主婦の桜さんが体験した話。
桜さんは一度、事故を起こしている。買い物に行こうとして車に乗り、某スーパーに向かう矢先のことだった。
ふと前方を見ると、三輪車に乗った三歳くらいの男の子がいた。キコキコと小さな足で懸命に漕いでいる。その姿を微笑ましく思いながらも、通り過ぎようとアクセルを踏んだ。
「ーーーあっ、」
男の子が電柱を避けようとして、大きく右側にずれた。ちょうどスピードを上げようとしていたその時である。桜さんは慌ててハンドルを切ったが間に合わなかった。
車は三輪車に追突し、小さな男の子はふわりと宙に浮いた。桜さんは急停車すると、慌てて車を降りた。男の子に駆け寄り、声をかけるが反応がない。
打ち所が悪かったのだろうか……まさか、死んだんじゃ。死に物狂いで男の子の胸に耳を寄せる。トクントクンと心臓の鼓動は聞こえてくるので、生きてはいるようだ。だが安堵してもいられない。
桜さんはすぐさま警察と救急車を呼んだ。
あれから七年が経とうとしている。事故の被害者である男の子は、結果から言えば亡くなった。頭を強く打ったことが原因らしく、事故から半年ほどで亡くなった。
男の子の両親からは、当たり前だがかなり糾弾された。特に父親の怒りは凄まじく、桜さんに掴みかかろうとして、警察に羽交い締めにされていた。「人殺し!」「復讐してやる!」と、何度も何度も繰り返し言われた。桜さんはただ頭を下げた。それしか出来なかった。
事故から五年の間は車に乗れなかった。亡くなった男の子が夢に出てきて魘されることもあった。鬱病になり、精神科に通った時期もある。ある意味、桜さんも被害者なのかもしれなかった。
それでも、家族や友人に支えられ、鬱病を何とか克服した。今でも薬はたまに服用するし、定期的に受診はするが、日常生活は普通に送れるようになった。
あれだけ避けていた車にも乗れるようになった。遠出は出来ないが、買い物くらいには行けるようになった。ただし、スピードはごくごく控え目にしている。
スーパーに着き、買い物を済ませた桜さんは買い物袋を片手に駐車場へ戻った。あまり混まない時間帯に来たためか、駐車している車はポツポツとしかない。
さて帰ろうとドアを開けた時である。キコキコキコキコ……と、三輪車を漕いでいるような音がした。
ドクン。心臓が高鳴った。
キコキコ……キコキコ……キコキコ……キコキコ……
音は近付いたり離れたりを繰り返す。まるで駐車場を旋回し続けているように。
桜さんは強張った表情で、ゆるゆると振り向く。その途端、あっと声を上げて硬直した。
赤いフレームの三輪車が駐車場を旋回している。それは確かにあの男の子が乗っていた物だった。所々錆び付いてはいるが、間違いない。
だがーーー乗っていたのは男の子ではなかった。大の大人が乗っているのである。背の高い細身の男だ。眼鏡を掛けたその顔にも見覚えがあった。
……亡くなった男の子の父親だ。彼はポカンとした表情で、口の端からは涎を流しながら、何度も何度もぐるぐると三輪車で旋回し続けている。
桜さんはへたりとその場に座り込んだ。
キコキコキコキコ……キコキコ……キコキコキコキコ……
三輪車に乗った彼が近付てきた。桜さんは力なく笑って、それを見ていた。
目の前まで来た彼は、やはりポカンとした表情で呟いた。
「乗る?」
作者まめのすけ。-2