子供の頃の遊びといえば、川遊び。
危険といえば危険だけど、田舎の事だから、野放し状態である。
堤防も立派なものではなく草ぼうぼう。
夏の渇水期の川は、草原状態で、その間を申し訳程度に水が流れている。
そこで一番夢中になってやっていた遊びは、アメリカザリガニ釣りだった。
タコ糸に餌をつけて、釣り上げる。
中でも面白いほどよく釣れるスポットがあった。
川沿いに村の共同墓地があり、その近くに淵になったところがあり、そこでザリガニが沢山採れた。
そのうち足を滑らせて川にハマる奴が出ると、ザリガニ釣りが、素手でのザリガニ掴みになる。
そして、悪ガキどもが妙な物を見つけた。
「見てみ、ここに骨いっぱいあるで!これ絶対焼き場で焼いた人の骨やで」
水の中に大量に小さな骨が堆積している所があった。
「アホなこと言うな!骨は壷に入れて墓におぼるやろ」
「墓の下に納める言えや。罰当たるで!」
川に人の骨を捨てるなどあり得ないので、私を含め悪ガキどもが出した結論、墓場の近隣にあった養鶏場、そこの人が病死した鶏を不法投棄している。
それで決まり、
その頃は、近隣の池には、乳牛や肉牛を飼っている業者が病死した牛を投棄していた。
死臭というものがどんなものか私たちは通学路で学習していた。
完璧白骨化しているものは臭いもしない。
それでも気持ち悪いので、もう少し川上に行って木の葉の化石を採って遊んだ。半ズボンやランニングはその内乾く。
夕方素知らぬ顔で家に帰るが、靴が濡れていることや、
川の水の独特の臭い、
アオミドロが着ているものに付着している事で、川で遊んだ事がばれてしこたま怒られる。
親に怒られていると、祖母が茶々を入れる。
「お前、死んだらどうするんや、
あんたのお父ちゃんもな、子供の時、山池で泳いで来て、池の泥が乾いて身体中粉が吹いてるのに『ワシら山池で泳いでへんで』言うよって、腹立って腹立って」
方向性の違う祖母の言葉は飛んだヤブヘビ、
怒っている父親は、立場なく閉口していた。
それでも私たちは懲りもせずに、山や川で夏休み中遊び呆けていた。
中学生になったらそんな遊びもしなくなった。
そして、大学入学の時、祖父が亡くなり、野辺の送り、
そのあくる日の朝は焼き場で骨上げ、骨壷にお骨を納める。
壺が小さくて収め切らない。
葬儀屋さんは、残りの骨を黒くなった石油缶に入れて、
「残りのお骨はちゃんと葬らせていただきます」
そう言っていた。
葬式には色々しきたりがある。
前日の野辺の送りでは履いてきた草履を、
墓場の入り口の六地蔵のところに捨てて、靴に履き替えて道を変えて帰る。
骨上げの帰りは後ろをふり返らない。やはり道を変えて帰る。
堤防の上の道を歩いている時、私は何気に後ろを振り返ってみると、
葬儀屋さんが石油缶を持って川の方に堤防を降りていくのが見えた。
「あそこは子供がよく溺れて死ぬ場所やで、色々いるんやろな」
前を歩いている母が振り返りもせずに言う。
「あそこってどこや?」
前方の川の方をキョロキョロ見回していると、
「お前が振り返って見た所や」
「あ、そう?」
「振り返るな言うたやろ?嫌なもの見るから」
その時、後ろから微かに、
ガラガラガラ、ジャバジャバと言う音が聞こえた。
あの時のあれは鶏ガラではなかった。いわばお人ガラ、
納得した。
作者純賢庵
怖いというかなんとなく嫌な思い出です。