伝聞であり、場所は特定できないが、とある街道沿いの話である。
街道といえば松並木、
戦前まではそれが残っていたと聞いている。
この地蔵が鎮座されているのは、
その街道の道端で、周囲のどの村からも約1キロメートルの距離にある。
石龕に収まっていて、長年の風雨にさらされて、風化が進み、顔はのっぺらぼう状態で、
胡粉で白塗りされた上に墨や朱で顔が描かれている。
「幽霊や!」
通学でこの地蔵の前を通る小学生がここでは走って通る。
南北朝時代の南朝の年号が彫られている。
この近隣で記録に残る大合戦があって、山城に立て篭もった将兵が全滅し、その戦死者を弔うために建立されたのであろう。
銘もあったらしいが、その部分は剥離して無くなっている。
地蔵の材質は花崗岩ではなく、地元の砂岩で、
時が経つと玉ねぎのように剥離していくのである。年号だけでも
周囲は水田と畑である。
当然のことながら、この辺りは、夜は非常に物騒なところ、追い剥ぎも出る。
地蔵のあるところから西400メートルのところに、街道を挟むように二つの池がある。
ここも逃げ場がない。
二人組だと池の堤の東西に分かれて待ち伏せして、旅人が池に挟まれた街道に差し掛かった時前方と後方から挟み撃ちで、キャッチして、
身ぐるみはがしてお宝ゲット、
抵抗されれば刺し殺して池にドボン、
ということもあったという。
それでも、うまく逃げおおせて、この地蔵の後ろに隠れることができると助かるという。
ここで悪事をすれば恐ろしい罰が当たる。
この地蔵は仏教の菩薩というより、神系の性格の存在らしい。
江戸末期に、オチョウという女が、この辺りに住んでいた。
この女が、夫の浮気相手を殺すという事件を起こした。
家に逃げ帰る途中この地蔵の前を通り、急に恐ろしくなったという。
頭に登っていた血が引いたというか、急に冷静になった。皐月闇の中、夢中で走って来た。
この闇の中どう走ってきたのか?何も覚えていない。
中天の雲が切れ星明かりが見える。
そして、松並木越しに見える、自分が住む村、夫の浮気相手の村を見て、
自分がしたことの重大さをこの時初めて悟った。
オチョウはその場に座り込み泣き伏したという。
折から月の光らしい明かりがさし、松並木の隙間から地蔵の姿を浮かび上がらせる。
オチョウはハッとして、地蔵の方に目をやる。
月の明かりなどあるはずのない晦日の夜である。
地蔵はオチョウを冷ややかに見下ろしている。
地蔵だけが目の前で光っている。
空を見ても差し込む光などなかった。
オチョウはゾッとした。
そして、
「お地蔵さま、あの女を殺したこと、誰にも言わんといてください。私が悪ないんです。あいつが、あの女が悪いんです…」
その時、突き放したような素っ気ない声で、めんどくさそうに、地蔵が喋った。
「うぬが言う、わしは言わん」
オチョウは一瞬何が起こったかわからなかった。喉の奥から息が漏れるような声で、
「エ?」
とつぶやくと、間髪入れずの大声で、
「わしは言わん、うぬが言う」
そのあとどう帰ったものか、気が付けば自分の家の軒先、
放心しながら家に入った。
あくる日から、オチョウはブツブツ呟きながら歩くようになる。
フラフラ当て所なく。
黙っていようとしても、思わず知らず呟く。
「…地蔵さんが物言うた…わしは言わん、うぬが言う…地蔵さんが物言うた…」
折から隣村では、女が絞め殺されているのが見つかり、大騒ぎになっていた。
そしてオチョウが疑われる。
村役人がオチョウを詮議する。
「オチョウよ、地蔵さんが何を言うた?」
オチョウは虚ろな目で呟く。
「わしは言わん。うぬが言う…私があの女殺した事…」
この後オチョウが刑死したのかどうか、聞いていない。
ただ、皐月闇の頃、今で言う梅雨時期の鼻を摘ままれてもわからない、雨の闇夜に、
この地蔵の周りを人魂が飛び回るという。
オチョウの火、地元ではそう呼ばれて、戦時中までは目撃した者があるという。
見える人には縛られた女の姿も見えたという。
作者純賢庵
大阪南部の某所のお話、