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「お父さんのお墓のね、石がずれてたんよ。」
美里は一瞬、母の言葉の意味がわからなかった。
「えっ?どういうこと?」
美里が問うと、清子は半分溜息交じりに答えた。
「納骨堂よ。」
美里は、母の溜息の意味を一瞬にして理解した。
「普通、あんな所、よほどの衝撃を与えない限り、ズレないよね。」
美里も溜息をつく。
「和利に伝えたら、ズレを直してくれたんだけど。」
和利は美里の弟である。独身で母の清子とは同居中だ。
「和利に、お骨が持ち出されたんじゃないか、って言っても信じないんよ。」
和利は世間知らずのうえ、頑固者だ。父親からは甘やかされて育ったので、自分の考えを絶対に曲げない。それが故、すぐに職場の人間と喧嘩をしてしまうので、職を転々としている。
そんなことがあるか、と一喝されればもう母は言うことを許されない。母ももう聞き入れられないことはわかっているので諦めているのだ。それでたぶん、美里に相談に来たのだろう。
父が亡くなって7年目。清子は七回忌法要の日取りと日常の愚痴を言いに美里の家を訪れていた。美里は嫁いですでに、子供はもう成人して別世帯で暮らしている。父親の和成は67で他界した。
お骨が持ち出されたのではないかと思うに至るには、心当たりがあるからだ。
父親の和成は生前、愛人が絶えたことがなかった。常に愛人がおり、家族は貧困と苦痛を強いられたのだ。
表面上は、社長だが有限会社で個人経営の会社がそんなに儲かるはずもない。
仕事があるときだけ、職人を雇うような状態で、しかもその仕事も途切れ途切れ。
家計は常に火の車で、美里も給食費すら払えないことが何度もあった。
そういう経済状態の原因とも言えるのが、和成の浮気だった。普通に暮らしていれば、決して生活が立ち行かないことは無かったのだ。ほぼ、家に居ることが無かったので、恐らく愛人の家で食事をするのだろう。そうなれば、なにがしかの生活費くらいは渡していたのではないだろうか。
そんな愛人の中で、一番執念深い女が居た。おそらくその女が一番長く付き合った愛人なのであろう。その愛人には、清子も美里もいろんな嫌がらせをされた。無言電話はもちろん、美里が高校生の頃、差出人不明の手紙が美里に届いた。
「あなたのお父さんには愛人が居て、しかも子供までいる。」という内容であった。その手紙を清子に見せると、清子は怒り心頭だった。子供にまでこんな嫌がらせをするなんてと怒りを露にした。
「子供まで居るなんて、嘘よ。だって、あれは自分の離婚した夫の連れ子だもの。」
清子は呆れた。すぐにその手紙を和成に見せたのだろう。
さすがの和成も、度がすぎた嫌がらせに嫌気が差したのか、それから程なくして、その女とは別れたらしい。美里は一度、その女と出会ったことがある。遠くから、父親の様子をうかがっていた、あの髪の長い、汚らしい女がそうなのだろう。痩せ型ではあるが、色黒の醜い女だった。
「まあ、お骨を持ち出そうと、関係ないけどね。」
清子が呆れたように吐き出した。
「そうね。お骨なんて、どうするんだろうね。」
美里も同意した。
こんなふうに思われても和成は仕方の無い男だったのだ。
その頃、愛人の百合子は、スーパーの袋に詰めた物を小さな桐の箱に収めていた。
「やったわ。やってやった。あの女は空のお墓でも拝めばいいのよ。」
一人、1Kの小さなアパートで高笑いしていた。
和成は前夫と離婚後に付き合ったただ一人の男だった。
看護士をしていた百合子が勤める病院に入院してきたのが和成だった。
まだ当時幼い子供を抱えていた百合子には和成が心の拠り所だった。
和成は幼い息子も可愛がってくれたし、愛人の百合子の元に入り浸りだった。
百合子はその頃、優越感に浸っていた。本妻の清子は、目鼻立ちのはっきりした女だった。
百合子には無い物を持ち、しかも狭いアパートに暮らす百合子とは違い、和成が建てた持ち家に住んでいた。
百合子には、それが悔しくて仕方なかったのだ。百合子は、徹底的に和成の家族に嫌がらせをした。
ただし、息子の和利は溺愛していたので、和利に対しては和成の逆鱗に触れてはならないので嫌がらせはしなかった。いつかは、家族を追い出して、自分が本妻に納まることを信じて止まなかった。
しかし、百合子はやりすぎた。娘である、美里に嫌がらせの手紙を出したことだ。
同じ自分の子供であることに間違いない。しかも、その頃には百合子は年を取り、すでに和成の心は百合子から離れており、同時進行で別の女と付き合っていたことを百合子は知らない。潮時だったのだ。
それから数年が経ち、和成が亡くなったと知らされた。百合子のショックは大きかった。
もちろん、葬儀にも参列した。棺の中の和成は、一回り小さくなったような気がした。
元々小柄な男である。棺の中の和成の頭を撫でた。
なんで、先に逝っちゃったの?百合子は不思議と涙は出なかった。
百合子は毎年、和成のお墓参りは欠かさなかった。彼岸とお盆、お正月には、きちんとお墓参りをした。清子と鉢合わせしないように、細心の注意を払っての墓参り。
百合子の中にふつふつとまた怒りの種が燃え盛った。なんで私が、こそこそとしなければならないの?私はあなたが死んでも愛人のままじゃないの。その怒りが百合子を動かした。
納骨堂の石は、年老いた百合子には重かった。夜陰に紛れてお骨を取り出したものの、力が弱く石をきちんと元の位置に戻せなかったのだ。
お骨を盗んだ日に、百合子の枕元に和成が立った。
「和成さん!」
百合子は涙した。やっぱり私の元に帰ってきてくれたのね。そう思ったが、和成はどこか悲しそうな表情をしている。
「カエ・・・シテ」
かすかに声が聞こえた。和成の声だ。
「かえして?どういうこと?」
百合子が問うと、さらに悲しそうな顔をして
「カエ・・シテ」
と繰り返す。そう言うと、和成は玄関に向かい、ドアノブをガチャガチャと回した。
「カエリタイ」
今度ははっきりと聞こえた。「帰りたい」
その言葉に百合子は逆上した。
「何よ!ここがあなたの家よ?帰りたいってなによ!あの女のところに帰るのね?そうは行かないんだから!」
百合子が叫ぶと、隣から壁を叩く音がして、ウルセエ、何時だと思ってるんだ、クソババア!と怒鳴る声がした。
すると、和成の姿がすーっと消えた。待って、和成さん、行かないで。あの女の元に行かないで!
何のためにお骨まで盗んできたと思ってるの?
死んでもまだなお、私を愛人扱いするのね。そうなの、それじゃあ仕方ないわ。
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七回忌の法要は、家族だけで密かに行われている。
七回忌ともなると、もう家族だけでいいだろうと、家の仏壇の前でお坊さんにお経だけ読んでもらっているのだ。
お経の最中に、玄関のチャイムが鳴らされた。こんな時に、誰だろう。清子は仕方なく、玄関に向かった。
「はーい、どなた?」
引き戸のガラス戸に人影は見えるのだが、返事はない。
清子は、玄関のドアのロックを外し、引き戸を開けた。
「キャー!」
玄関から叫び声がした。和利と美里はその叫び声が清子のものだとすぐに気付き、玄関へ走った。
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玄関に血溜まりができていて、そこには醜い老婆が包丁を持って立っていた。
すぐに和利が飛び掛り、老婆を取り押さえた。
「おかあさん、おかあさん!」美里は半狂乱になった。
清子の腕からおびただしい血が流れている。事態を見て驚いたお坊さんが、携帯で慌てて110番を押す。
「あんたさえいなければ!あんたさえいなければ!和成さんはああああああああ!」
取り押さえられてもなお、錯乱状態の老婆は叫び続けた。
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さいわい清子は大事には至らなかった。手を十数針縫う怪我をしたが、清子にとっては一生トラウマとなるだろう。
「本当に執念深い女ね。」
清子達には、女の心理がまったく理解できなかった。
百合子には傷害で実刑判決が出ており、現在、医療刑務所に収容されている。心神耗弱が認められての判決だった。
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「ウフフ、帰ろうったって、そうは行かないわよ。あなたは死んでも私と暮らすの。」
独房からクスクス笑いが漏れてくる。
「あの独房の婆さん、マジ、気持ち悪いんだけど。」
看護士同士がひそひそと話す。
カエシテ カエシテ
馬鹿ね、帰れるわけないじゃない。
だって、あなたは私の中に居るんだもの。
百合子は、口にした骨の味を思い出し優越感に酔いしれていた。
アナタハ ワタシノモノ。
作者よもつひらさか