人々が行き交う病院の待合所の長椅子に腰をかけ、ガラスの向こうに見える雨に濡れた中庭を眺めながら先程の医師との会話を頭の中で何度も何度も繰り返していた。
自分より一回りも歳の若い医師の言葉を噛み締めながら、会計から自分の名前を呼ばれるのを待っていた。
*****
、、、その1時間前、、、
レントゲン写真を前に医者は大きくため息を吐き出した。
「・・・」
「センセ、あかんかったら早よ言ってもらわんと、沈黙は殺生だっせ」
「いや、申し訳ありません。あの何と言いましょうか説明を考えてますので、、、」
「もうよろしいわ、覚悟はできてます、何なりと仰って頂いてもかましまへん」
、、、そりゃそうだ、センセ、アンタの脇におる看護師の胸を大きく口を開けて覗いている俳優の温水さん似で誘導員とか、ぬかす頭皮むき出しの、あの世の使者の姿が見えているのだから、、、
(注)恐縮ですが過去投稿の誘導員シリーズをご一読頂けますと、より一層のご理解を頂けますかと存じます。
突然、その若き医者は正面に姿勢を正して真剣な眼差しで口を開いた。
「いや、先月よりガン細胞が全く動いて無いんです。ストライキを起こしたように、一切の増殖活動を止めているんです」
「は?」
「身体の中のガン細胞は減少もしなければ増加もしていない状態です。これは喜ばしい状況と思います」
「センセ、気休め言ったかてあきません、死ぬ手前でガンが足踏み状態やてゆうだけでワシが仏さんになるのにリーチかかった状況は何ら変わりませんやんか」
「ご主人、人生の先輩に対して失礼だと分かってますが、人は必ず死にます。これは生命を受けた全ての生物の結末です。
ですけど人間は生きる時間の長さを競い合って生きているんじゃないと、、、僕は思っています。本音を言えば、僕にはまだ分かっていません。一体、生きるって何んなんでしょうか?どうゆう意味でしょうか」
「・・・・・」
「医師は患者さんの命を救う、いや永らえる事に全ての力を尽くしますが、人はいずれ訪れる死からは免れることは決して出来ません。僕は医師として失格だと思いますが、今だに人の生死の意味、是非がわからないんです」
「・・・・・」
「貴方の余命は半年の状態のまま月日が過ぎたと言う事実しか私には言えません」
*****
自宅まで帰る電車の中、カタン、カタンとリズムを刻む揺れに身を任せて、車窓に流れる夕焼けに照らされたオレンジ色の街並みを眺めていると、不意に涙が流れた。
思い出の遠い夕日の中、幼き自分がいた。夕飯に呼ばれる友達が一人一人と遊び場から居なくなり、辺りから漂う夕飯の匂いにお腹をすかせて独りうつむき遊ぶ僕。
霞んだ記憶が胸を締め付けた。所詮、人は独りで生まれ独りで終わるのかと、、、理解した。いや、理解しようとした。
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癌か、終わりの時間は伸びたけど、余命は変わらない?さぁ、又これから半年間も頑張る前向きな姿を家族の前で演じ続けられるだろうか?正直、疲れた感はある。
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小刻みに揺れる電車の中、車両の接続部に立つ見えてはいけない〝ヒト〟を見た。
その〝ヒト〟は怨みが溢れ出し、怒りの固まりの念が赤い光を放っていた。
『もう、あちら様は気づいてますよ』
さっきまで女性乗客の胸を覗いてた誘導員(ぬ)が声をかけてきた。
(注)ぬ、とは俳優の温水さん似で人生の終わりの誘導員と称する野郎である。
『なんや、ひざのような頭のオヤジ。お前はワシに何がして欲しいんや?あないな、えげつない恨み抱えた〝ヒト〟を説得すんのはオノレの仕事やろ、あんじょうしはったらええやん。そんなんより、アンタと助手とワシの付き添い変えへんのんかい?』
(注)誘導員の助手(ゆ)は女優の優香さん似であります。
『まぁ、一応ワタシが責任者ですから』
『責任者やったらワシな側におらなあかんのかい?お前、他の人の担当もしてるんやろ?、、、嫌っ!あっこにおる男?めっちゃメンチ切っとんで、最悪やん』
『、、、』
(注)お気づきだと思いますが『』内の言葉は感の無い方には聞こえ無い設定です。
『うわ、近づいてきとるわ、何で余命が半年しか無いワシんトコ来てやで、何をどないせいちゅうねんな?おいコラ、チビれたタワシ頭、返事せんかい?イヤイヤなんやその涙目?そのお任せしますっちゅう顔つき止めんかい』
『あのぅ、僕が見えるんでしょう?話しを聞いては頂けませんか?』
『あのね、あんさん今のワシは癌でしてね、今日の診断で何ぞ変化も無いっちゅう重い話しを家族にせなあきません。せやから、あなた様のご相談にはのれませんが、そこに擦り切れた毛ガニの甲羅みたいな頭のオッさん、いますやろ、そちらの方々に相談してもろたほうが、、、』
『あっあっ本当にすみません。しかし、あのぅ、、、お言葉なんですが、現世の人に伝える事が出来るのは貴方様しか居ないと、、、』
『誰が言うてんねん』
『、、、毛蟹の甲羅のような頭の方です』
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その男の話は簡単至極であった。
夫婦で息子が一人の三人家族、電車を待つ朝の駅のホームから背中を押され、駅を通過する筈の急行電車が突然鈍いブレーキの音を響かせた時、全身に痛みが走った。
気がつけば自分の四肢が千切れて辺りに散乱しているのを呆然と眺めている。
殺された?いやいや、どうでもいい、しかし自分はもう生きてはいない。残された家族に思いを寄せると、自然に家の居間の窓から中を見ている自分がいた。目にはソファに腰をおろした男に肩を抱かれて微笑む妻の横顔が見えた。
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自分の葬式を眺め、身体が煙となり灰になったのを確かめた10日後、男があてもなく彷徨い続けたら、いつしか息子の側にいた。疲れた様子の息子は足をテーブルに投げだし、カラオケボックスにいた。
「・・・次は俺だろうな・・・」
向かえの席で歌う男の隣に座った奴が耳に手を当て「何だって?」って叫んで息子に聞き返した。
すると息子は寂しそうに何でも無いと言わんばかりに力なく手を左右に振った。
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保険金目当ての殺害だった。男が言うには自分と妻は夫婦と言えど所詮他人どうし、振り返ると満点を貰えるような亭主では無かったし、夫婦喧嘩や口論なんて数知れず、妻から嫌われても仕方がないし、怨み殺されても自分の至らぬ結果だと諦めも出来るが、息子には何の罪があって殺されなくてはならなかったのか?
直接、息子に手をかけたあの間男も憎いし復讐もしたい。しかし一番、我慢できないのは我が子を見殺しにしたあの毒婦だ。
例えこの身が地獄の猛火に何度焼かれようとも、怨み殺してやる、、、
作者神判 時