毛が白金であり、肌が白く目は淡い赤色です。
それ以外は普通の人と何も変わりません。
前回投稿させていただいた、『廃病院』の続きの話をさせていただきます。前回のあらすじは大変恐縮ですが、割愛させていただきます。
あれは高校二年の夏休みのことだった。
僕は仕事が終わってから休憩室で、社員の笹木さんの『怖い話』を聞いて、ちょうど休憩室から出たところだ。とにかく一刻も早く、ここから離れなければいけない。階段を駆け下り、駐輪場へ向かった。
自分の自転車の前まで行き、ポケットの中の財布から自転車の鍵を取り出した。無駄な動きは一切無く、最短で自転車の鍵を解除する。
瞬時に僕は自転車に跨がり、ペダルに足をかけ、勢い良くペダルを漕ごうと足に力を入れた。
「あれ?」
不思議なことが起きていた。ペダルを漕ごうとしているが、ぴくりともペダルが動かないのだ。僕は焦って後ろを振り向いた。そして更に焦ったのだ。
「逃がさねーよ、龍悟くぅぅぅん」
僕の後ろには大男が立っていた。そう、『笹木さん』だ。笹木さんは右手でがっちりと僕の自転車の荷台部分を掴んでいる。
僕はここから離れるのを諦めた。いや、始めから逃げられると思っていなかった。僕は笹木さんに肩を抱かれ、強制的に休憩室へ戻された。
「まぁ座れや!」
笹木さんは笑顔であったが、目は本気だ。
「な、なんですか?僕に何か御用でしょうか?」
「とりあえず俺の話を聞け」
笹木さんは色々と回りくどく、長々と話してきたが、分かり易く解説するとこうだ。
笹木さんには年の離れた妹がいる。その妹は大学生で、大学のオカルト研究会みたいなのに入り、心霊スポット巡りなどを楽しんでいる。何かのタイミングで妹に『廃病院』での出来事を聞かせてしまったため、妹はそれから廃病院に連れてけ連れてけとうるさいそうだ。妹にとびきり甘い笹木さんはうまく断れずに困っているという。
「で、僕に何をしろと?」
笹木さんは満面の笑みで僕の肩を数回強めに叩いた。
「これ以上は説明しなくても分かるだろ?お前には霊感がある!その霊感のあるお前から、俺の妹にあそこの病院は危険だから行くなと説明すりゃー完璧よ!」
笹木さんは自信たっぷりに言い放った。とても嫌な予感がするため、本気で断りたかったが、断った方が怖いことになりそうなため、渋々首を縦に振る決断をした。
「そぉこなくっちゃ!話がわかるねぇ龍坊は!善は急げだ!早く車に乗れ!」
変な呼び名が気になったが、とにかく笹木さんの車に乗り込んだ。
笹木さんの運転は荒すぎる、いや上手すぎる。事故ギリギリの運転で心臓が何度か飛び出そうになるのを必死で耐えながら、妹さんの家に無事に着くのを助手席で静かに願った。
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「着いたぜ」
そこはレンガ調の綺麗なアパートだった。僕は車を必死で降り、震える膝を押さえながら笹木さんと妹さんの部屋へ向かった。
「ピンポーン」
「はーい!」
妹さんの声が聞こえた。笹木さんの妹さんということで、どんな人なのか頭の中で色んな想像をしながらドアが開くのを待った。
「ガチャ」
ゆっくりとドアが開く。
「お兄ちゃんいらっしゃい!」
僕は妹さんの姿を見て驚愕した。半端じゃない。半端なくかわいいのだ。綺麗な茶色い髪で、顔は小さく、目は大きく、くっきり二重でハーフっぽい印象だった。僕は衝撃のあまり、何度も笹木さんと妹さんを見比べてしまった。
「じろじろ見てんじゃねーよ!上がれ!」
軽く頭を小突かれながら、部屋に上がらせてもらった。部屋の中はカレーの匂いで充満していた。
「初めまして!私の名前は『杏里』よ!お兄ちゃんがいつもお世話になってます!」
とても礼儀正しく、僕に軽くお辞儀をした。
「あっ、どうも!龍悟と申します!」
僕は緊張気味に言うと、
「龍悟くん、よろしくね!あなた吸血鬼に似てるわね!」
杏里さんはそう言って無邪気に笑っていた。悪意があるかどうか定かではないが、僕は特に嫌な感情は湧かなかったので、愛想笑いだけしておいた。
「おめーらニヤニヤしてねーで、飯にすんぞ」
そう言って三人で食卓を囲み、カレーをご馳走になった。笹木さんの前には缶ビールが3缶あったが、カレーと一緒に一瞬で飲み干した。杏里さんもビールを美味しそうに飲んでいる。
笹木さんは膝を強く叩き、
「あ、杏里よぉ、れ、れ、例の話だが…」
笹木さんは少し口ごもり、僕をチラッと見てきた。どんだけ妹に弱いんだかと思いながら僕は助け舟を出した。
「杏里さん、あそこの廃病院は危険です!僕には霊感があるんですが、あそこの病院からは物凄い不吉なオーラを感じますし、笹木さんの話を聞く限りでは、中途半端な考えで行く場所ではないと思います!」
僕は適当なことを言ったが、笹木さんは『でかした!』といった表情を僕に見せた。杏里さんは驚いた顔をしていたが、
「いきなりびっくりした!でも安心して!私も霊感あるし、除霊方法だって分かるし、中途半端な考えで行くわけじゃないんだからね!」
杏里さんは凄い目力で僕を見つめてきた。こりゃあ筋金入りの頑固娘だなと感じた。
「でも、本当に危ないですよ!下手したら死ぬこともあるかも知れません!笹木さんも死ぬ覚悟でって…」
笹木さんの方を見ると、杏里さんに睨まれており、頭をかいて汗を滝のように流してした。
「パン!」
杏里さんは手を叩いた。
「いいこと思いついた!龍悟くんも霊感あるんだし、お兄ちゃんと龍悟くんと私の三人で行こう!そうしよう!」
杏里さんは何故かハイテンションだった。杏里さんの目の前にはいつの間にか缶ビールの空き缶が4缶も並べられていた。更に1缶飲みながら頬を赤く染めている。
話にならないと思い、笹木さんを見ると、笹木さんは頭を抱えていた。
「お兄ちゃん!もし連れて行ってくれるなら、前から行きたがってた動物園に一緒に行ってあげるよ!」
笹木さんはテーブルに両手を付き、勢いよく立ち上がった。
「よっしゃ!杏里!その話乗った!」
笹木さんも杏里さんも大声で笑い、ビールの缶で乾杯していた。僕は仕事の疲れと二人のやりとりにもうどうでもよくなり、勝手に杏里さんのベッドに横になり眠りに落ちた。
数時間後、あまりの騒音で目が覚めた。物凄いイビキが僕の睡眠の邪魔をするのだ。これは絶対笹木さんのイビキだなと思い目を開けると、目の前には杏里さんがいた。僕は何故か杏里さんを腕枕している状態になっていた。
僕が起きたのを見て、杏里さんはニコッと微笑んだ。そして僕のTシャツの中に手を入れて、僕の胸に手を当ててきた。
「龍悟くん凄いね。こうしてると龍悟くんの霊感が伝わってくるよ」
僕は緊張と興奮のため動けずにいた。杏里さんの手が徐々に下に下がっていく。
「我慢しなくていいよ」
耳元で杏里さんが甘く囁き、僕に体を密着してきた。僕の理性は崩壊寸前のところまできていたが、そこであることに気付く。僕の生死を分ける重大なことだ。そう、『イビキ』が聞こえないのだ。
僕はとっさにベッドから飛び降り、姿勢を低くして部屋のまわりを見渡した。あの大男の姿が見たら無い。何でもイイ、とにかく武器を持たなければと思い、武器になりそうな物を探していた。
「おめー何やってんだ、コラ」
笹木さんに肩を掴まれた。僕は必死に身構える。
「おめーもトイレか?トイレならあそこだ」
トイレを指さすと、すぐに横になって寝てしまった。僕は安堵し、その場に座り込んでしまった。ベッドの方を見ると杏里さんが、からかっているかのようにクスクス笑っている。年上の女性の怖さを感じながら、ベッドの下で眠りについた。
次の日の朝、笹木さんに叩き起こされ、そのまま仕事に行くことになった。そして、『廃病院』に夜中行くことが決定していた。もちろん拒否権はない。仕事を終えて一度家に帰り、シャワーを浴びて笹木さんが迎えに来るのを待った。
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午前0時を少し過ぎた頃、携帯の着信が鳴った。携帯を手に取る。笹木さんからだ。僕は静かに家を出た。笹木さんは黒いタンクトップに黒のハーフパンツ姿で、家の前に立っていた。
「乗れ」
僕は車の助手席に乗り込み、杏里さんの家に向かった。
杏里さんの家に着き、インターホンを押すと、すぐに杏里さんは出てきた。小さめのTシャツに短パンで、肩に大きめのショルダーバッグをかけていた。バッグからは何やらボトルの先が顔を出していた。バッグの中身が気になりながら車に乗り込み、廃病院へ向かった。
車の中で杏里さんに何を持ってきたのか聞いてみた。杏里さんはバッグのジップを開き、
「えーとねぇ、御札でしょ!数珠でしょ!お清めの塩でしょ!」
そう言いながらバッグから次々と出してきた。そして一升瓶が顔を出した。
「神酒でございまぁす!これがあれば完璧でしょ!」
杏里さんは一升瓶を持ち上げ、自信に満ちた顔をしている。なんだか笹木さんに似ていると感じた。
「こんなにどこで手に入れたんです?」
「企業秘密でございます!」
杏里さんは何だか嬉しそうに、にっこり微笑んでいた。そうこうしている内に徐々に廃病院が見えてきた。笹木さんの言うとおり、一面更地であり、そこにポツリと立っている病院は奇妙であり、とても不気味に感じた。
車を廃病院の目の前に止めた。車から降りるとすぐに寒気が襲ってきた。想像以上だ。僕が想像していた以上にこの『廃病院』はヤバい。病院の前に立っているだけなのに、病院から禍々しいオーラを強く感じる。杏里さんもこのオーラを感じているのか、表情が引きつっているように見えた。
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「おし、行くぞ」
笹木さんの掛け声とともに、僕たちはゆっくり病院の中に入っていった。病院の中に入ると、今まで見たこともない光景が待ち構えていた。人ではないものがうじゃうじゃいるのだ。数にすると二十体はくだらない。入ってすぐの待合室の椅子に腰かけているものや、まわりをうろつくものが見えたが、どれも悪いオーラは感じられなかった。
杏里さんは怖いのか、両手で数珠を胸の辺りで握りしめていた。
「杏里さん、見えてる?」
杏里さんは何度も首を縦に振っていた。笹木さんの後ろについて進んでいたが、少し進むと笹木さんは急に足を止めた。そして僕と杏里さんの方を向いて、
「ちょっと行きたい場所があるから、お前らはここら辺で待っててくれねーか。」
「笹木さん、どこ行くんですか?」
「ちょっと気になることがあってな、とにかくここらで待ってろ!すぐ戻ってくる」
そう言って、走って階段を下りて行った。僕は笹木さんがどこに行ったか予想はついたが、一緒に行く勇気がなかったため、ここらへんで杏里さんと待つことにした。
「お兄ちゃん一人で大丈夫かな?」
「あの人は何があっても大丈夫だよ」
僕たちは怖さを紛らわすために、何か話そうとお互い必死であった。待っている間にも、人ではないものが僕たちのまわりを歩き回っている。
「ポン、ポン、ポン、ポン、ポポポポポン」
奇妙な音が階段から聞こえてきた。僕と杏里さんは階段の方へ向かった。階段まで行くと、薄汚れた青いボールが落ちており、階段の上から子供の笑い声が聞こえる。恐る恐る階段の上に視線を移すと、そこには小さい子供が三人いて、僕らを指さして笑っているのだ。杏里さんが階段を上り始めた。杏里さんの両隣には子供がいて、杏里さんの両腕を引いていた。
「杏里さん!危ないよ!」
僕の声に杏里さんは反応しない。杏里さんを追いかけようとするが、僕の足は全く動かなかった。
下を見ると、子供が二人で僕の両足に抱きついている。しかも二人とも僕を物凄い形相で睨みつけているのだ。僕は両腕の数珠を外した。
「アソボアソボアソボアソボ」
子供の声が頭に響いてくる。遊んでほしいのに何で睨んでんだと思いながら、僕は二人の子供の頭に手を乗せた。
「離れろ!」
子供は一瞬で僕の両足から離れ、壁に吸い込まれるように消えていった。僕は急いで階段を上った。2階に着くとすぐにナースステーションが見えた。僕は笹木さんの廃病院での話を思い出し、ゾッとした。人を乗せる台車が奥のトイレ付近に見えるのだ。嫌な予感が頭をよぎったその時、
「子供をいじめちゃダメですよぉぉぉぉぉぉお」
低い女性の声が聞こえた。恐怖で一瞬体が硬直した。僕はまわりを必死で見渡したが、女性らしきものは見当たらない。杏里さんを探すため、少しずつ廊下を進んで行った。
「きゅるきゅるきゅるきゅる」
「嘘だろ!」僕は心の中で叫んだ。奥にある台車がゆっくりと動き出したのだ。僕はすぐさま踵を返し、階段へ走った。階段を下りようとした時、誰かが階段を上がってきた。
「どこ行くのぉぉぉぉおお!」
階段を上がってきたのは、所々血で染まったナース服を着た女性であった。その女性は目と口から血を垂れ流し、薄ら笑いを浮かべている。右を見ると、台車があと少しのところまで近付いてきていた。迷っている暇はない。僕は階段を上る決意をし、全力で階段を駆け上がった。
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「きゃはははは」
3階に着くと、子供たちが廊下に溢れかえっていた。病室が何部屋か並んでいる。
「…ごめ…か…なか…おり…」
一番奥の病室から何か聞こえてきた。意を決してその病室まで近付いていく。
「いつ…でやる…けのばんに…」
声がどんどん大きくなる。何か歌っている様に聞こえる。部屋を覗くと、部屋の真ん中に杏里さんが耳を両手でふさいで座り込んでいるのが見えた。杏里さんのまわりには子供が数人囲んでいて、歌を歌いながら回っている。
「つぅるとかぁめがすぅべったぁぁぁ」
子供たちは『かごめかごめ』を歌っているのだ。僕は杏里さんを助けようと病室に飛び込んだ。飛び込んだと同時に体が急に重くなり、僕は膝をついて地面に崩れ落ちてしまった。何かが体に乗っている。耳元で子供の笑い声が聞こえた。大勢の子供たちが僕の体にのしかかり、身動きが出来なくなってしまった。子供たちの歌は続いている。
「うしろのしょうめんだぁぁぁあぁぁぁれぇぇぇぇえ」
そこで杏里さんを囲っている子供の動きは止まり、杏里さんは呻き声を上げていた。
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「俺だ」
子供たちが歌い終わったと同時に、男性の声が聞こえた。足音が僕の後ろから聞こえ、誰かが僕の脇を通って杏里さんに近付いていく。黒いタンクトップに黒のハーフパンツ。
笹木さんだ。笹木さんが杏里さんに近付いた。笹木さんの体から物凄い量の真紅のオーラが溢れ出て部屋全体を包んでいた。笹木さんはゆっくりとしゃがみ、杏里さんの頭に手を乗せた。その瞬間に子供たちの姿が消えていき、僕の体も軽くなった。
「怖い思いさせてごめんな」
笹木さんは杏里さんの頭を撫で、ゆっくり立たせた。
「笹木さん!」
僕は笹木さんに駆け寄った。そして軽く頭を小突かれた。
「あまり動くなって言ってあったろ?おめーらの姿が見えねぇから心配したぞ!」
笹木さんは笑って僕の頭をポンポン叩いた。
「もう、用事は済んだんですか?」
「あ?んー、もう一か所寄ってもいいか?4階に行ってみたいんだ。」
僕も杏里さんも笹木さんがいるという安心感で、笹木さんの意見に賛成してしまった。三人で廊下に出て階段へ向かう。
「そういえば笹木さん!3階に来るときに危険な霊とかいませんでしたか?!」
「あ?なんか変なのいたけど、黙らしといた」
笹木さんはそう言うと、右腕の力こぶを笑顔で僕に見せつけてきた。階段を上り、4階に到着した。
廊下を進んで行くと、『浴場』の文字が見えてきた。両開きのドアが閉まっている。
笹木さんは一気にドアを開け放った。中は脱衣場となっており、一つベッドが置いてあるだけだった。奥に浴室へ入るためのドアが見えた。そのドアからは、異様な空気が漏れ出している。そんなことは構わずに笹木さんはドアの取っ手を掴み、勢い良く開けた。
中に入ると、左手に洗い場があり、右手には大人が十人くらい入れそうな、広い浴槽があった。その浴槽を見ると、浴槽の半分くらい黒い水みたいなのが溜まっているのが分かった。
「バタン!」
急に浴室のドアが閉まった。慌てて僕は浴室のドアの取っ手を掴み開けようとした。
「バチン!」
取っ手を掴むと、右手に電気のような衝撃が走り、取っ手から手を離してしまった。
「イイイイイイイィィィ!」
異様な声に振り返ると、杏里さんが浴槽を見て、震え上がっていた。浴槽からは真っ黒な人の形をしたものが何体も出てきているのだ。そいつらは禍々しいオーラを纏っていた。
笹木さんの様子がおかしい。笹木さんは浴槽を眺めたまま微動だにしないのだ。僕が何度も笹木さんを呼んだが、反応しなかった。
「ううううううぅぅ」
杏里さんが呻き声を上げている。杏里さんを見ると白目を剥き、自分の首を両手で絞めていた。杏里さんのまわりには黒いオーラが包んでいる。
僕は杏里さんの背中に手を当て、
「離れろ!」
と、力いっぱい叫んだ。黒いオーラは杏里さんから離れるが、すぐに杏里さんに入り込んでしまう。僕は何度も何度も黒いオーラを杏里さんから離していたが、きりがなかった。その間にも黒い人は次々に浴槽から出てくるのだ。そして杏里さんの中に入っていく。徐々に杏里さんを覆う黒いオーラが大きくなっていった。
「そうだ!」
僕は杏里さんのバッグを開け、御札を出し、その御札に念を込めて、杏里さんの背中に叩くように貼った。
黒いオーラが杏里さんから放出され、天井を覆い尽くした。
杏里さんの様子がおかしい。杏里さんの体は強張り、目を見開いて、呼吸がかなり乱れていた。僕はどうしたら良いか分からず、とにかく杏里さんを思いっきり強く抱きしめた。そして笹木さんの方を見る。
笹木さんは矢張り立ち尽くしたままだった。しかも大量の黒いオーラが笹木さんを覆っている。最悪の事態だった。
「龍悟くん、ありがと」
杏里さんが正気に戻っていた。
「よかった!とにかくここから出ますよ!」
そう言って杏里さんを立たせようとした時、激しい耳鳴りと頭痛が襲ってきた。
「後ろ!」
杏里さんが叫んだ。僕はとっさに振り返る。振り返った先には、禍々しいオーラを放つ何かが立っていた。その姿は異様で、人の形をしているが、体中には憎悪に満ち、呻き声を上げている顔が無数に付いている。
そいつは僕たちに向かってゆっくり近付いてくる。僕はそいつから目を離すことができなかった。そいつに意識がどんどん吸い込まれていく感覚に陥った。激しい頭の痛みで意識が遠のいてしまいそうになる。体も自由が利かないため、ただそいつを見ていることしかできなかった。
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「久しぶりじゃねーか、おい」
笹木さんの声が聞こえた。僕の脇を通り過ぎ、そいつにゆっくりと向かっていった。右手には一升瓶が握られている。笹木さんは眉間に酷くしわを寄せ、歯を食いしばり、目は血走り、その表情は『鬼』そのものであった。そしてそいつのそばまで行くと、一升瓶を大きく振りかぶった。
「パシャーン」
笹木さんはそいつの頭めがけて一升瓶を振り下ろした。一升瓶は割れ、中の神酒がそいつの全身を濡らしていった。みるみる黒いオーラが浄化されていき、そいつからは弱弱しいオーラだけが残った。笹木さんはそいつの頭を掴み、そのままズルズルと引きずりながら浴室のドアへ向かった。
「おめーらはここで待ってろ。絶対ここから動くんじゃねーぞ」
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。笹木さんはそいつを引きづりながら浴室を出て、どこかへ行ってしまった。浴室の黒いオーラは消え去っていった。
僕と杏里さんは顔を見合わせる。杏里さんは安心したのか、表情が明るくなり、僕に抱きついてきた。僕は疲れのため、その場に座り込んだ。
「笹木さん、どこに行ったんですかね」
「お兄ちゃんのことだから、お仕置きでもしてるんじゃないかな!」
杏里さんは無邪気に笑っていた。笹木さんのお仕置きを想像しようとしたが、やめておいた。僕は杏里さんの背中に目をやった。さっき貼った御札が真っ黒に色が変わっている。僕はその御札を剥がして、杏里さんに見せた。
「この御札って本物なんですね」
杏里さんは少し驚いた顔をして、
「龍悟くん、助けてくれてありがと!また一緒に心霊スポット行こうね!」
笑顔が可愛かったが、僕は二度と行かないと心に誓った。
少しすると笹木さんが戻ってきた。何かすっきりした顔をしている。
「帰るべ!」
僕と杏里さんは頷き、浴室から出た。最初に来たときとは大違いで、病院内は静まり返り、霊もほとんど見えなかった。
病院から出て車に乗り込み、無言で車を走らせた。笹木さんには聞きたいことが山ほどある。
「笹木さん、浴室でずっと動かずに浴槽の中を見てましたけど、何してたんですか?」
「あ?あん時はほったらかしにして悪かったな。少し話し込んでたんだ。」
誰と話していたのかは想像ができた。
「最後にヤバいのを連れて行ってましたけど、あの後どうしたんですか?」
「あ?あれね」
笹木さんは煙草に火をつけて、ニヤッと笑った。
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「食った」
笹木さんは僕の方を見て、笑っている。しかし、目は本気の目をしていた。それ以上僕は何もしゃべることができなかった。後部座席で杏里さんの無邪気な笑い声が聞こえる。
僕は一刻も早くこの車から降りなければいけないと強く感じた。
窓から外を見ると、満月が不気味に輝いていた。
作者龍悟
『廃病院』の続きです。
いったい怖いのは何なのか分からなくなりました。
長文ですが、読んでいただけたら幸いです。