うちは兼業農家だった。 収穫した米は家で一年間の消費分である。
籾殻を取り除いた玄米の状態で、袋詰めされて保存されていた。
保存場所は、祖父が建てたトタン張りの納屋である。
隙間だらけで湿気も高く穀象虫の幼虫などが大発生して、 村で管理している共同の精米所で、精米してきた米も、しばらく置くと穀象虫の幼虫がいっぱい。
祖母の見栄というか、二斗入袋を二袋精米して、ドラム缶のような米櫃に入れて保存、竃で一升五合炊き、
七人家族でも食べきれない。
冷やご飯のお櫃が三日分ほど出来るという状態である。 これが、どんどん饐えていく。
現代人からすれば猛烈な悪臭である。
というより夏場は蛆が湧く。
ゆえに、ご飯は虫入り、そして、あまりきっちり研がなかったのだろう。
炊きたてのご飯にも穀象虫の幼虫が炊き込まれている。
幼児だった私は因果と視力が良かった。
米粒イコール蛆という連想、 そのため、ひどい拒食して、ガリガリに痩せていた。
豚肉と白菜を煮込んで作られた料理、それを八宝菜と称して食卓に上る。
二宝菜、椎茸入って三宝菜、 豚と白菜煮込んだだけよ。
今ならこんな狂歌ができるが、 これに、青虫入って四宝菜、ナメクジもいて五宝菜。
幼い私のトラウマになった。
そのうち農薬を使うようになって、やっと白菜料理が食べられるようになった。
母と祖母、主婦たちの雑すぎる調理でも青虫やナメクジの混入は無くなったためである。
父は食が細くなった。 家では素麺以外食べない。
父のリクエストある。 うちの祖母の恐ろしい所は、もし一言でも、祖母が作った料理を、美味しいなどというと、毎日毎日毎日毎日、食卓にはそれが出る。
歳取って呆けたからではない。それは昔からそうだったらしい。
「私の子供は、どんな料理作っても、美味しいて言うたことない」
そう言ってぼやいている。父や、叔父叔母達の気持ちはよくわかる。
口が裂けても祖母の料理を美味しいなどと言えないのである。
その父が祖母の作った素麺を絶賛、 来る日も来る日も素麺、
父は初夏から初冬までずっと素麺を食べていた。
それは家の米を食べないためである。 父は言っていた。
「えらいもん見てしもた」
「なるたけ外食する」
何があったかは口を閉ざしていた。 私は学生、朝はパン、昼は学食、夜は外食という事が多かった。
父親が亡くなったのはその翌年の正月、
急性心不全による突然死、五十九歳の誕生日を迎えて一週間後、その頃には父は八十歳の老人のような感じであった。
実は、祖父が亡くなった頃から、ご飯は虫が混じることは無くなったが、少しづつ異臭がするようになっていた。
これはマラソン乳液の臭いである。 そして、私は見てしまった。
祖母が家庭菜園用の散布機で、コメの袋の上から、薬剤を散布しているのを…。
これは村の人のアドバイス、
このアドバイスした人の家では絶対にこんなことはやっていない。
面白がって教えたのであろう。その人にとっては軽いイタズラ、ほんのジョーク。
私は祖母に言った。
「おばあちゃん、近所のOさんの息子さん、農薬を撒いてて死んだことおぼえてる?この農薬やで。やめとけや」
かなりきつい調子で言ったが帰って来た返事は、
「お前何も知らんのにええ加減な事言わんとき。 Oさんの息子さん死んだのはホリドールやで、これはマラソンいうんや」
同じ物だと言っても聞き入れない。挙句には、
「お前は、私のこと嫌いやから、そんなこと言うんや」
腹が立った。煮えくり返る程。 ホリドールもマラソン乳液も製造元が違うだけで、成分はパラチオン。
でも、祖母に対して腹が立ったのではない。
村の人たちにである。
そして、この村でこの数年後に起こった事件がある。
後、模倣犯もあっただろうが、オリジナルの事件。
胸を張って言える事ではない。
除草剤、パラコート入り栄養ドリンク事件、もちろん死亡者が出た。
今では迷宮入り事件である。
「他人の不幸は鴨の味」
テレビの大学講座番組で、 歴史経済学のある教授がこの地方の気質を表す言葉として紹介していた。
その通り、である。
作者純賢庵
リアル系実話です。
パラチオンのお話なので書いてみました。
私がふるさとに帰りたくない理由の一つです。