「さあ、琴音ちゃん、綺麗綺麗しようねえ。」
私はそう言いながら、セルロイドの人形の髪の毛をとかした。
私はその日、近所の乱暴者の男の子にお腹を蹴られた。
しつこく私に暴力を振るおうとするので、胃液を吐くフリをして
脅かして追い払った。
いつも何もしていないのに、見たとかそんなつまらない言いがかりをつけては
私を殴るのだ。
悔しかった。何もしていないのに。私が大人しいというだけで。
私が何も言えないというだけで。私の容姿が良くないというだけで。
私は怒りがフツフツと沸いてきた。
いきなりセルロイドの人形の首をもいだ。
ポンという小気味良い音と共に、胴体と分離された。
琴音は良い子だから、そんなことをされても表情ひとつ変えないのだ。
私は何か嫌なことがあると、人形に八つ当たりをした。
「ごめんね、琴音ちゃん。今日ね、嫌なことがあったの。
ただしが私のお腹を蹴ったの。何もしていないのに。
どうして私に乱暴するんだろうね。」
そう言いながら、私は琴音の首を元に戻した。
セルロイドの琴音は、首と手足、胴体が自由に動くタイプの着せ替え人形だ。
でも、私は常に琴音を裸にしておいた。
バービーでも、リカちゃんでもない、バッタもんの安物の琴音。
これは親ではなくて、大家さんに買ってもらった物だ。
私が苛められる原因は貧乏だということもある。
いつも貧乏臭い格好をして暗くて不細工だったら苛めの格好の標的になる。
貧乏だけど、父親はいつも弟ばかり可愛がり、何でも買い与えたのだ。
私には何一つ買ってくれないくせに。
父親は野球が好きで、弟にとても期待していた。
「勉強なんかできなくていいんだ。お前は野球さえやってればいいからな。」
そう言って弟を育てた。だから、弟は全く勉強せずに満足に字も読めない。
そんな父親のことを考えていると、私はまた、イライラが募ってきて
今度は琴音の胴体を真っ二つに引きちぎった。
琴音は上半身と下半身が見事に真っ二つになった。
「ごめんごめん、今日は私、どうかしてるなあ。
でも、琴音はお人形だからいつでも再生可能だよね。
羨ましいなぁ。私、弟なんて欲しくなかった。
琴音みたいなかわいい妹が欲しかったな。」
私はそう言いながら、琴音のウエスト部分を元に戻した。
小学4年生くらいまでそんな生活が続いた。
転機は訪れた。
小学4年生の時に、私のイジメについて真剣に考えてくれる先生が
担任になり、クラス全員で考えよう、と提案してくれて、晴れてイジメはなくなったのだ。
それからと言うもの、私にはたくさん友達ができた。
私ののんびりしたところも、長所として捕らえてくれて、周りの皆が
トロい私を気長に待ってくれるようになったのだ。
その頃、私はもうお人形遊びという年でもなくなり、妹みたいに
かわいがったセルロイドの琴音は用済みになり、燃えないゴミとして出されたのだ。
中学を卒業し、私は高校へ進学した。
ある日、学校から帰ると両親がいそいそと喪服を着てでかけようとしていた。
「どうしたの?」
私がたずねると
「あのね、ご近所のただしちゃん、いたでしょ?死んだんだって。
あんた、お葬式、出る?」
そう言った。
「え?なんで死んだの?」
「バイクで転倒したらしいのよ。しかも踏み切り内で。
たぶん遮断機下りてるのに無理しちゃったのね。
首がね・・・・・飛んだらしいの。轢かれたときに。」
私は背筋がぞっとした。
ただしは、中学の頃は札付きのワルで、高校には進学せず
塗装工のようなことをしていたみたいだ。
えと、首が?飛んだ?
そういえば、私が、ただしに苛められてお腹を蹴られたときに
お人形の琴音に何をしたっけ。
確か。
首をもいだ!
まさかね。関係ないよ。
だって、もうあのお人形は無いんだから。
私は高校を卒業し、デパートの販売員になった。
そのデパートに、小学校の時に意地悪をされていた同級生が来たのだ。
相手は、もう意地悪をしたことをすっかり覚えていないようで
随分と懐かしんでいた。私は嫌な記憶しかないので表情は浮かない。
その数日後、その意地悪をしていた女の子が死んだのだ。
交通事故ということだった。
割と目鼻立ちの派手な綺麗な女性だった。
私は、小学生のころ、苛められながらも、その綺麗な容姿に嫉妬した。
だから、帰って琴音をアスファルトに寝かせ、顔を踏みつけたのだ。
後で聞いたところによると、その女性は顔をダンプカーに轢かれたというのだ。
こんな偶然があっていいのだろうか。
もう人形は無いのに、今頃になって、、呪いのように私に酷いことをした
人間が次々に死んでいく。
琴音に対してしたやり方と同じ方法で。
私は数年後、会社の同僚と1年間の交際を経て、結婚をした。
結婚生活は幸せそのものだった。
結婚25年を過ぎ、子供たちも成人しそれぞれ独立した。
子供が居なくなると、家の中はなんだかガランとして寂しい。
普段より口数の少ない夫との会話はほぼ皆無。
しかも、パート先では、私はトロいことを理由にイジメを受けていた。
寂しい。つらいことがあっても、聞いてくれる人がいない。
そんなおり、父がガンに蝕まれた。
生存率50%という手術を受けたが、経過は思わしくなく、
術後、3ヵ月後に亡くなってしまった。
肝臓がんだった。
私は父が死んでしばらくは実感が無く親だから葬儀でこそ泣いたけど
いつも不在だったから、さして違いは無い。
そのへんが死んだ実感が沸かない原因なのだろう。
私はまた、琴音のことを思い出していた。
私が父のことを恨んでいたときに、琴音に何をしただろう。
そうだ、胴体を真っ二つにしてもいだのだ。
でも、父は病死。
そんな、関係ないだろう。
私は一生懸命自分に言い聞かせた。
そんなある日、私の元に、小包が届いた。
その小包を開けて、私は驚愕した。
色あせた琴音が入っていたのだ。
手紙が添えてあった。
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「お姉ちゃん、久しぶり。会いたかったよ。
そろそろお姉ちゃんには私が必要でしょう?
お姉ちゃんが嫌いな人は、琴音がこの世から
全て消してあげるからね。
今まで通り。」
作者よもつひらさか