俺には4つ年上の姉がいる。正式な姉弟ではなく、義理の姉弟として一つ屋根の下に住むこと数年。
彼女のことを「姉さん」と呼ぶにも慣れ、健全……であるとは言い難いが、それでも特に問題なく、普通に……とも言えないが、まあ、仲良くはしている。
朝起きて顔を会わせれば「おはよう」と挨拶し、寝る前には「おやすみ」と挨拶する。職業柄、両親が遅くに帰宅するため、毎日のように一緒に食事を作って一緒に食べる。時には取っ組み合いの喧嘩もするけれど……どちらからともなく「ごめんね」と言い合って仲直りだ。
どこから見ても普通の姉と弟。だが、俺達は「普通」であるとは言えない。何故ならーーー見えるからだ。この世ならざるモノが。アヤカシが。怪異が。見える。見えてしまう。
この俺も、姉さんと行動を共にしているせいなのか、頻繁に不思議な現象に遭遇したり、時には危ない目に遭ったり……実に奇妙奇天烈な日常を送っている。まあ、簡単な御祓いが出来る姉さんとは違い、俺は見ることしか出来ないのだが。何ともおかしな姉弟である。
そんな話をふと姉さんにしてみたら、彼女は実に下らないというように鼻で笑った。
「見えてしまう人間が異常で、見えない人間が正常なのか?違うね。物事はそんなに短絡的じゃないんだよ。なぁ、鴎介。見える人間にも見えない人間にも、大した差はないんだよ。怪異ってーのはな、目の前に現れるモノじゃあないんだよ」
「なあ、玖埜霧。お前は幽霊を見たことがあるか?」
箒を片手に小声で耳打ちしてきたのは、クラスメートの悪友こと岩下孝文(イワシタタカフミ)だった。黒板消しを窓辺でパンパンと叩いていた俺は、面倒臭いなぁと思いつつ振り返る。
「何だよ、掃除中に。幽霊がどうしたって?」
「いやね、お前は幽霊とか見たことあるのかなーって。お前の姉貴、霊感強いんだろ?だったらお前もそうなのかなーって思ってさ」
「……そのテの話かよ」
誰がそんな噂を流しているのかは知らないが、うちの姉さんに関する様々な憶測が、このクラス内に飛び交っているのだ。そのため、よくクラスの連中が好奇心に抗えず、姉さんのことを俺に聞いてくるのである。
俺は綺麗になった黒板消しを抱え、窓を閉めた。あとは塵を捨てて、立ち並ぶ机を整理整頓させれば掃除は終了。そしてさっさと帰ろう。
「ふっふっふ。実はな、俺は今、霊感を上げるためのトレーニングをしているんだ」
「あ?何だって?」
霊感を上げるためのトレーニング?キョトンとしていると、岩下は得意気に頷き、箒を投げ捨てて俺に詰め寄ってきた。
「俺ってこう見えてオカルト好きな男子中学生なんだよ。でも残念なことに、霊感はからきしなんだよ。ああいうのって、先天的なものなんだろ?」
「生まれもっての能力ってことか?それは……どうなんだろう……一概にそうとは言い切れないような……」
「含むような物言いだな。まあ、それはともかく!」
岩下は自分の胸板を拳でドンと叩き、けほけほと蒸せた。思っていたより強い力で叩いてしまったらしい。何してんだが。
「…っ、聞け、玖埜霧。けほっ……、俺はだな、霊感を上げる…けほげほっ、ト、トレイニングを……」
「その件は聞いた。トレーニングって具体的にどうやるんだ?」
「ふっ。興味が湧いたか。では話してやろう」
ようやく落ち着いた岩下から聞いた、「霊感を上げるためのトレーニング」が以下である。
¤部屋を暗くする。深夜がベスト。電気は勿論、外部から光が漏れて入ってこないよう配慮する。
¤磁石を天井から細い糸で吊す。
¤その磁石をジッと見つめる。出来るだけ瞬きはせず、長い時間、磁石を見つめ続けること。
「これを毎夜繰り返しているとな、霊感が上がるらしい。幽霊なんかも見えてくるんだってさ」
どこから仕入れた情報だか知らないが、岩下はこの方法で霊感アップ?を目論んでいるらしい。何で幽霊を見たいと思うようになったのかは聞かなかったが……世の中には色々な思考を持った人間がいるものだ。
それでも何となく気にはなったので、俺は姉さんに岩下の秘密トレーニングについて聞いてみた。
「話の内容としてはこうなんだけど。そんなことして本当に霊感が上がったりするもんなの?」
姉さんの自室にて。フローリングの床の上でで胡座をかいて座っていると、姉さんも「よいしょっと」と言いながら、俺の膝の上に座ってきた。
「ちょっとちょっと、姉さん……。弟を座布団代わりにしないで下さいよ」
「岩下君に伝えとけ。君がしていることは、愚行以外の何物でもないってな」
「ハッキリ言うねー。つまり、そんなトレーニングをしたところで、霊感は上がらないってこと?」
「うーん、そういうんじゃなくてだな……」
俺の膝の上に座りながら顎に手をやる姉さん。数分後、やおら右手の人差し指で右側を指した。
「あっちむいてほい」
「…はい?」
「あっち。右側。私が指差した方角を見てみ」
わけが分からなかったが、とりあえず言われた通り、右側を見る。そこには「黒い人」がいた。
「……っ、」
目もなければ鼻もない。口も耳もーーー何もない。よく見ると、細かい虫のような小さな塊が大量に集まっていて、それらが凝り固まって黒い人型を象っているようだ。
「鴎介。そこに何かいる?お前には見えているか?」
「な、何あれ……。黒い人型が見える……」
「そう見えるか。アレはな、お前の眼球内にいる怪異だよ」
「がっ、」
眼球内!?眼球って……眼か?眼の中にいる?どういうことだ?姉さんはくすりと笑い、「まあ落ち着け」と呟いた。
「とある学者がな、実に興味深い学説を発表したんだよ。大雑把にまとめると”怪異とは、人間の眼球の中にしか存在しない”って感じかな。怪異は、見ようとして見るモノじゃない。実体がなくあやふやな存在だが、存在していないわけでもない。人間の眼球にこそ、怪異は存在している。だから見える。逆を言えば、見えない人間の眼球内には、怪異はいないんだよ」
「人間の眼球に……いる?怪異が?」
俺の眼球の中にも、怪異が存在している?
だったらーーーだったら、姉さんも?姉さんの眼球内にも、怪異はいるのか?
姉さんがくるりと振り向いた。目が合う。黒みがちな大きな眼球が、まっすぐに俺を捉えていた。
「鴎介。お前の眼球には私がどう映っている?”人間”に見えているか?」
作者まめのすけ。