《火事場の馬鹿力》という言葉が有るが、あれは本当なのだと実感した。
何か黒いドロリとした液体。木葉が其れを吐き出した瞬間、俺は自分でも予想の出来ない行動を取っていた。
木葉をおんぶし、家へと全力疾走したのだ。
自分の中にこんな力が有るとは思っていなかった。
幾ら自分より多少軽いとは言え、同学年の男子を背負って一キロを走りきったのだ。
嘔吐物(?)まみれになりながら。
普段なら有り得ないガッツと体力である。
・・・というか、今思えば、先に公園で手や口を綺麗にさせておけば良かったんじゃなかろうか。
木葉を早く家に連れ帰ろうとするあまり、頭から色々と抜け落ちてしまっていた。
やはり物事をよく考えないのは宜しくない。
其れに俺が気付いたのは、木葉を背負って家に到着し、口と手を綺麗にし、服を着替えている時だった。
黒い液体が付いてしまった服を勢い良く脱ぎ捨てながら、深く溜め息を付いた。
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身長はさほど変わらないのに、何故に俺の服を木葉が着ると若干ブカブカになってしまうのだろう。
謎だ。
・・・恐らく、こいつがちゃんと栄養を摂取していないからだな。そう言えば、前に朝飯に何を食ったか聞いたら「胡瓜と味噌」と答えていた。
味噌胡瓜は確かに美味いけど、食事として摂取するものじゃないと思ったのだった。
「・・・何ですか?」
そんなことを思い出していると、木葉が不思議そうに此方を見てきた。
「何でもない。気分、大丈夫か?」
「はい。」
木葉は体格や食生活のことを話題にされるのを嫌う。慌てて目線を逸らした。
「取り敢えず、部屋行こう。布団貸すから。」
「ごめんなさい・・・。」
「謝るなよ。無理してるのに気付けなかった俺も、悪いんだから。」
コクリ、と木葉が小さく頷く。俺は其れを見届けた後に、ゆっくりと脱衣場の扉を開いた。
「何してんのお前ら。」
「うおっ。」「ヒッッ。」
廊下に出ると、全裸の兄が仁王立ちしていた。
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さて、以下はフル○ンな兄の弁明である。
「俺が風呂に入ろうとしてたのにお前らが洗面所に居座ってペチャクチャペチャクチャ話してるから此のザマだろうが。」
弁明が弁明としての役目を放棄している。
此のザマってなんだ。其の陳列されている猥褻物もとい汚物のことか。そんなの元から大したことないだろうが。
友達が来てるのに全裸。真っ裸。
しかも仁王立ち。腕を組んでの仁王立ち。
理由を説明しろと言ったら此の体たらく。
全く以て救いようの無い阿呆である。
「パンツはどうしたんだよ。」
「脱いだ。」
「いや其れは見れば判るわ!」
「脱いだのは昨日の夜だ。」
「ずっとノーパンだったのかよ!!」
輪を掛けて救いようが無い。御釈迦様も蜘蛛の糸を鋏でちょん切りたくなるレベルだ。
俺もどうして気付けなかった。
「履けよパンツ!」
「今から風呂入るっつってんだろバカ。誰が履くか。」
お前にだけはバカと言われたくない。
後ろで縮こまっている木葉が、服の裾をギュッと掴んできた。兄のあまりの馬鹿さ加減が怖くなってしまったのだろう。
「だから、風呂に入るまでの僅かな時間でも汚物を晒すなってことだろうが!見ろ!木葉が真っ青になってる!」
「五月蝿い。早くどけ。俺がさっさと風呂に入れば良いだけの話だろ。」
どうしよう話が通じない。日本人処か兄弟なのに。
ジリジリと兄、延いては汚物が俺達に近付いて来る。
「うわ寄るなコンチクチクショウ!!」
「其処退け。其処退け。俺様が通る。」
完全なる悪ノリである。
「ふざけんな!!」
「ふはははは。」
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狂乱の中、後ろから小さな声が聞こえた。
「うわぁ・・・。」と。
振り向くと、木葉が何かおぞましい物を見るような目で兄を見ていた。
そして、何とも言えない哀しげな顔をして目を逸らす。
兄が急にモジモジし始めた。
「いや、あの、その・・・。スミマセン。パンツ履いて出直して来ます。」
そう恥ずかしそうに言い、クルリと踵を返して、兄は部屋へと戻って行った。
「・・・・・・見なかったことにして、部屋、行くか。」
「そうですね。」
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部屋に着くと、木葉は本棚の隅に恐る恐ると言った感じで腰を下ろした。
「寝てなくて大丈夫か?いや、大丈夫じゃないな寝てろ。」
「・・・大丈夫です。」
「さっきもそう言って吐いてたろ。」
押し入れから布団を引き摺り出す。流石に俺が普段使ってる万年床には寝かせられない。
「じいさんに連絡取んなきゃな。」
「祖父は今、四国ですよ。」
小学生の子供ほっぽり出して何してんだあのヒゲジジイ。
「空を飛ぶ犬の首を追ってます。一週間後には帰るそうですし・・・」
そして一体何者なんだあのヒゲジジイ。
「多分、明日には治りますよ。もういい時間ですし、一眠りさせて貰ったら帰ります。」
「一眠りしたら、もう夕暮れ時だ。逃げられなくなるだろ。泊まってけよ。」
もすもすと布団を触りながら木葉が呟く。
「でも・・・・・・。」
「さっさと寝ろ。夕飯、何か食えそうか?一応用意はしておくから。」
「・・・ごめ」「ごめんなさい、は禁止。」
掛け布団を捲りながら言うと、少し困ったような顔をされてしまった。
・・・まぁ、いいか。
「じゃ、親父と婆ちゃんに話して来るから。」
やっと布団に入り始めた木葉を見遣りながら、襖を開ける。電話の有る居間へと移動する為だ。
「・・・・・・真白君、ありがとう。」
消え入るような声に応え、軽く手を上げる。
襖を閉める時にふと見ると、木葉は布団にすっぽりと埋まっていた。
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婆ちゃんが木葉と俺の為に、にゅうめんを作ってくれた。土鍋と二つの碗を部屋に運ぶ。
部屋に戻ると、木葉はスヤスヤと寝ていた。
額に手を当てて見ると、ひんやりとしている。熱は無さそうだ。
「木葉、起きろ。起きれるか?」
渡しておいた体温計が、傍に転がっていた。目盛りは36度7分。平熱。
大丈夫そうだな。
「木葉、木葉。にゅうめん持ってきた。ほら、起きろ。」
ゆさゆさと揺さぶる。
もにょりと布団の塊が動いた。
「ああほら、出てこい。」
然し、微動を続ける割には木葉は出てこない。
「もう・・・起きろってば。お前本当に目覚め悪いな。」
布団を半分ほど剥がすと、まだ目が閉じられている木葉の顔が現れた。
歪められた瞼。耳を澄ますと「ギギギギ・・・」と妙な呻き声を上げている。
嫌な夢でも見ているのだろうか。
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目の縁に、黒いものが見えた。丸く盛り上がり、ふるふると揺れ、そして崩れる。
涙だ。
トロリと跡を残しながら、こめかみを伝って行く。
布団に垂れてしまう前に指で拭った。
軟らかなとろみのある液体。
此れは、さっきのと同じ・・・
背筋を冷たい汗が伝う。
慌てて指先の液体をティッシュに擦り付けた。
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「ごめんなさい、つい熟睡してしまって
・・・・・・真白君?」
ゴミ箱に丸めたティッシュを放り投げる。
カサリ。軽い音を立ててゴミ箱の縁からティッシュが落ちた。
「どうかしましたか。真白君。」
身動ぎの気配。どうやら木葉が起き上がったらしい。振り返ろうとして、ふと恐ろしくなる。
彼の涙が、眼球が、黒く染まっていたらどうしよう。
「どうしたんですか?」
また、後ろから木葉の声が聞こえた。
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結果として、俺の心配は杞憂に終わった。
木葉は何時もの木葉だったし、にゅうめんもちゃんと食べた。
風呂にも入って服も着替えて、そろそろ時計が夜の九時を指そうかという頃。
「で、作戦会議な。」
「はい。」
「先ず、あの救急車が黒い奴と関係が有ったかどうかについて。」
算数ノートの後ろのページを開き《救急車と黒いやつ》と書き込む。
「運ばれてったのは、熱中症で倒れた土井のお爺さんだそうです。」
「熱中症?」
木葉が小さく頷く。
「ええ。おばさん達がそう話してました。倒れて、コンクリートの・・・ほら、歩道と車道を分ける出っ張りに、頭をぶつけたそうです。ほら、地面に血が付いてたでしょう。」
「そうか。発見者のおばさんには暈されて教えられたから、知らなかった。」
目の前の顔が僅かに輝いた。
「発見者?・・・ってことは、あの影が来たからって訳じゃないんじゃ?」
「いや、爺さんはやっぱりあの時間に倒れたそうだ。二階の窓から見てたらしい。その時に、あの黒い奴も目撃されてる。擦れ違った瞬間に倒れたらしい。通行人かと思ったら違かったってな・・・。」
先程まで輝いていた顔が、一気に萎む。
「じゃあやっぱり・・・」
「無関係じゃないと思う。多分。」
今度は少しだけ怒ったようにむくれられた。
・・・俺は悪くないのに、何故に俺を睨むし。
「やですねぇー。」
何処か間の抜けた口調で、木葉は布団をペシペシと叩いた。
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さて、結局その日は有効な作戦を考えられず眠ってしまった訳だが、俺達とて何も考えなかった訳ではないし、頼る相手が居ない訳でもない。
次の日、俺達は電車とバスを使用し、とある建物へと向かった。
受付で手続きを済ませ、もう記憶した番号の部屋へ。
「やあ、来たね。最近とんと無沙汰だったから、とうとう忘れられたのかと思ったよ。」
ドアを開けると、何処と無く嬉しそうな声が聞こえた。
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「お久し振りです。縁さん。」
俺達は揃って頭を下げた。
作者紺野
どうも。紺野です。
何でこう長くなってしまうんだろう。
というか、股間の下り必要無かった気が・・・
多分、今回の話は長引きます。パッパと状況説明が出来ていないので。
そして、来週から新しい人物が出てきます。
此れからもお付き合い頂けたのなら、幸いです。