「ちょっとお兄さん、描かせていただけませんか?」
どこか占い師のような風貌の女性に、帰宅中に路上で呼び止められた。簡易椅子に座り、画板を膝の上に乗せ、小さなテーブルには絵の具やパレットなどの道具が並んでいる。
よくもまあ、こんな陰鬱なしょぼくれたサラリーマンを描こうと思ったものだ。僕は決していい男でもないし、お金を持ってそうでもない。まあ、この時間だ。人通りも少なく通行人がいなかったんだろうな。僕は、彼女の前に黙って腰掛けた。
「いくらですか?」
僕が聞くと、女性はぽつりと
「300円」と言った。謙虚すぎじゃないか?300円でいいのか。僕はもっとぼったくられるのかと思っていた。
今僕は、最も生気のない男だろう。数ヶ月前恋人に先立たれたのだ。あっけない死に様だった。雪の日に転倒して、頭を強く打って帰らぬ人となったのだ。打ち所が悪いというやつだ。その死は彼女にとっても、僕にとってもあまりに急だった。
人間なんて、なんて儚いのだろう。僕は絶望して彼女の後を追おうと思った。
だけど、思ったよりいざ、そうしようとすると死の恐怖は凄まじかった。生きるのが苦しくても、死の恐怖の方が圧倒的で死ねなかったのだ。
僕は筆を動かす女の前に、呆けたように座って何も考えてなかった。何も無い時間は長い。これから先も、この時間を生きて、ただ生きるのだ。
「終わりましたよ。」
そう言うと、女はその絵を僕のほうに画板ごと渡してきた。自分の顔なんて見たくもないけど。その絵を目にした僕は、衝撃を受けた。
「な、何故?この絵を?」
女は黙っていた。これは僕ではない。
この絵は、死んだ僕の彼女だ。
どうして?見ず知らずの女が?僕の彼女を知っているんだ。
「あんた、一体、誰なんだ。」
僕はいつしか、立ち尽くしていた。すると女は、描いた絵を渡して、手を差し出してきた。
「300円です」
僕は、慌てて財布をまさぐった。300円を手渡し、もう一度聞いたのだ。
「どうして、僕の彼女を知っているの?彼女は死んだ。」
女は黙って、小銭をしまうと、なにやらバッグから小さな手のひらに乗るほどのビニール袋を僕に手渡してきた。その中には、小さな黒い粒が5・6粒入っていた。
「これは?」
僕がたずねた。
僕の質問にいっさい答えなかった女が口を開いた。
「おまけです。ウラガエシの花の種ですよ。この種を植えて、花を育ててください。花が咲くと、貴方の思い人が蘇ります。」
女が初めて笑った。胡散臭い話だ。それより、この女は一体誰なんだ。彼女の知り合いなのだろうか。僕に何か魂胆があって近づいたのか。僕は気持ちが悪くて、早くその場を立ち去りたかった。その花の種をもらって、そそくさとその場を離れた。
僕は電車に乗って、あの女が書いた彼女の絵をながめていた。まるで生きているような質感だ。僕はいつの間にか泣いていた。そして、あの絵描きの女からもらった、黒い小さな種を握り締めた。
僕は自分の部屋に入るなり、以前彼女が育てていた、観葉植物の鉢を探した。まだ物置に少量土が残っているはずだ。僕は鉢の中に土を入れて、小さなくぼみを作り、あの絵描きからもらった種をまいた。バカバカしいとは思ったが、彼女の不在の時間を埋めるには丁度良かったのだ。思いをこめて、未練がましくも、あの絵描きが描いた彼女の絵を鉢の棚の上の壁に貼った。
もう一度、死んだ彼女に会いたい。
「伊佐薙(いさなぎ)さん、最近ちょっと明るくなりましたね。」
事務の加藤さんが僕のデスクに、熱いお茶を運んで微笑んだ。
「まあね、いつまでも落ち込んでられないからね。」
僕がそう言うと、どこか申し訳なさそうに彼女がはにかむ。
みんな、不幸な僕に同情しているのだ。
数日前、あの種が芽吹き、今まさに双葉が四葉になろうとしているところだ。
ただそれだけなのに、僕はあの胡散臭い絵描きの戯言に淡く期待しているのだ。
あれから、あの場所にはあの絵描きの女は二度と現れなかった。そのことが、あの女の戯言が実現する真実味を帯びているような気がしてならなかったのだ。
だから、双葉がはえてきたときには、飛び上がるほど喜んだのだ。
「あの、伊佐薙さん、この映画って興味あります?」
加藤さんが僕に、映画のチケットを見せてきた。
「アクション物だね。この俳優は割と好きだよ。」
加藤さんは少し頬を染めて僕に言った。
「今度の日曜日、一緒に観に行きません?」
僕は、映画デートに誘われているのか。一応OKした。加藤さんがどういう気持ちなのかは知らないけど、僕にとって恋人は死んだ彼女だけなのだ。
加藤さんは僕の部屋に来たがったり、大人しそうな外見とは違いかなり積極的だった。だが、僕は彼女との思い出の部屋に加藤さんには足を踏み入れて欲しくなかったので、ことごとく断っていたのだが。
僕は今日も、せっせと鉢に水をやる。
「早く綺麗に咲いておくれ。そして、僕を彼女に会わせて。」
来る日も来る日も、甲斐甲斐しく、その鉢の世話をした。種は芽吹き、どんどん茎を伸ばし、葉を増やして成長していった。そして、ついに小さな蕾をつけたのだ。
やった!もう少しで花が咲く。
「花を咲かせ思い人を蘇らせるには、一つ、条件があります。」
僕はあの絵描きの言葉を思い出していた。
そう条件が揃ったのだ。
そして、彼女の花が咲いた。僕は勝手にその花を彼女の化身として擬人化していたのだ。花はあまり綺麗ではなかった。開いた花びらはまるで葉っぱのようだった。これが、この花の特徴らしい。この花が本当に美しいのは、花がしおれて元気がなくなり、頭をたれてからなのだ。
数日後、花は徐々に下を向き頭を垂れて行った。すると、この花の本当の美しい面が露になって来たのだ。ウラガエシというこの花の由来。
僕はウラガエシが美しい裏の顔を現した日の夜に、夢を見た。
ウラガエシが美しく月光に光っている。
「ウラガエシがあなたの夢の中で月光に照らされた時、貴方は彼女をよみがえらせることができる。」
僕は、あの絵描きの言葉を思い出していた。だから僕は、絵描きに言われた通りにウラガエシの茎の部分を持って、鉢からウラガエシを引き抜こうとした。手ごたえがかなりあった。重い。僕は必死にウラガエシの茎を引っ張る。こんなに強く引っ張っているのに、ウラガエシの茎はまったく千切れない。
そして、ウラガエシは鉢からずるりと抜けた。
ずるりと鉢の土の中から何かが出てきた。根だ。巨大な根だと思っていたのだ。
するとその泥にまみれた根がこう言ったのだ。
「やっと会えた。会いたかったわ、祐二。」
忘れもしない、死んだ彼女の声。本当に蘇ったのだ。
ただ、彼女の姿は生前とはかけ離れていて、根と見紛うほどに骨に皮がまとわりついたずるりとした物体だった。
僕は夢の中で、あまりのおぞましさに絶叫したのだ。
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「伊佐薙さんの部屋から、変な臭いがするんです。」
伊佐薙の住むアパートの部屋の前で、伊佐薙の会社の後輩社員が上司である伊佐薙の同僚に伝えた。
伊佐薙が、会社を無断欠勤して5日が経っていた。それと同時に、同僚の加藤麻衣も会社を無断欠勤、行方不明になっていた。
会社の同僚と後輩は管理人立会いのもと、伊佐薙の部屋のドアの鍵を開けた。むっとすえたような甘ったるい腐臭が部屋から流れて、3人は思わず口と鼻を塞いだ。奥の部屋に行くと、布団が敷いてあり、伊佐薙が横たわっていた。
「伊佐薙さん、伊佐薙さん、どうしたんですか?」
臭いをこらえながら体を揺さぶっても一向に起きる気配が無い。
後輩は、伊佐薙の被っていた布団を捲り上げた。
「ひぃぃいぃぃっ!」
後輩は布団の中を見て驚いて叫び、後ろにぺたんとしりもちをつくと動けなくなってしまった。
「どうした?」
同僚が布団に近づくと、その光景を見て一瞬何かわからずに、目をこらして、ようやくそれが人の形だと認識した。伊佐薙のとなりにある物は、腐って干からびた人の形をしていた。髪の長いミイラだ。しかも泥まみれである。
「こ、これ・・・・加藤さん?」
後輩がありえないことを口走った。
「そんなわけねえだろ。いくら夏だからって、こんなに早く死体が痛むはずがねえよ。」
「なんでこれが加藤さんなんだよ。」
「だ、だって、この服、俺に見せてきたんすよ。伊佐薙さんとデートに行くのに服を買っちゃったって。確かにこの黄色の花柄のワンピース。それに、この指輪、彼女のお気に入りで、俺指輪なんて興味ないのに、高かったのよ、っていつも自慢してたもの。」
「な、なんで彼女だけミイラになってんだよ。しかも、なんか泥だらけだぞ?このミイラ。」
「わかんないす。それより先輩、伊佐薙さんも、息、してないみたい。」
「マジ?きゅ、救急車!いや、け、警察か?」
その場で3人はパニックになった。
玄関で管理人が吐しゃする音が聞こえた。
窓辺には、何も植えられていない植木鉢がぽつんと置いてあった。
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「思い人を蘇らせるには、若い女性の肉体が必要ですよ。」
絵描きは笑った。
「そんなの、無理だよ。」
男は苦笑いした。
今日もどこかでウラガエシの種を持った絵描きの女が、思い人を描いているかもしれない。
作者よもつひらさか
#gp2015