昭和五十年代も終わる頃。
中学生だった私は母方の里帰りの為、家族でフェリーに乗り瀬戸内海を渡った。
まず祖父母と、お仏壇に挨拶をし、私たちは近所の海岸へ海水浴に行く事にした。
「ここら辺の海は遠浅やさかい、気づかんと沖へ出てまうから気ぃ付けよ。」
「はぁ〜い!」
「あと、ケビン。」
『ワン!』
祖父はケビンに目線を合わせながら
「お前は賢い犬やさかい。じいちゃんは信頼しとんやで。なんかあった時、ゆ〜ちゃんとゆ〜太郎、守ったってな。」
『ワオン!ハッハッ!』
海に着き、両親がパラソルを広げる。
両親が見守る中、私と愛犬ケビンとで小学一年生の幼い弟に泳ぎを教えていた。
この頃、ケビンは25kgをゆうに超え、若い盛りで泳ぎも達者だった。
私も幼い頃、父に鍛えられたおかげで泳ぎが達者なので遠浅ということもあり、ついつい結構な場所まで進んでしまっていた。
『ウ〜• • • 』
弟の乗るボートの綱を咥えたケビンが唸り声をあげる。
「お姉ちゃん?ケビンが怒ってるよ?」
泳ぎに夢中だった私は弟の声で振り向いた。
「え?」
「ウ〜って。ケビン怒ってた。」
「ケビン、どうしたん?」
『• • • 』
私の後ろを見据えたケビン。
と、突然。
『ゥワォン!』
ボートの綱を咥えたまま、くぐもった声を上げるとその綱を咥えたまま私の周りを一周し、綱で引っ張るような状態で私たち姉弟を岸まで引っ張っていった。
「ケビン、どうしたん?なぁ。」
時々唸り声をあげながら岸へ向かうケビン。
とりあえず岸に戻ろうと、私も懸命に泳いだが、ケビンが速すぎて泳いでる意味があまりなかった。
『ワン!ワンワン!』
岸に上がってからも私の斜め後ろを睨みつけながら吠え立てる。
『ゥウ〜• • • ワンワンワン!』
「ねぇ、ケビン、お姉ちゃんに吠えたらあかんよ。」
いつもと違うケビンに弟が戸惑う。
『ワンワンワン!』
「ケビン、あかんよ、ワンワン吠えたら他の人も怖がるよ。」
弟が必死に制するも、ケビンは吠え立てる。
「• • • ちゃう。」
「お姉ちゃん?」
「ケビンが吠えとんは私やない、私の右後ろに向かって吠えとうわ。ゆ〜太郎。お姉ちゃんの後ろ、なんかおるん?」
後ろへまわる弟。
「いいや?」
「さっきから見とったらケビンが吠えとう方向ってお姉ちゃんの斜め右後ろやねん。パパに見てもらお。」
両親の元へ行き、事情を説明。
父は私をぐるっと見て、ケビンに問うた。
「ケビン?ゆ〜に何か憑いとんか?」
『ワン!』
父は私の後ろへ回り、頭、肩、腰などいろんなところに手を近づけた。
すると決まって右肩から右肩甲骨辺りに差し掛かると吠え立てるのだ。
母や弟がやっても同じ反応だった。
「とりあえず、おじいちゃんおばあちゃんに見てもらお。」
母の提案で祖父母宅に帰った。
「おかえり。おや、ゆ〜ちゃん。そこで、ちょっと待ってなさい。お〜い、ばあちゃん、粗塩とお酒、あと火ぃ持ってきて〜、あ、ライターでええわ、ライター。」
両親が話すまでもなく、迎え出た祖父に止められた。
「ゆ〜ちゃんとゆ〜太郎とケビンは庭に出なさい。みんなは縁側にまわって。」
言われるままそのようにした。
ケビンは落ち着いた様子で祖父母に従っていた。
「ケビンちゃん、偉いね、お祓いはおばあちゃんがしたげるわね。悪いモンが憑かんように、ケビンちゃんも一緒にしようね。」
『ワン!』
まず私と弟とケビンは少しずつ離れて庭に座らされた。
向かいに対峙する祖父母との間に焚き火があった。
私達は頭から粗塩を振りかけられ、お酒に浸した葉っぱを束にしたもので頭からつま先まで順番にパシパシ叩かれた。
ケビンは塩を舐めまわしていたが、お酒が口に入ると、舐めるのをやめた。
祖父母の念仏の間、私は右肩に爪が食い込むような感覚を覚え、痛い痛いと叫んだ。
「孫から離れろ!いつまで根に持っとんや!」
祖父が怒った口調で言う。
祖母は
「マツエさん、もし、あなたならごめんなさいね。でもね、あなたのためにも成仏してちょうだいな。」
肩の食い込みがMAXに達する。
「マツエって何⁉︎痛い〜!肩ぁ!肩がめっちゃ痛い!いったいわ、もぉっ!なんなんよ!私が何したんよ!」
「孫から離れろ!」
祖父の喝と共にお酒でびしゃびしゃの葉っぱが肩に振りかぶった。
「いったぁ!」(痛い!)
爪が食い込んだ傷口にお酒と塩がものすごくしみた。
その後私はどうやら倒れてしまったようだ。
次に目が覚めた時は祖父に抱かれ、心配そうな祖母、両親、弟が周りを囲み、ケビンが私の頬っぺたを舐めていた。
祖父に抱かれたまま庭先を見ると、近所の人がたくさん見ていた。
「あの女や。マツエや。逆恨みしよって。今度はゆ〜之介(祖父)のお孫さんに憑いたんか。よぉ、ゆ〜之介、払えたか?」
「僕ちゃん(弟)は大丈夫なんか。」
「犬は大丈夫やったか?」
など、口々に聞いてきた。
祖父は
「あぁ、死んで何十年経ってもワシにひっつきよる。昔、娘(母)に憑いてお寺さんに払ってもろたのに、まだ成仏してへんのか、ひつこう憑いてきよる。今回孫に憑いたんも、ゆ〜は初孫やから目ん中に入れても痛うないほどかわいいさかい。ワシを困らせるためや。なあ、ゆ〜太郎、怖かったやろ。ケビン、ご苦労さんやった。ありがとう。」
「お姉ちゃんはもう痛くない?大丈夫?」
「クゥン• • • 」
弟とケビンが心配する。
「ありがとう。動かしたらちょっと痛いけど、でも• • • 」
肩をみると爪が食い込んだ跡があった。
「あぁ、これは痛いわ。お風呂で洗ったらしみるかな。嫌やなぁ。あ、ケビン、お酒嫌よな。パパとゆ〜太郎とお風呂行っておいで。」
『オン!』
「お姉ちゃんは一緒に入らんの?」
純粋に聞く幼い弟。
「いや、何?この子、エッチ!」
「へ?」
きょとんとする弟に父が
「ははは!よし、ほなパパとゆ〜太郎でケビンの身体洗おか。」
父に連れられてケビンと弟はお風呂へ向かった。
近所の人々も最後の私達姉弟の会話に和み、一人、また一人と家へ帰っていった。
「え、パパ(祖父)、もしかして私が中学の時に沖で憑かれたのと同じ幽霊なん?」
尋ねる母に祖父はマツエの事を話し出した。
私はお酒とお塩でヌタヌタのままだったが。
以下、祖父の話。
さっきママ(母)が言うたとおり、ゆ〜のママも今のゆ〜くらいの時にマツエに憑かれたんや。
友達と海で遊んどってな、肩が痛い痛い言うて帰ってきたんや。
肩には爪が食い込んだみたいな傷があってな。
その時はじいちゃん、知識がのうて、お寺さんに頼るしかなかったんやけどな。
まぁ、払っても払ってもマツエは来よる。
マツエっちゅうのはな、ワシの幼馴染なんや。
丁度そのトラック何台か止まっとる会社があるやろ?
あそこに住んどったや。
あの場所に立派な平屋が建っとったんやけどな。そこの娘がマツエやった。
マツエは四人兄弟の末娘で、始めての女の子やったから、たいそうかわいがられとったさかい、ちとワガママでな。
悪い子ちゃうんやけどなんかいつも一人やった。
家族以外からはあまり相手にしてもらえんような。
そんなマツエも小学校中学年くらいから異性を意識するようになってきてな。
そのターゲットがワシやったんや。
せやけどワシはそんなのお構いなしや。
はっきし言うて、鬱陶しかったくらいや。
ほんで男友達とばっかり遊んどった。
中学、高校も部活に勉強に忙しかったさかい、もうその頃にはマツエの存在すら頭になかった。
大学は東京いったから、結局マツエと話すことはなかった。
東京で大学生活楽しんどったワシもよその大学との交流でばあさんと知り合った。
ワシは4回生の夏休みにばあさん連れて里帰りしたんや。
もちろん卒業したらこの人と結婚すると両親に報告するためや。
ワシが彼女を連れて帰ってくるっつーので船着場には近所中の人らが集まってきた。
その中にマツエもおった。
ワシはマツエをしっかり見たんは小学校以来やからマツエをマツエと理解するのにしばらくかかってもて。
あ!と思い出したんや。
そしたらマツエはワシをじぃっと見据えた。
次にばあさんを睨みつけ、たくさんの人がおるにも関わらず
「ゆ〜之介の阿呆ぅ!」
と叫んでどこかへ走って行ってしまった。
そこで近所のワル仲間が
「マツエや、覚えとぅか?あいつ、お前の事好きやったんやで。」
「ふぅ〜ん。」
まぁ、ワシの知ったこっちゃない。
マツエにとやかく言われる筋合いは全くないんやからな。
ほんで、その日の夜、我が家は未来の嫁さんや言うてばあさん囲んでの宴会が開かれとったんや。
そこへマツエの末兄貴が怒鳴り込んできた。
「おぃ!ゆ〜之介お前、ウチのマツエ知らんか!」
「ああ、マツエ?お前も見とったやろう。マツエやったらワシが帰ってきた時に船着場で• • • 」
「やかましわい!」
末兄貴はワシの胸ぐら掴んでお前、マツエを騙したな!と怒鳴るんや。
「こらこら!人ん家の玄関で何を揉めとんや!」
ワシの親兄弟も出てきててんやわんやや。
「騙すもなんもマツエとはいっこも接点がないし話してないで。」
「なんやて!お前、マツエがどんだけお前に恋焦がれとったか知らんのんか!」
「知らんよ、つぅか、ホンマに接点ないねん、今日久しぶりに見て、あ、マツエやなぁ、変わってへんなぁって改めて思ったんや。」
「何を呑気な事言うてんねん!マツエが!マツエがまだ帰っとらんねや。11時過ぎて何の連絡もなしに外出とか、ありえんねや!」
「彼氏んとこちゃうのん?」
「ふざけんな!」
末兄貴にまた胸ぐらを掴まれたところへマツエの長兄が飛び込んできた。
「こら!お前、何やっとんねん!手ぇ離さんかぃ!」
末兄貴を引き離す。
「すまん、ゆ〜之介、こいつ、頭に血ぃのぼってもて。こら!お前!ゆ〜之介に謝れ!」
その場は収めたものの当のマツエはとうとう帰らず、翌朝海にうつ伏せで浮かんどるところを発見されたんや。
マツエの長兄は最初はワシの肩を持ちつつやっとったけど、そのうちワシを殺人者扱いしよって。
とんだ迷惑やわなぁ。
こっちはマツエに恋愛感情なんか一度も持ったことないのに。
つか、ホンマ存在すら忘れてたんよ。
で、遺書はなかってんけどな、マツエの部屋からワシに宛てた恋文、いわゆるラブレターゆうのがぎょうさん出てきたらしい。
それ、出さんとずっと机の引き出し仕舞っとったんやて。
それからや、マツエの家族によるワシに対する嫌がらせが始まったんは。
まず、ばあさん連れて東京へ戻る時に船着場にマツエの兄貴三人が待っとって、ワシらが船乗って出港して見えんようなるまで
「人殺し」
「この毛唐めが!」
「女ったらし」
の罵声を飛ばすんや。
船降りるまで恥ずかしかったわ。
乗客みんな見てるもん。
ばあさんもかわいそうやった。
で、ワシが去った後もワシの両親に対してアメリカ帰れとかなんとか抜かしよったんや。
でもな、ある日隣町に住むワシの高校ん時の後輩が噂聞きつけてワシの実家訪ねてきたそうや。
ワシの両親から話を聞いた後輩はエライ怒ってな、友達や兄弟で有志集めて怒鳴り込みに行ったんや。
ほなな、その会話が近所の人らにも聞こえとってな。
近所の人らも参戦しだしたんや。
結局マツエ一家はこの街に住めんようになって。
さぁ、今はどこで何しとるか。
戦争もあったしな。
分からんわ。
「ふぅん• • • なぁ、おじいちゃん、目ぇ青いし、髪茶色いからモテモテやってんな(笑)」
笑う私に祖父は少し迷惑そうな表情をしながら
「いや、近所に同学年の男子ゆうたらワシしかおらんかったんちゃうかな?まぁ、たまたまワシが目の前におった。それだけやろ。」
「要するに、パパ(祖父)が可愛がる女の子は全て憎い、てことかな。」
母はなんとも言えない顔をしながら問う。
祖父は母の肩をさすりながら
「マツエさん、寂しかったんでしょ。好きな人に振り向いてもらえんのは辛いわよねぇ。でも娘や孫に手出しするのはおばあちゃんも許せんねぇ。」
「• • • なんでもええねんけどさ。私全身ヌタヌタやねんけど。」
「はっはっは!そやなぁ!ゆ〜ちゃんもお風呂に入りたいなぁ!ほな、久しぶりにじいちゃんと入るか⁉︎」
「もぉ〜!いややわぁ!エッチ!」
「ははは!」
夕暮れの中、私達家族の笑い声が響いていた。
ご拝読ありがとうございました。
作者ゆ〜
皆様お読みくださりありがとうございます。
今回は母と私が同年代に憑かれた霊のお話です。
幸い娘が私の年代になる頃には、祖父母の家もたたみ、私の実家で暮らすようになり、娘があの海で泳ぐこともなくなり、マツエさんの霊も出会うことはありませんでした。
余談ですが母方祖父は日本人とアメリカ人のハーフでしたので堀が深く、色白で昔はモテモテだったと聞きました(笑)
そんな祖父も祖母と共に今は天国で暮らしています。