俺には4つ年上の姉がいる。その名を玖埜霧御影(クノギリミカゲ)という。ただ、これは彼女の本名であるとは言い難い。いや、名前こそ御影で正しいのだけれど、玖埜霧という苗字の方は正しいとは言い難い。
何故ならーーー彼女こと玖埜霧御影は、玖埜霧家の養子なのである。養子ーーー養われる子と書いて養子。つまり彼女は、玖埜霧家の正式な子どもではない。どんな経緯があって彼女が玖埜霧家の養子となったのかはまだ伏せておく。今はまだ言うべき時ではない。いや、これから先も言うべき必要性のない事実なのかもしれない。
今、ハッキリ言えることは一つだけ。幾ら血が繋がっていないとはいえ。義理の姉弟とはいえ。法律の壁はーーー厚い。それこそベルリンの壁級に。人間が決めた正しき「法律」は、姉弟間の恋愛感情をか決して赦してはくれない。幾らお互いがお互いを異性として好きになったとしても、それを認めてはくれないのだ。
勿体ぶるような話を長々としてしまったが。最終的に何が言いたいのかといえば。
この先、何があっても。俺は姉さんを異性として「好き」になってはいけないと、そういうことだ。
「近親相姦」
放課後の教室。黄昏時を迎えた夕刻の色。夕日の橙色と夜空になりかけの濃紺色が混ざり合い、絶妙な色合いへと教室内を染めていく。
そんな中、教卓に座ってニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら独り言のように「近親相姦」などと呟いたのは、同じクラスの國達晃(クニダチアキラ)だった。
國達晃といえば、出席番号は13番。腰まで伸ばした長い黒髪。色白というより病的なまでの血の気のない素肌。常に右目を眼帯で覆い隠す彼女は、このクラスきっての変人である。
何故なら、彼女は今をときめく中学生女子に関わらず、大のオカルト好きなのだ。休み時間になれば表紙に魔法陣の描かれた怪しげな本を愛読書として読みふけり、授業中にも関わらず、奇声を上げて「悪魔様が降臨なさった!」などと喚いたりするのだ。そのため、クラスの連中や教師陣からも煙たがられていた。
因みに、國達には一人として友達がいない。どころか、その奇抜な性格が災いしてか、一部のクラスメート達から執拗な苛めを受けているようだ。尤も、國達はそんなことなど、毛ほどにも気にしていないようだが。
「玖埜霧。お前さぁ、お姉さんと仲いいんだって?何かさぁ、お前とお姉さんが庭先で肩車して遊んでたっていう噂を聞いたんだけど。それってマジなわけ?肩車って。きひひひ、やたらとディープな遊びだねぇ」
「……女の子はもっと可愛らしく笑えよ」
きひひひって、そんな魔女みてーな笑い方する奴、今日日いねーよ。俺はウンザリした顔で國達を見やる。正直、この女子は苦手だ。こいつの物言いは、どこか神経を逆撫でするようなものがある。
國達は「可愛らしく、だって?」と小馬鹿にしたように笑った。いちいち可愛くない奴だ。
「可愛らしく?何で私がそんな真似をしなきゃいけないの?そもそも、私が可愛らしくなんて真似したら気持ち悪いに決まってるじゃない。気持ち悪い。考えただけでも薄ら寒いよ。ただでさえ気持ち悪い私が、これ以上気持ち悪くなってどうするの」
「……そんなヒネた言い方するなよ。それより、さっさと仕事終わらせて帰ろうぜ」
「きひひひ。そうだねぇ、玖埜霧は早く帰りたいよねぇ。お家に帰って大好きなお姉様に甘えたいんだよねぇ。うんうん、分かるよその気持ち」
「………」
嘆息しつつ。俺は黒板消しで黒板を端から端まで綺麗に拭いていく。今日は出席番号が隣り同士の國達と日直当番の日だった。日直当番は放課後、日誌をつけたり教室内の整理整頓をせねばならないのだ。
まあ、面倒な仕事といえばそうなのだが。それよりももっと面倒なことは、誰もいない教室に國達と二人っきりというシチュエーションなのだった。
國達という女子の性格自体が苦手なこともあるのだが……それ以前の問題としてーーー
「恥ずかしがることでもないよ。オトコノコは年上のおねーさんに憧れるものだからねぇ。きひひ、それが例え実の姉だとしても……有り得ない話ではないさね」
教卓に腰掛け、足をブラブラと揺すりながら、國達は愉しそうに言う。俺はそんな彼女と反比例して、どんどんテンションが下がっていく。
「まぁ、中学生のする恋愛なんておままごとみたいなものだしね。一過性の麻疹みたいなものだよ。今はお姉さんが好きで好きで堪らないかもしれないけどさ、それも時間が解決するよ。時間は誰にでも平等だ。玖埜霧もいつかきっと、お姉さん以外の誰かを好きになる日が来るんじゃない?」
「俺は別に姉さんのことが好きってわけじゃ……いや、家族として、姉としては好きだけど。恋愛とか、そんな対象じゃないよ」
「きひひひ。そうかい。まぁ、それが正しいんだろうね。近親相姦なんて今時は流行らないしね。何年か前になら、近親相姦をテーマにした恋愛映画が話題になったみたいだけど……現実はそこまでロマンティックじゃない。気持ち悪いもんね、兄弟間の恋愛なんてさ。有り得ない」
私の存在くらいに有り得ない、と。國達はそう言って、またきひひひと笑う。嫌な笑い方だ。そして嫌な奴だ。内心イライラしつつも、俺は黒板を消し終えた。あとは日誌を書いて、職員室にいる担任に提出すれば仕事は終わりだ。
「おい、國達。日誌はどこだ」
「嗚呼、はいはい。日誌とは学級日誌のことだね。ここだよここ。私が座布団代わりにしてた」
ピョコンと教卓から降りる國達。なるほど、確かに学級日誌は教卓の上にあった。仮にも学級日誌を座代わりにして教卓に座っていたとは……。國達晃、本っ当に嫌な奴だ。
「お前さ、國達。俺が黒板を消している間に日誌を書いておくとか、そういう気遣い出来ないの?無駄なお喋りをしている時間があるなら、手を動かせよ」
「きひひひ。無理だよ。私がマトモに日誌を書けるとでも?悪いけど書いといて。玖埜霧に任せるよ」
「………それもそうか」
そうだ。國達にマトモな日誌が書けるわけもないのだ。そんなこと、指摘されるまでもなく分かっている筈なのに。俺は苦笑すると、日誌をパラパラと捲り、書く欄を一つずつ埋めていく。
【今日のクラス活動】
そこの欄で、ふとシャーペンが止まる。今日のクラス活動……あるにはあったのだが。それは果たして書くべきか否か。いや、書かなくてはいけないのだろうけれど……でも。
「きひひひ。らしくもないことすんなよ。私に優しくしたって、何も出ないぜ。気にするな、書けよ玖埜霧」
ニヤニヤと。教卓を肘掛けに使いながら國達はやはり愉しそうに囁いた。俺はそんな彼女を見つめる。何とも言えない表情をしてーーー見つめた。
「書けよ、玖埜霧。”今日は朝のホームルームの時間に、事故死したクラスメートの黙祷を行いました”そう書けよ」
ーーーそう。そうなのだ。今朝のホームルームでは、確かに事故死したクラスメートの黙祷を行った。
その事故死したクラスメートというのが他でもない。國達晃なのである。
「今朝、うっかり寝坊しちゃってさ。慌てて家を出て、慌てて横断歩道を渡ろうとしたら、信号を無視したダンプカーに牽かれてそれっきり。ジ、エンド。何のドラマもない死に方をしたもんだよ」
國達晃は死んだ。既に死んでいる。つまり、今、俺の目の前にいるのは國達の幽霊なのだろうか。
先程、俺が黒板を消している間、学級日誌を書かない彼女のことを責め立てたが。國達が言う通り、マトモに日誌が書ける筈がないのだ。
だって國達は死んでるんだから。教卓に座ることは出来ても、シャーペンを使い、文字を書くなんてことは出来なかったのだろう。
「……早く成仏しろよな」
曖昧な笑みを浮かべる俺を見て、國達はやはり「きひひひ」と笑った。國達らしいーーー実に彼女らしい、意地悪な笑い方だ。
「成仏、ね。仏に成ると書いて成仏。仏なんかにはなりたくもないけどさ。行かなきゃいけないってことは幾ら私が莫迦者でも分かるよ。玖埜霧。色々意地悪を言ったけどさぁ、それはまぁ、照れ隠しだよ。私だって一応、女の子だからね。最後くらいはお前に可愛いって思われるような一言を残していくよ」
「泣いてくれてーーーありがとう」
下校を告げるチャイムが鳴った。俺は誰もいなくなった教室で一人立っていた。
”泣いてくれてありがとう”
國達が最後に言った言葉。その言葉の通りである。俺は今朝のホームルームにて、初めて國達の訃報を担任教師から聞かされた時、何故だか泣いてしまったのだ。
國達の死がショックだったとか、そういうことではない。彼女と仲が良かったわけではないし、どちらかといえば苦手なタイプだった。変わった性格の持ち主で、かつクラスから浮いていた國達のことを、少なからず疎遠に思っていたことは紛れもない事実だ。
それなのにーーー何故か泣いてしまった。泣けてしまったのだ。
だって。
「黙祷こそ神妙な顔付きでしていたクラスメートも、担任教師も……黙祷が済んだら平気な顔をして授業を始めたんだもんな」
別に美談を語るつもりは毛頭ないし、正義者ぶるつもりはないのだけれど。クラスメートを一人失ったくらいでは動揺しないクラスに、若干の疑問を感じた。それだけのことだ。
「さてと。帰るか」
日誌も書き終わったことだし。こんな日はさっさと帰って宿題片付けて夕食済ませて寝よう。
……こんな日は、少しだけ。姉さんに甘えてみたくなる。
作者まめのすけ。