「おい黒沼、起きろ!」
「…?鯱浦先生?」
いつになく焦った様子の鯱浦先生に起こされ、俺は三日目の朝を迎えた。
「た、大変だ…。」
「え…?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
豹崎さん宅のリビングに駆けつけると、オカ研部員達がテレビを食い入るように見つめていた。
「どうした…あ。」
見ると、ニュースで事件が報道されていた。
『尚、保護された柄 悪男さんは今だに辺りを見回し、何かに怯えた様子だそうです。』
名前は初めて聞く物だったが、画面に映る顔写真は見知ったものだった。
「昨日の地上げ屋じゃないか…。」
「そうなんだよ。」
鯱浦先生が眉を顰める。
「何でも、N県の山道のど真ん中で座り込んでるのが見つかったそうだ。なんか鳥居がどうとか狐がどうとか言ってたらしいぜ。」
「神聖な土地に手を出すからだな。」
突然後ろから声がかかった。
振り向くと、白ワイシャツに黒ベスト、蝶ネクタイの豹崎さんが立っていた。超バーテンって感じだ。
「豹崎さん…。」
「僕が許しても、お稲荷さんは許さなかったようだね。」
彼はそう言って微笑を浮かべた。
その微笑の奥に、一瞬冷たい光が見えたのは俺だけだろうか…?
「さて、黒沼君はまだ朝食食べてないだろ?作ってくるから、そこで待ってて。」
「はあ。」
豹崎さんは笑顔を崩さず、キッチンへと姿を消した。
「やっぱ何か起こってたんだなあ、オカ研活動して何も起こらないなんておかしいと思った。」
一ノ宮が大きく伸びをし、欠伸混じりに言った。
「自分が巻き込まれなくて良かった…。」
美鷹はビビりなのでほっと胸を撫で下ろしている。
「見たかったなあ、お稲荷さん…。」
それと正反対に、オカルト大好きな狗神さんはひどく残念そうだ。
ミヤさんは先程から何やら考え事をしているようだ。机に肘をつき、豹崎さんのいるキッチンの方を見つめている。
「ミヤさん、どうかしたの?」
彼はちらっとこちらを見て、また視線をキッチンに戻した。
「ああ…。何でもない。」
この様子で何でもないわきゃないのだが、これ以上つつくとマジギレされそうだったので、
「…そう。」
取り敢えず納得した「ふり」をしておいた。
「黒沼君、できたよ。」
「あ、豹崎さん。ありがとうございます。」
彼の持ってきてくれた目玉焼きのせトーストをかじりながら、俺は考える。
豹崎さんは確かに優しい。優しいけど…。何か腹に一物ある気がしてならない。
「よし、じゃあ黒沼が食べ終わったら今日の目的地出発な。」
鯱浦先生が言うと、狗神さんが
「今日は確か…廃遊園地ですよね?」
と目を輝かせた。
「ああ。お化け屋敷とか怖いぞ〜。もしかしたら呪いで出られなくなっちまうかもしれないぜ〜?」
「呪い…ですか?」
したり顔で頷く先生。狗神さんを脅せたと思ったんだろう。
「…凄いですっ‼」
「は?」
「呪いって一度かけられて見たかったんですよー、藁人形でこう…とか!あー楽しみ♡」
狗神さんは丑の刻参りのジェスチャーをしながら恍惚の表情を浮かべた。
「ええぇー…。」
先生驚愕。驚愕通り越して呆れかえってます。先生、無理ですよ。俺達も何度も試みましたが、彼女のオカルト愛の前にすべて撃沈しました。
「…く、黒沼。食べ終わったか?」
「ああ、すみません。もう少しです。」
先生の問いに、あと一欠片ほど残ったパンを手に答えると、
「待て、黒沼。」
一ノ宮がいつになく真剣な声色で言った。
「どうした一ノ宮?」
「時計を見ろ。」
言われた通り、テレビ画面のデジタル表示を見る。6時50分。
「…それがどうかしたのか?」
俺が聞くと、彼は真剣な眼差しをこちらに向けた。
「見て分からないのか…?」
「…あ、ああ。」
そのただならぬ様子に、俺は少し怯んだ。
「…何なんだよ」
「お天気コーナーだっ‼」
…はい?
「あと5分でお天気コーナーが始まるんだ‼」
「それが…どうかしたのか?」
一ノ宮は呆れたように溜息をつき、続けた。
「あの美人お天気お姉さんの兎野 麗子お姉様が出るんだぜ⁉お前、知らないのかよ?あ、ほらもうあと3分だ!」
…忘れてた。こいつは煩悩の塊だった。
「黒沼、パン食っちまえ」
「3分以内に。」
「はい。」
俺は急いでパンを口の中に放り込み、咀嚼して飲み込んだ。
「お、お前らそれでも男か⁉」
「ああ。ただお前と違って上品なんだよ。」
俺はテレビを消し、立ち上がった。
「あ、何すんだよ‼」
一ノ宮が何やら騒いでいるが、気にしない。気にしたら負け。
「よし、じゃあ出発するか!」
「そうですね。」
俺達は意気揚々と豹崎さんの家を出た。一人を除いて。
「…兎野お姉様…。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「豹崎さん、お世話になりました。」
「いやいや、礼には及ばないよ。」
豹崎さんに別れを告げ、俺達は廃遊園地に向かった。いや、向かいたかった。
「ここから廃遊園地までって…バス通ってるの?」
「あ…。」
美鷹の指摘に、その場が凍りつく。
ここまではバスで来ているのだが、廃遊園地なんてコアな場所までバスが通っているとは到底思えない。
「ど、どうしよう…?」
「あ、良かったら僕の車、出そうか?」
「豹崎さん。いいんですか?」
彼は頷いて、
「それくらいお安い御用さ。」
と胸を張った。
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豹崎さんの車でも流石に7人は乗れないため、先生の実家から一台車を借り、鯱浦組と豹崎組に分かれて出発する事にした。
鯱浦先生の車にはミヤさんと美鷹、狗神さん
が乗り、豹崎さんの車には俺と一ノ宮が乗る。
「なんでこっちは野郎ばっかなんだ⁉」
「ジャンケンの結果だ。文句言うな一ノ宮。」
「ただでさえ今朝の兎野お姉様見逃してるのに…。」
一ノ宮は渋々車に乗り、窓から名残惜しそうに狗神さんを見ている。
「あー女、女が恋しいー。」
「うるさい。」
全員が車に乗り終えると、二台の車は鯱浦、豹崎の順で出発した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「へぇ。一ノ宮君は柔道黒帯なのか。道理で強い訳だ。」
「そうなんスよー、何てったって幼稚園の頃から柔道やってますから!」
「そいつは凄い!僕なんか昔っからひ弱でさ。」
なんだかんだ言って楽しくやってる一ノ宮。
「黒沼、豹崎さん動物好きなんだってよ。」
「ああ、聞いてたよ。」
「お前と気が合うかもな!」
「そうだな。」
返事をしながら、俺は全く別の事を考えていた。豹崎さん…。昨日は髪で隠れていたのか気づかなかったが、今日はオールバックのような髪型になっているので見える。左頬にうっすらと火傷の痕のような傷がついている。しかも左手の甲に包帯を巻いている。そこも火傷かな、客商売だから隠しているのだろうか?そもそも何によってできた傷なのだろうか?新しい傷ではなさそうだが。
「黒沼?」
急に声をかけられ、少し跳ねる。
「どうしたんだよ、さっきから黙り込んじまって。」
心配そうに顔を覗き込んでくる一ノ宮に俺は、心配ない、ただの車酔いだと嘘をつき、窓の外に目をやった。
いけないいけない。人を一度疑い始めるとキリがない。俺は豹崎さんの事を考えるのを止めた。
「黒沼君はオカルト研究部の部長さんなんだよね?」
「えっ、は、はい。」
今の今まで考えていた相手に声をかけられると、こんなに気まずく思うのか。
「どうしてオカルト研究部に入ろうと思ったんだい?」
「え…?」
予想外の質問に、俺は思わず動揺した。
「な、何でそんな事を?」
「聞いちゃあまずかったかな?」
「い、いえ…。」
答えてから、俺は考える。
この部に入ろうと思った理由…か。そんなの考えた事なかったな。
「いやー、何と無く、超常現象とかに憧れて、かな…?」
ありきたりな理由だ、と自分でも思った。
「ははは…。そうかそうか。」
いきなり笑われむっとした俺は、
「お…可笑しいですか?」
と、少し不機嫌に言った。
「ああ、悪い悪い。別に可笑しくて笑ったんじゃあないさ。」
豹崎さんはルームミラーからこちらをちらりと見て、
「ただ、夢があっていいと思っただけだよ。」
と、微笑んだ。
その笑顔からは何も読み取れなかった。本当に無邪気な、だが何ともいえない微笑だった。
と、その時。
「ん、あれは…?」
「どうしました、豹崎さん?」
見ると、前方に白いもやがかかっている。鯱浦先生の車が殆ど見えない。
「何だ…?」
一ノ宮も只事でない事を悟ったらしい。
「ちょっと鯱浦に連絡してみる。」
彼は携帯電話を取り出し、番号をダイヤルした。
「………鯱浦、大丈夫か?」
僅かに漏れる鯱浦先生の声を全神経を集中して聞く。
「豹崎。どうしたんだ?急に電話なんかかけてきて。」
「いや、何か霧みたいなものが…。」
「霧?何の事だ?」
豹崎さんはしばらく黙り、
「…そうか、分かった。」
と、携帯を畳んで仕舞った。
「鯱浦達にはあの霧が見えていないようだ。あれは何かあるぞ。」
再びルームミラーに映った豹崎さんの切れ長の瞳は、厳しく前方を睨み付けている。
「おいおい…。やばいんじゃねーのか?」
一ノ宮が窓に顔をくっつけて外を覗いている。
「先生の車…見えねえぞ?」
「まずいな…。途轍もない気配を感じる。」
「え、気配?」
「あ、いや!何でもない。」
豹崎さんはぐっとハンドルを握りしめ、
「君達。少しの間眠っていなさい。」
「⁉」
豹崎さんの声が聞こえたかと思ったら、俺を強烈な眠気が襲った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕はルームミラーを覗き、鯱浦の生徒達が目を閉じたのを確認した。
「…悪いな。起きていられると色々と面倒なものでね。」
僕の車に乗る事になったのが鯱浦の生徒達の中でも比較的鈍感そうな彼等だったのは、僕の生まれ持った悪運の良さの賜物だろうか?
「それにしても…これはどういうことだ?」
目の前に広がる白いもやを見ながら、僕は考える。
「鴉を呼ぶか…?」
僕が使うのは狐だけではない。鴉、蜥蜴、猫等大抵の動物は使える。
「…いや、こんな所に呼んだら元の場所に帰れなくなってしまうかもしれない。」
僕は車を停め、車外に出た。
辺りには霧が立ち込めていて、視界が利かない。
あまり車から離れてしまうと黒沼君らが心配だ。彼等は一応恩人だからな。まあ、あのうるさい男はいずれにしろ始末するつもりではあったが。
「勿論殺さず、自分の手は汚さずに、ね。」
一人冗談めかして呟き、小さく笑う。
「それはさておき、さて、どうしたものか…。」
今はこの状況を抜け出すのが先決だ。
夏だというのに冷えてきた。車に戻るとするか…。
僕は運転席に座り、車を再発進させた。
しばらく走ると、ようやく霧が晴れてきた。
「…何だあれは?」
進んだ先には、こんな辺鄙な場所には不釣り合いなゲートのようなものがあった。
くぐってみると、たちまち周りは寂れたような遊具に囲まれた。
「これは…遊園地か?」
そういえば廃遊園地がなんだとか言ってたな。ここがその遊園地だというのか…?
「黒沼君、一ノ宮君。起きてくれ。」
僕は黒沼君らを揺り起こし、車の外に出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「黒沼君、一ノ宮君、起きてくれ。」
豹崎さんの声だ。
「あれ、俺達何を…。」
気を失う前の記憶が全くない。車の外に出ながら豹崎さんに問う。
「僕もよく分からないんだ。ずっと車を走らせていたら、いつの間にかここに。」
「そうでしたか…。」
辺りを見渡してみる。観覧車、ジェットコースター、コーヒーカップ。かつて多くの人を楽しませていたであろう遊具達は、今では見る影もなく朽ちている。
「これ、もしかして…今日行くことになってた廃遊園地じゃないのか?」
一ノ宮がキョロキョロしながら言った。
「そうか!それなら先生達もいるはずだ!」
俺が先生達を探しに行こうとすると、豹崎さんが、
「やめておきなさい。僕も探したが、一向に見つからない。僕らがはぐれたら、それこそ終わりだ。」
と首を振った。
「そんな…。」
がっくりと項垂れる一ノ宮。
「狗神さんにいいとこ見せられないじゃんか…。」
そっちかよっ‼︎まあいつもの事か。
「で…どうします?連絡はつかないんですか?」
「ちょっとかけてみようか?」
「お願いします。」
豹崎さんは再び携帯をダイヤルし、耳に当てた。しばらくして、携帯を畳んで首を振った。
「そうですか…。」
どうしよう。頼れるミヤさんは鯱浦組だし、近くにいるのは筋肉バカの一ノ宮と謎の多い豹崎さんだ。
「とりあえず園内を回ってみようか?何か分かるかもしれない。」
「そうですね。」
俺達は豹崎さんを先頭に、遊園地の探索を始めた。
そういえば…。気絶する直前の記憶が朧げながらも戻ってきた。
『君達、少しの間眠っていなさい。』
そう、豹崎さんの声で聞こえたような…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
…ったく、どうなってやがんだ?先生には連絡つかねぇし、急に遊園地に来ちまうし…。
ついてねぇなあ、今朝の兎野お姉様見逃し事件は、不吉な事の前触れだったのかもしれん。やっぱし朝は女見ねーとな。うん。
「なあ、黒沼。」
「何だ?」
「一日の始まりは、いい女からだよな?」
「はあ?」
「いや、朝の兎野お姉様見てないからこんな事に…」
「ない。それはない。」
「………。」
全く、男のロマンてやつが分からないのか、こいつは。
しばらく歩くと、何やら建物が見えてきた。
「なになに…?鏡屋敷?」
「鏡…。前にミヤさんが言ってたな、魔を祓いもするが寄せ付けやすい事もあるって。」
そういやそんな事言ってたな。合宿初日に。
「入ってみるかい?調べ甲斐がありそうだぞ。」
「…そうですね。」
そのとき、黒沼が豹崎さんをちらっと睨んだのを俺は見逃さなかった。
何だ…あの敵意丸出しの目は…?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「…そうですね。」
彼はそう言って僕を睨んだ。
…ほう。彼は何か勘付いたようだね。どうやら僕は彼を過小評価していたようだ。
「さ、僕の後をついてくるんだぞ。君らに何かあったら鯱浦に合わせる顔がないからね。」
「大丈夫です。」
「え?」
黒沼君はこちらを見ずに、胸ポケットから小型のライトを取り出しながら言った。
「これでも色んな目に遭ってますから。一ノ宮、行くぞ。」
「え…ああ。」
一ノ宮君はこちらを心配そうに見てから、黒沼君を追って鏡屋敷なる建物に入った。
やれやれ、黒沼君にはすっかり嫌われてしまったようだ。
僕は彼等の後を追って、鏡屋敷へと足を踏み入れた。
「…黒沼君、一ノ宮君、どこにいる?暗くて視界が利かないんだ。明かりを貸してくれないか?」
まだそう遠くへは行っていないはずだ。
「黒沼君、一ノ宮君!どこだ⁉︎」
ここは迷路のような構造になっているようだ。もし僕が彼等と別の道を歩いているのなら、ここを出るまで落ち合えない可能性も高い。
「聞こえていたら返事をしてくれ!」
…おかしい。彼等の声どころか足音さえ聞こえない。普通こんな構造の建物の中だったら反響した足音が聞こえるはずなのだが。
僕は二人を呼ぶのを諦め、代わりに柏手を打った。
「急に来てもらって悪いね。でも君達ならここの事をよく知ってるだろう?」
集まった蜥蜴達に、僕は呼びかける。カナヘビ、日本蜥蜴と様々な種類が集まった。
「この鏡屋敷に、僕の友人が迷いこんでしまった。…尤も、向こうは必ずしもそうは思っていないようだが。…彼等を探し出してくれないか?君達なら鏡の隙間だって通れるはずだ。」
彼等は僕の頼みを聞き終えると、一斉に四方に散った。
「さて…と。」
僕は辺りを見回し、手近な場所の捜索を始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「おい黒沼、待てよ!」
一ノ宮が俺の肩を掴み、言った。
「何やってんだよ、豹崎さん置いてきたりして!」
「あの人はどう考えても只者じゃない。礼儀正しいジェントルマンを装ってはいるが、何を考えているのか分かったもんじゃない。」
「はぁ?何言ってんだよ黒沼ぁ⁉︎」
俺は彼を宥めつつ、鏡屋敷の奥へと向かった。
鏡屋敷という名の通り、壁が全て鏡で出来ている。老朽化しているせいか、壁に隙間は空いているがあの隙間では虫くらいしか通れないだろう。あそこから豹崎さんが出てきたらそれこそお化けだ。あ、情景想像しちゃった、コワッ。
「なぁ、どうしちまったんだよ⁉︎お前なんかおかしいぞ!」
一ノ宮のスッポン並みのしつこさに、俺はついに折れてしまった。
「お前は分からなかったのか、気絶する前に豹崎さんが何か言ったの。」
「は?何の事だよ?」
やっぱり一ノ宮には分からなかったか。
「俺達を気絶させたのは、豹崎さんだ。」
「え…?」
彼は肩を掴む手を緩め、そのまま下に下ろした。
「な…何の根拠があってそんな事を?」
「俺、実は気絶する前の事少しだけ思い出したんだ。豹崎さんが、少しの間眠っていなさいって言ったのを。そしたらすぐに気が遠くなったのを。」
「冗談だろ…?」
俺は首を振って、
「こんな状況で冗談なんか言えるか。」
と、視線を地面に移した。蜥蜴が一匹、足元を走っていくのが見えた。
「う〜ん…。お前が嘘をつくような奴じゃない事はよく知ってるし…。それは確かなのか?」
俺は黙って頷いた。
「そうか…。」
一ノ宮は俯いて、溜息をついた。
「…行こうか、一ノ宮。」
「…ああ。」
俺達は再び歩き始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「………黒沼君らはどうしているだろうか」
僕は無意識のうちに呟いていた。
何だか変な胸騒ぎがしてならない。探索中に見つけた護身用の鉄パイプを右手に、辺りの物音に耳を澄ませた。
「…ん」
小さな足音が聞こえる。蜥蜴が一匹帰ってきたようだ。
僕は地面にしゃがみ込み、帰ってきた蜥蜴を迎えた。
「お疲れ様。黒沼君達は見つかった?」
「…………!」
「そうか。それじゃあ案内してくれるか?」
「…………♪」
僕は蜥蜴を肩に乗せ、案内してもらいながら鏡屋敷を進んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あーあ、な〜んかとんでもない事になっちまったなあ。確かに黒沼は嘘をついて人を貶めるような奴ではない。でも本当に豹崎さんを置いてきてしまってよかったのか?
「一ノ宮、何ぼーっとしてるんだ?」
「…ん、ああ。何でもない。」
ああ、罪悪感。豹崎さんが悪い奴だったら俺の野生の勘で分かるはずなんだがなあ。今回はそれがなかった。もしかして俺はとんでもない事をしてしまったのでは⁉︎
と、そんな事を考えていたその時。
「…ヘヘッ」
笑い声が聞こえた。
「ん、今お前笑ったか?」
「は?何言ってんだよ、一ノ宮?」
…おっかしいなあ、確かに聞こえたんだが。こちらを嘲笑うような笑い声が。
首を傾げながら辺りを見回す。すると、
「一ノ宮っ‼︎そいつについて行くな‼︎」
「…え?」
声のした方を振り返ると、そこには必死の形相の黒沼が立っていた。
「お、お前いつの間にそんな所に…?」
「一ノ宮、どうした?」
「は?」
逆を見ると、ぽかんと口を開けた黒沼が。
「あ…あれ?黒沼が二人?」
こっちの黒沼も互いに気付いたらしく、
「…あっ、お前は⁉︎」
と、青ざめた。
「そいつは俺に化けた鏡の化け物だ!一ノ宮、早くこっちに来るんだ!」
「は?」
状況がよく分からねぇ。
「早くしないとそのままこの屋敷の中をずっと彷徨う事になっちゃうぞ!」
「な、何を!」
ぽかんとしていた黒沼も、必死の形相の黒沼に食ってかかる。あー、何か面倒臭っ。前者を黒沼A、後者を黒沼Bとするか。
「俺はずっと一ノ宮と一緒にいたぞ!なあ一ノ宮?」
「あ、ああ…。」
黒沼Aが俺に詰め寄り、言った。
「じゃあお前ずっと俺の事見てたか?途中ですり替わってないって保証あるのか?」
「いや、それは…。」
黒沼Bも負けじと声を張り上げる。
「「さあ、どっちを選ぶ⁉︎」」
2人の黒沼が俺に迫る。あーあ、これが女の子だったらなあ。…いやいや、そんなアホな事考えてる場合じゃないし。落ち着いて、よーく見てみよう…。
「………。」
あー‼︎全く一緒だああ‼︎何か頭クラクラしてきた…。
……ん、待てよ?
鏡って…物を逆に映すんだよな?
確か黒沼の右目の下には小さい泣き黒子があったはず…。
「…あ‼︎」
黒沼Bは左目の下に黒子がある‼︎よく見たら服の襟の合わせも逆だ。最初からそこ見てりゃ良かった。
「お前、誰だ⁉︎泣き黒子の位置が逆だぞ!」
黒沼Bは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに不敵な笑みを浮かべて言った。
「やれやれ…。そんな事でバレるとは。君バカっぽいから騙されてくれると思ったのになあ。」
「‼︎」
黒沼Bの額にヒビが入った。
そのままヒビは広がっていき、身体の破片が辺りに飛び散った。
「グロッ」
「お、俺が…。」
先程まで黒沼Bが立っていた場所には、真っ黒いジャケットの男が立っていた。
「な…何だお前!」
やっとのことで声を振り絞って、そいつを怒鳴りつける。
「ぼくは雲外鏡…。古鏡の妖怪だ。君らをこの屋敷の中に閉じ込めて、精気をもらおうと思ったんだが…。」
はあ⁉︎現実離れしすぎて理解できねぇ…。
「どうやらそれも無理らしい…。だから直接もらう事にするよ!」
いうが早いか、雲外鏡は俺達向けて飛び掛かってきた。
「うわあああ‼︎」
「俺に任せろ!」
俺は雲外鏡のジャケットの襟首を掴み、地上げ屋に喰らわせた巴投げの要領でぶん投げた。
「うわっ⁉︎」
雲外鏡は何とも情けない声を上げて地面に叩きつけられた。
「やったか⁉︎一ノ宮?」
「ああ。さ、今のうちに…。」
黒沼の手を取って、その場を離れようと踵を返すと、目の前に黒い物が立ちはだかった。
「痛いなあ…。何するんだよ?」
「…え?」
目の前に立った雲外鏡は、
「ぼくは鏡の妖怪だからね…。そいつはぼくの虚像だ。」
と、笑った。
「畜生、お前…!」
俺は身構え、臨戦態勢をとった。
「おっと、ぼくも虚像だよ?攻撃しても意味が無いのさ、一ノ宮君。」
「何で俺の名前が分かるんだ…?」
「ぼくには化けた相手の記憶も分かるんだ。黒沼君の記憶をあされば沢山出てきたよ。」
「…………。」
これは…予想外に強敵かもしれない。
肉体的ダメージは与えられず、相手の姿になることができる。黒沼は泣き黒子のお陰で分かったが、特徴ない奴とかは見分けるのに苦労するだろう。
「さあ、大人しく精気を寄越せ!」
雲外鏡はかっと目を見開き、俺達に飛び掛かってきた。
(畜生、俺が格闘で負けるなんて)
信じられない。信じたくない。
そう思って目をぐっと瞑った。
「………?」
おかしいな、いつまで経っても攻撃が来ない…。
恐る恐る目を開ける。
「あ…豹崎さん…‼︎」
俺達に背を向けて、雲外鏡を食い止めていたのは豹崎さんだった。
「危ないじゃないか、僕から離れたりしちゃあ。」
そう言って、彼はこちらを振り返り微笑した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何のつもりだ。
何をしに来たんだ、今更。
何を企んでいるんだ。
突然現れた豹崎さんを見つめ、俺は考えていた。
「危ないじゃないか、僕から離れたりしちゃあ。」
そう言って笑う彼からは、俺達を思いやる気持ちなんかこれっぽっちも感じられなかった。感じられたのは凄まじい程の殺気と、冷酷さだけだ。
「君達、向こうに隠れていなさい。何せここは危険だ。」
「でも…。」
「黒沼。何してる、行くぞ!」
一ノ宮に手を引かれて、少し先の鏡の陰に隠れる。
「良かった…。豹崎さん無事だったのか。」
「何言ってんだ一ノ宮!」
俺は小声で一ノ宮を怒鳴り、怪訝そうな顔をする彼に言った。
「あいつは…。あいつは敵かもしれないんだぞ?第一何で俺達の居場所が分かったんだ、タイミング良すぎだろ?この出来事はきっと豹崎さん…いや豹崎の自作自演だ。」
「でも豹崎さんにはそんな事をする意味が…。」
「愉快犯かもしれないだろ⁉︎犯罪者でもいるだろ、そういう奴!」
「………。」
俺は一ノ宮を説き伏せて、外の様子を探ろうと少し顔を覗かせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
間に合って良かった…。もう少し遅ければ黒沼君達は確実に雲外鏡にやられていただろう。
「…何だお前は?」
「僕は彼らの保護者だ。といっても仮の保護者だがな。」
この手の事件なら何度か扱った事がある。大して苦労しないだろう。
「…お前みたいな凡人にぼくを祓う事が出来るのか?ハッ、笑わせるな。」
挑発するようにこちらに視線を送る雲外鏡。
「…愚かだな」
「何?」
本当に愚かだ。こちらのちょっとした誘いにさえ乗ってきた。
「…まあいい。ぼくを怒らせたのが運の尽きだったな。」
雲外鏡の身体に鏡が張っていく。
「自分の鏡像に精気を吸われて死ね」
先程まで雲外鏡の立っていた場所には、見事なまでにコピーされた僕が立っていた。
「お前の身体は随分と傷だらけだな。」
彼は自分の右手と僕の左手を見比べながら、不思議そうに言った。
「…そうだ、ちょっと記憶を覗かせてもらおう。」
僕の鏡像はニヤリと笑うと、そのままゆっくり目を閉じた。
…馬鹿な奴だ。
「⁉︎」
彼は悪夢にうなされるかのように身をよじらせ、右手甲を押さえてのたうち回った。
「こんな…馬鹿な…⁉︎」
そのままうずくまり、右頬を押さえこんだ。
「う…お、お前…。これは、どういう…⁉︎」
そんな雲外鏡を見下ろしてみた。
「無様だな。」
うずくまって怯える自分の姿が何とも滑稽に見える。
「…だが長々と僕の姿でいられると目障りだ。」
僕は傍に落ちていた小さな年季の入った鏡を拾い上げた。
「こいつが君の本体か…。」
懐に入っていた万能ナイフを取り出し、鏡を擦る。
「うぐあああ‼︎」
雲外鏡の額が裂けて、ドス黒い赤色の液体が零れてきた。
「お前、こんな事をしてタダで済むと…。」
なお立ち上がろうとする雲外鏡。
なるほど、根性はあるな。さすが妖怪。
「でも、」
僕は鏡を地面に置き、その上に尖った石を置いた。
そして、思い切り踏みつけた。
「所詮は紛い物だろ?」
足裏に伝わる確かな感触。
「ぎゃあぁぁぁ‼︎」
額を裂かれた「僕」は、バラバラに砕け散って消えた。
「久々の妖怪相手の仕事だったな…。」
呟いて、黒沼君達が隠れた鏡の向こうを覗いた。
「大丈夫かい、黒沼君、一ノ宮君?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「大丈夫かい、黒沼君、一ノ宮君?」
一部始終を見ていた俺は思わず身構えた。
「どうしたんだ、黒沼君?…ああ、僕は本物だよ。雲外鏡なんかじゃないさ。」
微笑みをたたえて言う豹崎を、俺は複雑な気分で見ていた。
俺が見聞きした限りでは、豹崎の姿をとった雲外鏡が彼の記憶を覗いたら突然苦しんで…。って感じだったな。
雲外鏡は豹崎の何を覗いたんだ…?
「黒沼?」
「えっ?」
顔を上げると、一ノ宮が心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
「だ…大丈夫か?怖い顔してたぞ、どうしたんだ?」
「あ…ああ。大丈夫だ、心配するな。」
立ち上がろうとする俺に差し伸べられた、包帯の巻かれた左手。
「ほら、手を貸そうか?」
その手を、俺は思わず払ってしまう。
「…。」
一瞬だけこちらを睨んだ目は、何とも冷徹なもので。
「…いや、すみません。ちょっと震えがきて。」
「いいんだよ、あんな思いをした後では無理もないだろう。」
でもね、と豹崎は腰に手を当てた。
「こういう所では固まって行動した方がいい。はぐれるような事をしちゃあダメだよ。」
「はい、すみません。」
「…ごめんなさい。」
一ノ宮が俺に、
「ほら、悪い人じゃなかったろ?」
と、そっと囁いてきた。
「……。」
俺はそれに答えずに俯いた。
「さてと。そろそろここを出るか。」
豹崎はまた俺達の先に立って歩き始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
久々に浴びる太陽の光はとてもありがたくて、周りの殺伐とした雰囲気も気にならなくなってしまう。
「豹崎…さん。」
危うく呼び捨てにしかけて、踏み止まる。
「何だい?」
「雲外鏡をどうしたんです?」
「どうって…ああ。」
どうやって彼を宥めたか、か。豹崎は笑って、
「ちょっと話をしただけさ。物分かりが良くて助かったよ。」
…よくあんなに澄ました顔して嘘がつけるもんだ。豹崎は俺が一部始終を見ていた事を知らないようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なるほど…。黒沼君、中々鋭い子だ。
普通は覗かないぞ、あの状況。…まあ一ノ宮君は本当に何も知らないようだが。
さて、と…。これからどうしようか。
この遊園地は、まだ僕らを出すつもりがないらしいからね。
作者蘇王 猛
オカ研合宿最終日です。でも予想外に長くなってしまったので前後編に分かれてしまいました。さらに現実離れしていますが、暖かい目で見てやってください。