深夜のことだ。昨年、結婚したばかりの妹から電話が掛かってきた。
「おっ、お姉ちゃん!すぐ来て!すぐ来て!」
「何よ、こんな時間に……。悪いけど、明日じゃだめなの?」
「すぐ来て!すぐ来て!」
妹は興奮しているのか、声の調子が上ずっていた。何やら緊急を要するらしい。私は眠い目を擦り擦り、家を出た。妹の家までは車で十分の距離にある。欠伸をしながら車に乗り込み、眠気覚ましにと煙草を吸った。
「また隆さんかな……」
妹の旦那である隆は、外では大人しく礼儀正しい癖に、家だとまるで別人だという。仕事がうまくいかなかったり、会社の人間関係でトラブルがあったりすると、その鬱憤を暴力という形で晴らすのだ。先月も妹に呼び出されて家に行ったら、顔面を醜く腫れ上がらせた妹が泣いていた。先々月は鼻先を殴られ、鼻骨を骨折したと聞く。また、「死んでくれ」「お前の作る料理はゲテモノだ」「近くに寄るな。気分が悪くなる」等、モラハラめいた発言も受けているらしいのだ。
妹から度重なる相談を受ける度、私も母も幾度となく離婚を薦めた。心配した母が、一度警察に相談したらどうかと提案したが、世間体を気にする妹は首を縦には振らなかった。
「もう少し……。もう少し考えてみる。そう簡単に別れられないのよ」
煮え切らない態度の妹に、私は少なからず苛ついていた。離婚するしないは個人の自由かもしれないが、その度に呼び出され、泣き言を聞かされる身にもなってほしい。私は私で自分の家庭もあれば仕事だってある。それなのに、妹からの呼び出しは今月に入ってもう五度目。本当は行きたくはないのだけれど、母があまりにも妹のことを心配しているため、近くに住んでいる私が行かなくてはならない。正直、私の神経もかなり擦り減っていた。
妹の家に着き、チャイムを鳴らす。だが、何度チャイムを押しても返答がない。変だと思いつつ、ドアノブに手を伸ばす。鍵は掛かっていなかった。
「お、お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
妹の声が奥からした。靴を脱いで上がり、寝室として使っているという和室へ向かう。からりと障子戸を開けると、妹がブルブル震えながら座っていた。隆は寝ているらしく、ぴくりとも動かない。
「ん……?」
横を向いて寝ている隆の様子が何だか変だ。耳……耳に何か棒のような物が刺さっている。近くに言ってよくよく見ると、それは耳かき棒だった。しかも深く刺さっているーーーというより、耳かき棒の半分がすっぽり穴に収まっているではないか。隆はピクピクと小さく痙攣しており、白目を剥いて口をぽかんと開けていた。
「っ、ひいいっ!」
驚いて後退る。すると妹が青ざめた顔で私の腕を掴んだ。
「わ、わざとじゃないの。隆さんが耳が痒いから耳掃除してくれって言うから……。そ、そしたら手が滑っちゃったの。と、取れないのよ。棒が深く刺さっちゃって、さっきから引っ張ってるんだけど……。ど、どうしよう……」
「どうしようじゃないわよ、莫迦!救急車呼ばなきゃダメじゃない!」
「あ、嗚呼、そうか。きゅ、救急車。救急車呼ばなくちゃね……」
妹は気が動転しているのか、理性を失っているらしい。救急車を呼ばなくちゃと口では言っていても、どこか茫然としていて、動こうとはしない。そうこうしているうちに隆が泡を吹き始めた。見かねた私は携帯を取り出し、「119」を押そうとする。
が。妹が私の手を取り押さえ、鋭く叫んだ。
「待って!」
「何よ!どうして止めるの!」
妹を睨みつける。彼女はボロボロ涙を流してはいたが、口元にはうっすらと笑っていた。
「ねえ、どうせなら死ぬまで待とうよ……。あと五分もすれば死んじゃうよ、きっと……。ねっ?」
せっかくだしね。
死ぬまで待とうよ。
作者まめのすけ。-3