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最近、勤務地が変わった。乗る電車もバスも目新しい。馴染めない街並みに無理して溶け込むしかない。「3」がキーワードだそうだ。三日、三週間、三ヶ月、三年。落ち込んだり、悩んだりする周期のキーワード。今日は三日目、難なく越えられそうだ。
バス停で並んでいると声を掛けられた。あまり、見ない顔ね。振りかえると上品な身なりの女性がにこにこしていた。
「ええ、おはよう、あ」
おはようございますと言いたかったがバスが着き、列が動いたので中途半端になってしまった。乗り込んでから見回したが女性は見当たらなかった。職場は「フローランス」というエステルームだ。フェイシャルを主に担当している。他にメイクスクールの講師を任されたりもする予定だ。
「おはようございます」
「おはようございます、瀬木さん、今日、メイクスクールの助手をお願いします」
「はい、わかりました」
「それからアタシ、来週、出張だからその間、頑張ってくださいね」
「大丈夫です」
勤務する店が変わると雰囲気や人付き合いで戸惑うこともあるが、ここは乗り越えられそうだ。
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三ヶ月が過ぎ、余裕からミスしたりしないように気を引き締めながら、バス停に並ぶ。あら、あまり、見ない顔ね。振りかえると上品な身なりの女性だった。
「おはようございます」
女性はにこにこして続けた。今日は夕方から雨が降るのよ。
電車内で確認した天気予報は快晴だ。夕立でもあるんだろうか。
「そうなんですか」
折り畳み傘あったかしらと思いながら着いたバスに乗り込んだ。女性は見当たらない。店に着いてから今日の確認をしているときに、ふと夕立のことん思い出した。
「今日、夕立、あるみたいですよ。バス停に並んでいたら、教えてくれました」
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「それ、幽霊だよ」
「え、え? 雪屋橋さん、幽霊って」
「天気の話をしたってことは、初めてじゃないでしょ? 前にも声を掛けてきたはずよ」
お客様の顔を施術しながら、あの女性のことを考えていた。会ったことがあっただろうか。かすかに引っ掛かる感じはあるものの、思い出すまではいかなかった。
「どうやらあの辺にいる地縛霊みたいなのよ。会話にはならないんだけど、初めて見る顔ね、から始まって、天気、次はバスが事故に遭うから乗らないでって言ってくるわ。気にしなくていいから」
「バスの事故で亡くなった方ですかね」
「さあ。アタシも聞いただけだし。ねえ、聞いて、隆之がね」
雪屋橋は前回の出張で掴んだ恋人の話を始めた。頬を赤くして、目が潤む。本当に好きなんだなと思った。アタシもどこかで見つけなくては。
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そして一年が経ち、雪屋橋がうまくいかなくなった恋人の話を愚痴るために飲みに行くことになった。奢ってくれると言うし、家と店の往復だけでは出会いもない。いい男でも探しに行こう。
仕事を終え、雪屋橋と一緒にバスで駅前に戻る。いい店があるのだと電話をかけ出した。ポンポンと背中を叩かれたので振り返ると上品な身なりの女性がにこにこしていた。バスに乗ってはダメよ、三丁目のバス停でぶつかるから、燃えてね。
「あの、わ、わかりまし、た」
地縛霊なのか、分からなかったが、暮れ始めた夕闇が怖さを醸し出す。
「瀬木さん、こっちよ」
雪屋橋が声を上げた途端、女性は何かにぶつかったように体を弾かせ、火が着いたかのように体が焦げ始めた。言い様のない臭いに鼻を手で覆った。
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三年目に入った。異動も匂わせながら、今年はなさそうだ。
バス停で並んでいると声を掛けられた。あまり、見ない顔ね。振り返ると上品な身なりの女性がにこにこしていた。
返事はしない。どうやら返事をすると再現が始まるらしいことをやっと覚えた。女性の頬のシミが濃くなった気がする。職業病だろうか。
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作者退会会員