俺は、朝が弱い。
確か、オカンに何度か階下から呼ばれた気がする。
俺は、ノロノロと起き出して、目覚まし時計を見る。
やばっ!寝過ごした!
俺は慌てて、階段を駆け下りる。
「もー、朝からばたばたうるさいわねー。」
オカンが愚痴を言う。
「寝過ごしてしもうた!オカン、はよご飯にして!」
俺は何も置かれていないテーブルを見た。制服を着ながら鏡の前でネクタイをしめ身支度を整える。鏡越しに、オカンのキョトンとした顔が見える。
「ご飯って、あんたさっき食べたやんか。」
オカンが不思議なことを言う。
俺は急いでいるのに、イライラして、
「食うてないよ!今起きたところやん!」
と八つ当たりをした。
「さっき起きて食べたわよ。アンタ、ご馳走様ってお皿下げたやん。」
こんな時に嫌がらせかよ。ムカツク。いくら俺が起きてこないからって。
ほんなら、ええわい。冷蔵庫のもん、勝手に漁るから。
俺は無言で冷蔵庫の方へ歩いて行った。
ふと、流しを見ると、本当に俺の茶碗と、お皿が流しに置いてあった。
嘘だろう?俺は腹をさすった。絶対食べてない。めちゃくちゃ腹が減ってる。
仕方なく、俺は冷蔵庫にあった、食パンを生のままかじり、牛乳で流し込んだ。
とにかく、言い争っていられない。
「いってきます!」
俺はカバンをひったくると、あわただしく玄関を出て行った。
オカンはやはり、キョトンとして、玄関に突っ立っていた。
なんなんだろう。俺はご飯を食べたことを忘れたのか?
まさか、若年性アルツハイマー?
そんな馬鹿な。しかし、確かにあれは俺の茶碗だった。オトンの茶碗は俺のより一回り小さいから、間違えるとか絶対に在り得へん。
いや、もしかしたらオカンの気まぐれでオトンに俺の茶碗を使わせたのかもしれん。
きっとそうや。
俺はその日、部活で随分と遅くなってしまい、オカンが心配するといけないから、携帯からメールをしておいた。
「部活で遅くなる。」
そう一言書いて送信した。
夜遅くなって、俺は帰宅した。
「ただいまー。あー腹減ったぁ、飯飯〜。」
俺がそう言いながらダイニングに行くと、ソファに座ってくつろいでいたオカンが、また不思議そうな顔をして、俺に言ったのだ。
「はぁ?あんた1時間前に帰ってきて、ご飯食べたやん。」
まただ。朝は寝ぼけていたかもしれないけど、今俺は確かに玄関から入って今帰ったところだ。
「今帰ったのに、食べてるわけないやん!」
俺は叫んだ。オカンがびっくりして、逆ギレした。
「あんたが、帰ってからどこか出かけたんでしょ?1時間前に確かに帰ってご飯食べたんだってば!流しを見なさいよ!まったく。あんた、今朝からおかしいよ?」
俺は、流しを見た。確かに、俺の茶碗とお皿が行儀良く流しに置かれている。
そもそも、俺が飯を食って、お茶碗や皿を流しに持って行ったことなんてない。
違和感を感じていたのは、もう一つ。俺がオカンに対して、ご馳走さまと言ったということだ。俺は、今までそんなこと言ったこともないし、食ったら食いっぱなしとよくオカンに注意されて、それでも悪癖は直らなかったのだ。
俺は、ある考えに至って、急いで自分の部屋に駆け上がった。
俺が居ないはずの俺の部屋に電気が点いている。
俺は勢い良くドアを開けた。
「誰だ!お前は!俺の飯を食うんじゃねえ!」
すると、俺の部屋の白い壁に、俺が半分埋まっていてにやりと笑って言った。
「バレた?」
俺はその場で失禁した。
*
僕は、今テーブルの上に置かれた、とても人間の食べるものではない
ゲテモノを前にうんざりしている。
野菜などは、なんとか人工太陽や、水で賄われるのでなんとかできる。
問題は蛋白源だ。
地球上の全ての生き物は死滅してしまった。
かろうじて、この地下シェルター都市に逃げ込むことができたもののみが生き延びているのだ。僕は都市部に住んでいてよかった。
東京、大阪、福岡など、大都市にのみ地下シェルター都市があったのでなんとか生き延びている。他の地方の人間はたぶんすべて滅びたのだろう。第三次世界大戦でとうとう愚かな人類は核戦争を起こし、ごく一部の人間を残し、死滅してしまったのだ。
人間は動物性たんぱく質を取ることができなくなり、やむなく地中に住む蛋白源を食さなければ生きて行けなくなった。
今日皿に盛られているのは、みみずのソテーと、わけのわからない虫の佃煮だ。僕ははしでそれをつまみ上げ、お皿に戻した。
「ご馳走様。」
野菜のみを食して僕の食事は終わった。
「だめよ、ちゃんとたんぱく質摂らなきゃ。死んじゃうよ?」
母が心配顔で僕を見る。こんなものが食えるかよ。
僕は黙って、自分のお皿と茶碗を流しに運ぶ。
肉が食べたかった。魚が食べたい。
でも、地上のすべてが放射能で汚染されてしまった。
テレビで今日の地上の放射能情報が流れている。
地上の放射能汚染がなくなるまで、あと30年。
時々、シェルターから、調査団が地上に出て調査するのだ。
完全防護服を着て、シェルター内に放射能を入れないように、
厳重な扉から出て行く。
その次のニュースに、第三次世界大戦が始まる前に話題になっていた
STAP細胞の研究で、細胞から初めて誕生したマウスが映し出された。
とても、マウスとは思えない醜悪な物で成功したと喜んでいる。
これから、牛や豚の誕生も夢ではないとアナウンサーが嬉々とした
うそ臭い笑顔を振りまく。
僕は先日、シェルター出入り口まで、学校をサボって行ってみた。
この出入り口を出れば、地上につながるエレベーターがあって地上に出れるのか。そう思うと僕は以前の美しかった風景と、楽しかった学校生活を思い出して涙が溢れてきた。もう一度あの世界に戻りたい。
強く拳を握り、戻りたいと思った。
すると、僕の髪をすーっと風が撫でた。懐かしい匂い。
閉じた目を開けると、僕は自宅の前に居た。
これは夢なのか?僕はフラフラと自宅へ入っていった。
間取りもはっきりと覚えている。この突き当たりを昇れば
僕の部屋だ。懐かしい匂いがどんどん濃くなってきた。
たぶん、これは卵焼きだ。母の作る卵焼きは甘くふわふわだった。
僕は思わず、ダイニングのドアを開けてしまった。
「あら、今日は早いわね。制服まで着ちゃって。いつもこうだといいんだけどねー。」
嫌味を言いながらも、母は笑顔だ。
「何ぼさっとしてんの。早く、食べちゃいなさい。」
夢にしてはなんてリアルなのだろう。夢ならさめないで。
僕は泣きそうになった。
「いただきます。」
僕が手を合わせると、母がぎょっとした顔をした。
「今日は礼儀正しいわね。気持ち悪い〜。」
とへんな顔をした。
いつも僕はご飯を食べる前にはそうするのだけど。
何か様子が変だ。
ふわふわの甘い卵焼き。なんと焼き鮭がある。
お味噌汁、海苔。どれもこれも久しぶりに食べるご馳走だ。
「ご馳走様。」
僕は手を合わせてすぐさま、食器を流しに片付けた。
その様子を母があっけにとられて見ていた。
母は僕の母だが、なんだか様子がおかしいな。
僕は落ち着かなくて、自分の部屋へ戻ろうとした。
すると誰かが二階の僕の部屋から降りてくる音がした。
僕は目を疑った。パジャマ姿の僕だ!僕は慌てて、玄関の外に出た。
二階から降りてきた僕は眠い目を擦りながらおきてきて、玄関から出る僕には気付かなかったようだ。
どうやらこれは夢ではないらしい。
僕は、たぶん核戦争が起こらなかった、違う世界、すなわち異世界に来てしまったようだ。
数分後、賑やかにカバンを持ったもう一人の僕が、靴をひっかけてばたばたと玄関を出て行ったのだ。
もう一人の僕が出かけてしばらくして、母がパートに出かけた。
僕はそれを見計らって、鍵の隠し場所である植木鉢の下からなんなく鍵を見つけ、我が家へ入って行ったのだ。階段を昇ると、懐かしい自分の部屋についた。
ドアを開けると僕の部屋のにおいがした。
和室特有の畳のにおい。僕はあのじめじめした自分の地下シェルターの暮らしの方を嘘だと思いたかった。
ベッドに寝転ぶ。
勉強机の横の大きな窓からは青い空と白い雲。
きっと、シェルターの外にもこの青い空と白い雲は存在する。
だがそこには目に見えない悪魔が棲んでいるのだ。
僕はその日一日、異世界を楽しんだ。
そして、その日の夕方も何食わぬ顔をして母の手料理を食べた。
「今日は早かったのねえ。部活は?」
僕はそう聞かれて、
「今日は休み。」
と適当な嘘をついた。
夕飯も豪華だった。久しぶりに肉を食べた。
から揚げだ。外がパリパリっとして中はジューシー。
ポテトサラダもうまい。母のポテトサラダは市販品のように
甘くなかった。地下でもポテトサラダは作ってくれるのだけど、肝心のハムがない。あの世界には肉が無いのだ。
僕はご飯をおかわりした。母はニコニコしながら嬉しそうにご飯をよそう。ご馳走様といい、僕は食器を流しに片付けて二階へ上がった。
ああ、ずっとこのままこっちの世界で暮らせたらいいのに。
久しぶりにゲームをした。地下は物資が少ないのでゲームなどぜいたく品。かろうじて持って行けたのは携帯ゲーム機で、やはり大画面でやるゲームは迫力が違う。僕がゲームに夢中になっていると、下で大きな声で争う声がした。しまった。ゲームに夢中で気付くのが遅れた。
僕は慌てて、どこかへ隠れようと思った。押入れ、布団や物で溢れていっぱいだ。クローゼットなんて気の利いたものはない。窓から逃げるか。でもここは二階。飛び降りれば怪我をするに違いない。階段を駆け上がってくる音がする。早く!元の世界に帰らなきゃ!そう思って壁に張り付いたら、体がすうっと壁に吸い込まれた。
そして勢い良くドアが開き、もう一人の僕が叫んだ。
「誰だ、お前は!俺の飯を食うんじゃねえ!」
見事にもう一人の僕に見つかってしまった。体半分だけ。
僕はこの状況がおかしくなって笑ってしまって
「バレた。」
と言い残して、壁の中に吸い込まれた。
その日の夜、現実の世界の母にこっぴどく怒られた。
こんな遅くまで学校をサボってどこに行ってたんだと。
まさか異世界に行ってました、なんて言えば火に油を注ぐことになるだろう。
僕はその日から、虎視眈々と狙っている。
あの異世界のポジションを。
あのご飯にまたありつきたいのだ。
作者よもつひらさか