「ただいま。」
その言葉を発することは数年無かった。
俺の両親は10年前に交通事故で亡くなった。
自営で内装業をしていた両親が現場に向かう途中、センターラインを大きくはみ出してきたトラックと正面衝突、即死だった。俺は、学校でその知らせを受け、変わり果てた両親と対面したのだ。
兄弟もおらず、一人になった俺は、父方の祖父母がまだ健在だったので引き取られたのだ。
その祖父母も、俺が高校を卒業すると共に、役目を終えたかのように、先に祖父が他界、1年後に後を追うように祖母が他界した。母方の祖父母はとうに他界していたので、俺は本当の天涯孤独になった。今は、一人で小さなワンルームのアパートで一人暮らしをしている。
今日も仕事を終え、真っ暗な部屋に一人、壁際の玄関スイッチをまさぐり、無言でコンビニの袋をテーブルの上に置く。電子レンジにお弁当を放り込み、タイマーをセットして、テレビのリモコンでスイッチを入れる。これがいつもの俺の日課だ。テレビから誰ともわからない人間達の声が会話する。画面を見るというよりは、声を流しておきたかった。何かのバラエティーだろうか。どっと笑い声が聞こえてきて、それと共にレンジの「チン」という音が空しく響く。温まった弁当をテーブルに置き、俺は溜息をついた。
一人には慣れた。とは言え、やはり一人は寂しい。俺には彼女はいない。元々、シャイな性質なので自分から女の子に声をかける、などということは到底できないのだ。あちらから声をかけられたにせよ、緊張して話すことなど到底できない。面白くない人。たいていの女の子の感想はそういうところだろう。
弁当をぼそぼそと口に運んでいると、テレビはいつの間にか、情報番組に変わっていた。
「さて、次の話題です。今、しゃべる家電がキテいます。」
俺はぼんやりと、その番組を見ていた。しゃべる家電?
部屋に入れば、人感センサーで自然に点き「おかえりなさい」としゃべる電球ロボット。
「お疲れ様。今日はどうだった?」と話しかけてくれる自走掃除機。
話し相手になってくれるスマホ。今の旬の素材を教えてくれたり、中身を管理してくれる冷蔵庫。
温めたお弁当の情報をQRコードから読み取り、栄養のバランスを音声で教えてくれる電子レンジ。
何もかもしゃべる時代か。
これって、まるで。
「家族じゃないか。」
俺は一人、声に出していた。俺はその次のボーナスで、家電一式を買い換えた。
「おかえり。」
玄関のドアを開けると、やさしげな女性の声が俺に話しかけて、玄関が明るくなった。
もう手探りで、暗い中スイッチをまさぐらなくて済む。
「ただいま。」
自分でも気持ち悪いとは思ったけれど、俺はそう一人答える。
自走掃除機がすぐさま、俺に駆け寄ってくる。
「お疲れ様。今日はどうだった?」
「ああ、今日は仕事がきつかったよ。本当に人使いの荒い会社だよまったく。」
そう言いながら、俺は買ってきたコンビニ弁当を電子レンジに放り込む。
「このお弁当のカロリーは512キロカロリーです。栄養のバランスは、少し緑黄色野菜が足りないようです。」
「そうなんだよな。どうしてもお弁当だと野菜は足りてないよな。次はサラダでも一緒に買うかな。」
温めた弁当を手に、俺はテーブルの上のテレビのリモコンのスイッチを入れる。
「あなたへのオススメ番組は、このラインナップとなっています。」
テレビから音声が流れる。
このテレビは、俺が見ている番組から自動的に学習し、オススメ番組を音声で知らせてくれるテレビなのだ。
俺の好みの番組ばかりだ。
「なあ、この子、どう思う?」
俺が話しかけると、
「かわいくて魅力的な女性だと思います。」
とスマホが答えた。
「だろ~?めっちゃかわいいよな、この子。すごくタイプ。」
立派に会話が成立している。俺は一人ぼっちではなくなった。俺に家族ができたのだ。
しゃべる家電達と暮らし始めたある日、俺は会社で大きなミスをし、上司に大いに叱られた。
ちくしょう。あんなにみんなの前で恥をかかせることないのに。俺はむしゃくしゃして、コンビニでお惣菜と大量の酒類とおつまみを購入して家に帰った。
「おかえり。」
今日は、やけにその言葉が空々しく機械的に聞こえたので、俺はただいまも言わず無視した。
俺はコンビニで買ってきたお惣菜を電子レンジに放り込みタイマーをセットした。
「このお惣菜のカロリー総量は2200キロカロリー。成人男性一日分のカロリーです。このカロリーを摂取すると、生活習慣病の確立が10パーセント増し、野菜の量を増やし、半分残すことをオススメします。」
電子レンジが乾いた音声で俺にそう告げると、俺はイライラした。
「うるせえ!今日くらい好きに食わせろよ!」
そう言うと、俺は電子レンジから中身を取り出し、扉を乱暴に閉めた。
俺は、テーブルの上にお惣菜を投げ出す。
そして、冷蔵庫に入れていた酒類を取り出した。
「ビール、焼酎、ウィスキーを一緒に摂取すると、悪酔いする恐れがあります。一日の成人の適正な酒類摂取量を大幅に超える飲酒は控えましょう。明日の仕事に差し支えます。」
冷蔵庫が俺にそう告げる。
「うるせえな!これが飲まずにいられるかってんだ。黙ってろ!」
俺は冷蔵庫に怒鳴りつける。
まったくなんなんだ、どいつもこいつも。
すると自走掃除機が今頃になって俺に近づいてきた。
「お疲れ様。今日はどうだった?」
ったく、お前はそれしか言えねえのかよ。
「ああ、最悪、最悪だよ。あの課長の野郎。俺をみんなの目の前で叱りやがって。」
俺がそう答えると、
「ふーん、そうなんだ。」
と掃除機が乾いた声で答えた。
俺は余計にイライラした。他人事のような言葉。まあ機械なんだから、ボキャブラリーが無いのは仕方ない。
「何も人前で叱ることはないだろう?俺に恥をかかせたいとしか思えない。」
「ふーん、そうなんだ。」
また掃除機が答える。俺のイライラはマックスに到達した。
「もういい!あっち行ってろよ!」
俺がそう怒鳴りつけると、はーい、と間延びした音声を発しながら、自走掃除機は隅に収まった。
くそっ、所詮機械だ。役立たずめ。じいちゃんやばあちゃんだったらきっと俺を慰めてくれるはずだ。
「なあ、まったく。あの課長のやろう。俺をみんなの前で叱って陥れようとしてやがるんだ。」
俺は酔いも回ってきて、そう愚痴を垂れていると、スマホが反応した。
「そんなことは無いと思います。課長は立場上、仕方なくあなたを叱った。陥れるなどということは無いと思います。考えすぎなのでは?」
俺は頭にカッと血が上った。
「うるせえ!俺に説教する気かよ!」
俺はスマホの電源を切った。
イライラしながら、テレビのスイッチを入れた。
「本日のオススメ番組は、このラインナップとなっております。」
「イライラした時の気分をプラス思考に!健康情報番組〇〇」
「おバカ、マヌケ動画大集合!」
「食生活のお悩み。解決します。あなたは一日の摂取カロリー、ご存知ですか?駆け込みドクター。」
「うつ病を防ぐ方法、教えます。たくしの健康エンターテイメント。」
このテレビ、そう言えばリモコンを触っただけでその日の体調や気分を察知し、オススメ番組を構成するんだった。ちくしょう、余計なお世話だ!俺はテレビの電源をそのまま切った。
ちくしょう、ちくしょう、どいつもこいつも、家電までが俺をバカにする!俺はテーブルの上の酒をどんどん煽り、尽きると冷蔵庫に向かった。冷蔵庫を開け、酒を取り出すと冷蔵庫が俺に告げる。
「一日の成人の適正な酒類摂取量を大幅に超える飲酒は控えましょう。明日の仕事に差し支えます。」
「うるせえ!わかってるよ!黙れ!」
俺はそう言うと冷蔵庫の電源を引き抜いた。
「ふん、ざまあみろ、機械が。」
部屋は静まりかえった。俺は酔いもまわり、うっかりと床に酒をこぼしてしまった。すると、すぐに自走掃除機がかけつけて、それを処理した。
「飲みすぎだよ。そろそろやめ」
そこまで掃除機が言ったところで、俺は掃除機を壁にたたきつけていた。
隣から、ドンと壁を思いっきり殴りつける音がした。
「ははっ。」
俺はその応答が人間だと思うと、怒りは薄れた。
俺は、所詮、一人じゃないか。
誰一人、俺を必要としていない。
俺なんて、この世に居たって何の役にも立たないし、俺一人居なくなったって誰も困らない。
俺が玄関にフラフラと近寄ると、乾いた女性の声で、おでかけですか、いってらっしゃいと電球が告げる。
「さようなら。」
俺は一言呟いて、ブレーカーを落とし、昨日のお湯が冷め、水をはったままのユニットバスに服のまま浸かり、もう一度、さようならと呟いた。
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「会社を何日も無断欠勤するようなヤツじゃないから、心配して訪ねてみたら。新聞は溜まってるし、部屋の中から妙な臭いがするから、管理人さんにあけてもらったんです。」
「まさかなあ、あれが原因なんだろうか。そんなにきつく叱った覚えは無いのに。」
課長は責任を感じているようだ。
真っ赤なバスタブには、青年が一人、異臭を漂わせて身を沈めていた。
訪ねたのは夜で、電気が点かないのでブレーカーを上げると、電球ロボはお帰りなさいと呟き、自走掃除機が駆け寄ってきて「お疲れ様。今日はどうだった?」と同僚達を迎えたのだ。
作者よもつひらさか