決して怖い話しではありませんが、今でも、胸が締めつけられる思いがします。
恐怖をお求めの方は、スルーするのが、正解だと思います。
京都の某大学受験に失敗して、二条城近くの某予備校での浪人生活へと、本人の意図も介さず周りが進めていたが、一度、高校受験に失敗している身としては、絶対浪人生活は避けたかった。
猿なみの前頭葉を駆使して導き出したのは米国留学だった。苦手な英語を克服し、米国の大学を卒業すると言う大きな旗を掲げ始めたら止まらない。金髪の彼女という欲望の暴走の果ては五年にも渡る米国暮らしだった。
大学二年のある日、ベーシック、プログラミングというコンピュータの授業を取っていたが、教科最後の宿題だったフローチャートを何故だか寮に忘れてしまっていた。前日に数時間もかけて仕上げた、どでかい紙で広げるとベット、二つ分の大きさがある。
言葉(英語)がさほど必要とされ無い教科は留学生にとって平均値を上げる為には絶対高得点を納めなければ、ならない。その大切な最後の宿題を置き忘れてしまった。
教授に頼み込んで、宿題を取りに寮へと駆け出した。寮までと言っても、距離はかなりあり(キャンパスに川が流れ、鹿やスカンクが出没する広さ)マラソン選手のように息を切らして寮の三階の自分の部屋に入って宿題を抱えると脱兎のごとく走り出したが、突然、二階と三階の階段の踊り場で立ちどまった。
小学校から中学校まで一緒だった幼馴染とケンカした思い出や遊んだ思い出が頭を駆け巡っていた。我を取り戻す前に「待てよ」って頭の中で幾度か叫んでいた。気がつくと階段の踊り場で目に涙が溜まっていた。
当時、日本からの手紙は船便で十日から二週間はかかった。その学期を終えて日本に帰国した時、千歳空港で友人が待っていてくれた。笑顔で迎えてくれたけど、眼が笑ってない。近況を話していたが、暫くの沈黙の後、友人は意を決した様子で喋り始めた。
「お前に手紙送ったんだけど、まだみてないよな?着いたばかりで言いにくいんだけど、○○○な、、」
苦痛な顔で話し続けようとしている友人の言葉をさえぎって
「知ってるよ、死んだんだろ?一体、何があったんだ」
口を開けて驚いている友人に、米国の大学の寮で、急がなければならなかった時に何の脈絡もなく、そいつを思い出して佇んだ事を説明した。
「俺の様子を見がてら、今の際に会いに来たと思うよ」
「そうか、それでか」
爽やかな札幌の夜の風、そいつと溢れる涙を拭うこともせずに、笑ながら塩辛い焼酎を飲み明かした。
いつの日か、鬼籍に入る俺達を、若い姿のままのアイツは間違わないで、微笑んでくれるだろうか?
作者神判 時
今、思い出しても、切なくなる話です。本当に優しい爽やかな奴でした。