俺は今、猛烈に焦っている。
デートの約束に遅れそうになっている。
アヤは時間に厳しい女だ。
少しでも待たせると、猛烈に怒って、しばらく会ってくれないし、電話に出ないのは勿論、携帯メールやラインも1週間は無視される。
一度そんな目に遭えば、二度と同じ失敗は繰り返さない。
俺は学習する男だ。
なんとか、アヤが来る前には、約束の場所に到着しなければならない。
胸ポケットの携帯のバイブの振動音が胸に伝わる。
やべっ!今日はあいつ、早めについたのか!
そう思い、焦って電話に出た。
「も、もしもし!」
俺は走って居るので、息切れしどもってしまった。
「あ~、オレオレ。オレだけどさぁ~。ちょーっと困ったことになっちゃってえ。助けてくんない?」
妙に間延びした声が聞こえてきた。
ちっ、こんな時に間違い電話かよ。それともオレオレ詐欺か?
俺は黙って電話を切ろうとした。
「おーっと、電話を切るなよ?アヤがどうなってもいいの?」
瞬間電話を切ろうとした親指は止まり、俺の体がかっと熱くなった。
「だ、誰だ、お前!何でアヤのこと知ってんだ!アヤ、そこにいるのか?」俺は、携帯に向かって叫んだ。
「あぁ~、まだ約束の場所には来てねえなあ。」
なんで約束の場所まで知ってるんだ!こいつ、アヤのストーカーか?
「ハッタリもいい加減にしろよ、コノヤロウ。お前誰だ!」
「来れば誰かわかるってwお前ら、〇〇駅で待ち合わせてんだろ?」
やはりこいつ、ストーカーに違いない。
アヤが気付かないうちに、俺たちのメールのやりとりを覗いたに違いない。いや、待てよ?本当にストーカーか?アヤには別の男がいたりして。俺の不安は掻き立てられた。でも、付き合っている男が、アヤがどうなってもいいのか、なんて言うだろうか?とにかく、アヤが危ない。
俺はアヤに危険を知らせるために、その電話を切り、すぐにアヤの番号に電話した。
「おかけになった電話番号は、電源が入っていないか電波の届かないところにあるためかかりません。」
乾いた女性の声が響く。
クソ!こんな時に!アヤのほうが早く着いたら、あいつに何をされるかわからない。あいつはあの駅でアヤが来るのを待ってるんだ。
なんでこんな時に限って遅刻しそうなんだ、俺は!
俺は、一生に一度の走りを見せた。
そして俺はなんとか約束の時間5分前に駅に着いた。
約束の場所で、キョロキョロとアヤを探した。
アヤの名を呼ぼうとしたときに、物陰から手が伸びてきて引っ張られた。
バランスを崩しながらも、引っ張られた相手を確認して俺は呆然となった。
「な?俺だって言ったろ?」
目の前に居るのは、紛れもない俺だ。
鏡ではない。
確かに俺だが、様子が変だ。目つきも虚ろだし、だいいちシャツが血まみれだ。
こいつこんな格好なのに、誰にも怪しまれなかったのか。
「まあ、お前にしか俺は見えてねえからな。」
俺の心中を察したのか、そいつは答えた。
「お前、誰なんだ。俺にそっくりな誰かなのか?」
まだこの事態が信じられない俺がいた。
ドッペルゲンガーなど、空想物語の中だけのものだと思っていたのだ。
血まみれのシャツに目が釘付けになった。
「ま、まさかぁ、お前~~~!アヤに何かしたのかっ!」
俺は飛びかかりそうな勢いで近づいた。
すると、そいつはひょいと身を引いてニヤニヤ笑った。
「だから、アヤは来てねえんだってば。アヤには手を出してねえ。こっちのアヤにはな・・・。」
「どういう意味だ!」
「パラレルワールド、っつうやつ?俺はあちらのアヤは殺っちまったw」
俺は混乱した。
「お前はいいよなあ。こっちのアヤに愛されてるからさあ。こっち飛ばされたら、俺の携帯とお前の携帯がリンクしちゃって、悪いけどお前らのやりとり見ちゃったんだ。俺のほうはうまく行かなかった。俺がこんなに好きなのに、あっちのアヤは俺に冷たかったぜ。だから、殺っちまった。その瞬間にこっちの世界に飛ばされたっつうわけ。」
そいつのしゃべり方はいちいち癇に障る。
「俺もさあ、最初何が起こったかわからなくてさあ。殺っちまったアヤはそこにいなくて、いきなり駅に飛ばされたわけよ。そういうときって携帯見ちゃうだろ?記憶でも飛んだのかなって、携帯開いて時間見たわけよ。そしたら着信にアヤの番号があったから慌てて開いたらどうも様子がおかしい。これって俺宛じゃねえよなあ。しかもアヤは殺ったわけだし。それに駅の様子や周りの風景も微妙になんか違うわけよ。俺の世界はもっとこう荒んでるっつうの?」
「そんなこと言われてすぐ信じられると思うか?」
俺と同じ顔をした男に向かって言った。
「まあ、信じるも信じないも、どっちでもいいや。ところで、お前に相談があるんだよ。俺は突然、こっちの世界に飛ばされて困ってんだよね。アヤを殺っちまったこともすげー後悔してるし。本当は仲良くしたかったんだよ。それだけ。そこで、俺は良いアイデアを思いついちゃった。」
そう言ってもう一人の俺は、パチンと指を鳴らした。
「俺は二人も必要ないわけじゃん?お前は、もうこっちで十分アヤといちゃいちゃしただろ?だから、今度は俺の番。お前、俺と交代してくんない?」
「はあ?何を言ってるんだ、お前。」
「いいじゃん、ケチケチすんなよ。どうせ一つの世界におんなじ人間は存在できないんだからさ。」
そう言うと、手を後ろに回し、血まみれのナイフを尻のポケットから取り出した。
俺は一瞬息を飲んだ。寸でのところで、そのナイフをかわし、俺は俺からナイフを奪った。
そして、深く胸に差し込んだ。
俺が苦しげに、口から血の泡を吹いた。
そして、どさりとその場に倒れた。
初めて人を刺した。人を殺してしまった。
俺はそれが人ではないかもしれないと思っても、震えが止まらなかった。
そして、俺は意識が遠くなって、ショックでその場で倒れてしまったのだ。
「タツヤ、タツヤったら!大丈夫?どうしたの?」
俺は誰かから肩を揺さぶられている。俺はベンチに座っているようだ。
徐々に目を開けると、目の前にアヤの顔があった。
俺は、先程の出来事を思い出し、思わずビクっとなり、慌てて自分の衣服に返り血を浴びてないか確認した。
白い清潔なシャツには汚れ一つついてはいなかった。
夢?なのか?あんなリアルな夢があるのか?
「ああ、寝てた。悪い夢を見てたんだ。」
アヤにそう言うと、アヤが俺の前で手を合わせて謝った。
「ごめんねえ、随分待ったから眠くなったんだね。時間に厳しいくせに、自分が遅れてごめんね。電車が遅れちゃって。」
「ううん、気にすんなよ。じゃあ、行こうか。」
俺は何事も無かったかのように、アヤと手を繋いだ。
俺はその日から、ずっとあの不思議な出来事のことを考えていた。
あの日はあれから無理をしてアヤとデートをしたわけだけど、正直疲れていた。
あれが夢とは思えないのは、そのハンパない疲労感からだ。
俺と同じ顔をした俺にナイフをつきたてるあの感触がまだこの手に残っている。
俺はおかしくなっちまったのだろうか?
あの日のことを考えると、不安になって、気持ちがイライラした。
周りの人間に当たってしまったこともあった。
大丈夫、あれは夢だ。
いや、夢ではない。
二つの気持ちの葛藤で精神的に参っていた。
部屋に居ると、余計なことばかり考えてしまうので、俺は夜の街へと繰り出した。
夜の街を歩いていると、俺の胸の携帯が鳴った。
アヤからのメールだ。
「タツヤ、最近、変だよ?何をイライラしてるの?
あたしは、タツヤの優しいところが好きだった。」
なぜ、過去形なんだ。俺の胸はざわざわと騒いだ。
「さすがに、タツヤにこの前怒鳴られた時は怖かったよ。」
そんなことをしたっけ?
「タツヤはもう、私が好きだったタツヤじゃなくなってる。
なんだか別人みたい。」
そんなことはない、俺は俺だ。変わりない。
「タツヤ、もうお別れしよ。」
俺は決定的な言葉を突きつけられ、血の気が引いた。
なんで?そんなこと、前会った時、一言も言わなかったじゃないか。
急になんだよ!
俺は返信をしようと、携帯に指を掛けた時に、ふと目の端に何かが映った。
「アヤ・・・。」
街を歩くアヤが、メッセージを送信し終わった携帯をバッグにしまった。
そして、その腕を、見知らぬ男に絡ませたのだ。
誰なんだ、その男は。
怒りに震える俺は、携帯を取り出し、すぐにアヤに電話する。
「おかけになった電話番号は、電源が入っていないか電波の届かないところにあるためかかりません。」
電源を切りやがった。
「殺しちゃえよ。」
俺の頭の中ではっきりと声が響いた。
俺は驚いた。
(お前なのか?)
(そうだよ、オレオレw)
あいつと俺は一心同体になってしまったのか?
それとも、俺はあの時もうすでにあいつになってしまっていたのか?
それとも元々、俺の中に眠っていた、サイコパスの俺なのか?
頭がおかしくなりそうだ。
「もう、どっちでもいいや。」
俺はそう呟くと、最近護身用に持ち歩くようになったナイフを尻のポケットから取り出し、アヤと男を追った。
作者よもつひらさか