アツシは、一人、ソファーに寝そべって漫画を読んでいる。外はしとしと雨が降っていた。
漫画は自分の家から持ち込んだものだ。ここは、アツシの家ではない。
まったく知らない家の居間だ。不法侵入と言われればそういうことになるだろう。
だが、この家には長年誰も住んではいなかった。
アツシ達がこの家を見つけたのは、数ヶ月前だった。山の中で遊んでいると、忽然と古い民家が姿を現した。
「へー、こんな山の中に家があるなんてな。」
タクヤが言った。
「このへんなんて、農作業小屋があるのがせいぜいだよな?」
アツシも同意した。興味半分で、窓から中を覗いてみた。
すると、家具も家財道具もあり、誰かが住んでいるのかと思ったが、どうも人の気配がない。
しかも、中の様子はかなり雑多で荒れ放題。
何度か山に入って遊んでいるが、その家から誰かが出てくる様子も見たことがないし、
だいいち別荘にしてはボロすぎる。
「入ってみようぜ?」
最初、タクヤがそう言った時に、アツシは反対した。
「だめだよ。もし誰か住んでたら、どうすんだよ。」
「平気、平気。そんときゃ、ダッシュで逃げればいいんだよ。」
止めるアツシの言うことも聞かず、タクヤは民家の引き戸をあけた。
驚いたことに鍵はかかっていなかった。
しかし、かなり建てつけが悪くなっているのか、なかなか開かなかったが、
なんとか子供が入れるくらいの隙間があいたので、タクヤは体を斜めにしながら、
部屋の中へと押し入って行った。
アツシも好奇心に逆らえず、タクヤの後に続いた。
一応玄関で靴を脱いで、家の隅々まで探検したが、誰も居なかった。
台所のテーブルの上には、新聞が広げられていて、その隣にはコーヒーカップが、
黒ずんだ得体の知れない固体がこびりついて置かれていた。
昭和60年9月24日。新聞の日付は、その長い不在を告げてセピア色に焦げている。
何度か侵入を試みて、そこが本当の空き家だと知った時に、タクヤが言った。
「ここを俺達の秘密基地にしようぜ。」
それから、アツシとタクヤはその秘密基地にあししげく通っていた。
親の目を離れて自由に行動できる場所が欲しい。タクヤもアツシも同じ団地住まいだったので、
その民家は格好の遊び場所になった。ボロボロだったが雨露はしのげるし、わずかな家財道具もあり、
他人の生活のにおいが残るその場所はかなり刺激的な場所だったのだ。
ところが、最近、その秘密基地に誰か、アツシとタクヤ以外の誰かが侵入しているようなのだ。家財道具が移動していたり、アツシたちが置いていた漫画がなくなっていたりしたのだ。
アツシは、怖くなって、タクヤにもうここに来るのはやめようと進言した。だが、タクヤは聞かず
「俺達の秘密基地を荒らすとは、ふてえ野郎だ。しかも俺達の物を盗みやがって。犯人を捕まえてやる。」
と息をまいた。俺達だって、不法侵入じゃないか。そう言いたかった。
その日からアツシとタクヤは交代で、塾や習い事の無い日はなるべくここに来て見張るということになった。
というわけで、今日はアツシが見張り番というわけだ。
一人で見張るのは怖かった。だから、アツシはいつでも逃げられるように、勝手口のドアを半開きにし、逃げ道は確保しておいた。もちろん電気はきておらず、ここに侵入した時、冷蔵庫はあけてすでに腐敗した食物を発見した。どうして、ここに住んでいた住人は、生活を投げ出し、この家を出たのだろう。夜逃げかな?そんなことをぼんやりと考えていた。
すると、勝手口のほうで音がした。ヤバイ、誰か来る!アツシはすぐにダッシュで逃げられるように身構えた。勝手口から台所に誰かが入ってきた音がし、居間のガラス戸に影が映ったと思ったらすっと開いた。アツシは、ダッシュで逃げようとした。だが、入ってきたのは、小さな女の子だった。幼稚園児くらいだろうか。
なんだ、脅かすなよ。アツシは、女の子に近づいて話しかけた。
「どうしたの?こんなところで。君は誰?お父さんとお母さんは?迷子なの?」
そう話しかけると、女の子は涙ぐんだ。
「パパとママ、いないの。どこ行っちゃったの?」
マジか。迷子だ。
「はぐれちゃったの?」
アツシがそう話しかけると、幼女は首を横に振った。
「朝起きたら、パパとママがいなかったの。そうしたら、怖いおじちゃんたちが来て。
パパとママはどこに行ったって聞いたの。」
アツシには何がなんだかさっぱりわからなかった。
「お兄ちゃん、パパとママ探して?」
そう言われても。
「どのへんではぐれたんだい?」
そう女の子に聞くと、
「ここ。」
と答えた。
「ここ?この家かい?」
女の子は、うん、と答えた。
でも、アツシはずっとここにいたけど、誰かがここに来た気配はなかった。
もしや、ここの住人が、帰ってきた?アツシは最悪の状況を想像した。
女の子はアツシの手を握って来た。
「ねえ、探して?一緒に探して?」
そうしてあげたいのはヤマヤマだけど。もしも両親に出会ったら、なんと言い訳しよう。
お宅の娘さんに一緒に探して欲しいと言われたと言えば信じてもらえるのだろうか?
仕方なく、アツシは家中探した。家中とは言っても、小さな平屋。探すべきところは、押入れから、トイレまで全て探しても誰も居なかった。
「パパとママ、いないよ?お兄ちゃんと一緒に交番に行こう?」
そう女の子を促したが、女の子は首を横に振る。
「ミイちゃんも居なくなっちゃった。」
女の子は泣きべそをかいた。まったく、今度はミイちゃんか。
「ミイちゃんって?」
「ウサギの縫いぐるみ。」
「じゃあ、それを見つけたら、お兄ちゃんとおまわりさんところに行こうね。
きっとパパとママに会えるからね。」
そう諭して、アツシは今度はミイちゃんを探した。
やはり、どこを探しても、ウサギのミイちゃんは見つからなかった。
「どこかで落としたんじゃないの?」
アツシがそう女の子に言うと、女の子が口を開いた。
「まだ、探してないところがあるじゃない。」
アツシは、家の中をくまなく探したのだ。トイレまで。
あ、一つだけ。探していないところがあったっけ。
お風呂だ。この民家はかなり古くて、お風呂が敷地内の別の場所にあるのだ。おそらく元々、お風呂はなくて、あとからつけたのだろう。でも、ここを見つけた時に、その煙突があるお風呂場とみられる建物にも侵入しようと試みたが、これまた古くて立て付けが悪くなっている所為か、そこには侵入できなかったのだ。
「あそこは、開かずの間なんだ。」
アツシが何度そう諭しても、探して欲しい、と女の子は泣きべそをかいた。
そんなに大事な縫いぐるみがそんな開かずの間にあるわけがないじゃないか。
あそこは、君の力なんかじゃ開かない。
アツシは、仕方なく、そこを開けるフリをして、開かないことを確認させて、なんとか女の子に諦めてもらおうと思った。
ところが、今までびくともしなかった、そのドアは何の抵抗もなく、すらっと開いたのだ。ドアを開けたとたん、凄まじい臭気が鼻をついた。臭気にむせながらも、ドアからもれる外の光を頼りに中を覗くと、その洗い場には茶色に干からびた小さな人形のようなものが転がっていた。いや、人形ではない。アツシの足元から痺れるような恐怖が這い上がってくる。これは人だ。かなり小さい。
アツシは意味不明の言葉を発しながら悲鳴をあげ、振り返って逃げようとして、何かに足をとられた。
「うさぎの縫いぐるみ?」
そこには、古びてボロボロのうさぎの縫いぐるみが転がっており、女の子の姿は無かった。
アツシは、山の中を必死で駆け下り、ふもとの交番に駆け込んだ。
警察の調べによれば、その風呂場の中にあったのは、幼女の死体だったらしい。その家の住人は、行方不明。両親には多額の借金があり、性質の悪い金融会社からかなり厳しい取立てを受けており、夜逃げしたのではないかと思われていた。その家には、小さな子供も居たので、一家で夜逃げしたものだとばかり思われていたのだ。おそらく、両親が家を出たあと、あの建てつけの悪い窓の無い風呂場に入ってしまい、幼女は出られなくなり死んでしまったのではないかと推測される。山の中の一軒屋で人通りもなく、何より、幼女には障害があり、しゃべることもままならなかったのだと言う。
でも、アツシははっきりとあの子の声を聞いたのだ。
「お兄ちゃん、探して?一緒に探して?」
あの声が耳から離れない。
あの子が探して欲しかったものは、あの子自身だったのだろう。 .
作者よもつひらさか