「俺はお前以外の女なんて考えられない。お前と結婚できないのなら、俺は生きていても仕方ないんだ。」
俺は真剣な目で彼女を見つめる。
「私も。あなた以外の人なんて考えられない。」
「一緒に逃げようと思ったのだけど、俺の親父は執念深い。裏社会に通じてる人間だから、たぶん俺達はすぐに見つけられてしまう。そして、お前の命はたぶん無い。お前だけがみすみす殺されるのを見るのなら、俺は死んだほうがマシだ。俺は死ぬ。」
「いやよ、一人で死ぬなんて言わないで。死ぬ時は一緒よ。」
「でも・・・。」
「私、後悔しない!あなたと一緒なら。」
「そうか・・・。一緒に死んでくれるのか?」
彼女は黙って頷いた。
俺と彼女は今、自殺有名な某岸壁の端に立っている。
下は、ごつごつとした岩場の広がる荒々しい海だ。
波が怒涛のように押し寄せ、岩を砕くほどの勢いだ。
ここから落ちれば、まず命はない。
俺達は覚悟を決めた。
しばらく見つめ合うと俺達は唇を重ねた。小刻みに彼女の唇が震えていた。
「怖いのか?やはり、お前は生きろ。どこかで生き延びてくれ。」
俺は、体を乗り出そうとした。
「いやよ!おいていかないで!あなたの居ない世界になんて生きたくない!」
強く引き寄せられ、俺の体は踏みとどまった。
しっかりと彼女が俺の手を握り締める。
「愛してる。永遠に。」
「私もよ。」
俺達は数秒見つめあい、すうっと息を吸い吐き出した。
「行くぞ。」
俺は彼女に声をかけると、彼女はうなずいた。
「いち、に、さんっ!」
そう声に出すと、彼女はきつく目を閉じ、体を傾けた。
そして、俺はバランスを崩した彼女の手を離し、軽く押し出した。
彼女が驚愕の表情で俺を見た。その表情のまま、俺に向かって手を伸ばす。
伸ばした細い腕がどんどん小さくなり遠のいて行くけど、彼女の驚愕の表情だけは遠くならないような気がした。
ごめんな。俺、本当にお前を愛していたんだ。嘘じゃない。
でも、俺の親父は、母子家庭のお前との結婚は望んでいない。俺には元々、お嬢様の許婚がいたんだ。
その女は美しいが金持ち然とした鼻持ちならない女だ。だから反骨心でお前と付き合った。
だが、お前との結婚は前途多難すぎた。親父はお前と結婚するのなら、勘当する、ビタ一文もくれてやらないと言ったのだ。正直、俺は無能だ。就職も親父の経営する会社に就職するつもりだったし、勘当と言う事は、それもご破算ということだ。俺は文字通り、裸一貫でお前との暮らしを始めなければならないのだ。それを考えた俺の結論。
正直、面倒くさい。
これが俺の答えだ。
お前のことは好きだが、せっかく親が用意してくれた人生のレールを踏み外してわざわざ茨の道を歩くことを考えると、俺は辛くて仕方なくなった。
「さよなら、ミナコ。」
スローモーションのように、ミナコの体は岩の上でバウンドし、あらぬ方向に手足や首が曲がり、一瞬海を赤く染めた。今日のような時化た日は、誰もここには来ない。
ミナコの体はすぐに波がさらって行った。
ほっとした。
もう俺は悩まなくていいのだ。
ミナコの遺書は俺が彼女の部屋に用意しておいた。
元々、彼女は直筆でメモを残すタイプではなく、文書は全てパソコン、またはスマホに保存しているのだ。
捜索願が出され、無論、事件の可能性を考えて、彼女のパソコンは提出されるだろう。
常日頃より、彼女とメールをしているから、彼女の文章の癖など、すぐに真似できる。
ホテルに置いてきたあの女は今頃夢の中だろう。
シャンパンに睡眠薬を仕込んでおいたから。
あらかじめ調べておいた厨房裏口から俺はこっそりとホテルの部屋に戻り、寝ている女のベッドに潜り込んだ。
俺のアリバイは完璧だ。親父には、ミナコとはとっくに別れたと伝えてある。
数日後には、俺はこの隣で眠る許婚と結婚する。
それを知らないのは、ミナコだけだったのだ。
奇しくも、俺と許婚の結婚式の日に、ミナコは10キロも離れた海岸に打ち上げられた。
捨てられた女の自殺と、誰もが俺を疑わなかった。
1年後の夏、俺と妻は沖縄旅行に出掛けた。
新婚生活は、快適そのものだった。俺は予定通り、親父の会社に就職。将来は約束されている。
親から買ってもらった、マンションは一等地にあり、利便性に優れ、快適だった。
妻は鼻持ちならない女だが、束縛するタイプではなく、俺など放ったらかしで、自分で自由に生きている。
ミナコとは全く別のタイプで、実にサバサバしており、俺が何をしようが全く我関せずで、付かず離れずでこうしてたまには夫婦水入らずで旅行に出かけたりして、これほど楽な女だと知っていたら、もっと早くに結婚していれば良かったと思うほどだ。
沖縄の海は、綺麗だった。高級ホテルのプライベートビーチで俺達は、旅行を満喫した。俺は、妻に良いところを見せようと、得意な泳ぎで、かなり沖の方まで泳いで行った。心配した妻が遠くから叫ぶ。
「そんな沖まで行って大丈夫なの~?」
俺は、笑顔で手を振って答えた。
透明度の高い海は青く澄み、海の底に泳ぐ魚が手に取るように見えた。
もう少し。俺は、さらに沖に向かった。
すると、海中の温度が急に冷たくなった。足が固まってしまい、ピクリとも動かなくなってしまった。
ヤバイ。足が氷のように冷えた。俺は海の中を覗いた。
すると、青い物が海を漂っていた。その海を漂っていた物が俺の足に絡み付いていた。氷のように冷たく感じたのはその漂流物が足に絡み付いていたからだった。冷たくてずるりとしている。
クラゲ?それにしては大きい。絡みつかれて動かなくなった足のかわりに、手だけで水を掻くがもう限界だ。
俺は目をこらして、その絡みついたものを凝視した。
「ミナコ!」
その顔は水中から海面の俺の顔を見上げていた。
俺はパニックになった。そんなことがあるわけがない!俺は必死でもがいた。
ミナコのあらぬ方向に曲がった手足と首がフワフワと漂っている。あの日岩にぶつかって折れた形に。
まるでクラゲのように漂っている。
「ミナコ、許して。許してくれえええええ!」
俺は足をばたつかせて、ミナコを振り払おうとした。
ミナコが笑った。その途端、足にチクリと痛みが走った。
遠くなりかけた意識がその痛みでまた戻ってきた。
「た、助けて!」
痛む足が、いつの間にか解放されていた。
「あんた、大丈夫か?」
一隻のトレジャーボートが通りかかり、俺は何とか救助された。
「あ、青い物が!俺の足にまとわりついてきて!」
俺は必死に訴えた。足には激痛が走った。
「ああ、あんた、青いクラゲに刺されたんだな?足が腫れ上がってる。大変だ。すぐに病院に行かなきゃ。」
クラゲ?
ミナコではなかったのか。
俺は自責の念から、ミナコの幻を見たのか。
俺は陸に上がると、すぐに病院に運ばれ事無きを得た。
妻からはさんざん叱られた。
だから調子に乗って沖へ行くなと言ったのにとさんざん罵られた。
「でも、助かって良かった。」
そう肩の上に小さな頭を乗せられると、俺は1年目にしてドキリとした。
俺は意外とこの女のことを愛しているのかもしれない。
あくる日、俺は刺された足も全く痛まず、もう泳ぐのは許してもらえないので、妻と手を繋ぎビーチを散歩した。
1年前、絶望的な愛と引き換えた物は、俺にとってかけがえの無い物になった。
この女と一生添い遂げよう。
「いたっ!」
ビーチを歩いていた俺の足に激痛が走った。
思わず、足を見ると、そこにはミナコが妙な形で横たわって、俺の足首を掴んでいた。
体はうつ伏せなのに、何故か首はこちらを向いていた。
笑った。ミナコが笑ったのだ。
「どうしたの?あなた。」
驚いた妻の顔が、かすんで来た。
意識が朦朧として、呼吸が苦しい。
ミナコに掴まれた足から氷のような冷たさが徐々に体を襲う。
倒れこんだ俺の横で妻が悲鳴をあげた。
「だ、誰か!救急車!」
妻がスマホで、救急に電話している声が遠くなって行った。
もう息をすることもままならない。
ミナコが俺の全てを飲み込んだ。
「だって、一人で死ぬなんて、いやだもの。」
nextpage
「アナフィラキシーショックですね。」
妻はそう告げられた。
「蜂でよく知られてますが、毒クラゲでも、症例はあるんです。死に至るのは珍しいことですが。」
妻は、死んだ夫の横で泣き崩れていた。
作者よもつひらさか
私の話が一番怖いのは、多くて読み切れないとのお褒めの言葉(?)をいただきました。
怖話、投稿100話目。ついに百物語達成しました。
何か起こるかもしれません。
#gp2015