これは俺が小学六年の時、詳しい場所などは忘れてしまったが、珍しく家族全員揃って海水浴に出かけた時の話だ。
一泊の予定で泊まったその民宿の名前は今でもはっきりと記憶している。
宿名を「みさき荘」といった。
古い建物だった。
いくらシーズン中で部屋が取れないとはいえ、こんな何十年前から建っているのかも分からないボロい民宿に決めるとは、さすがに俺の親父だなと今になってはそう思う。まあ、ペットOKの宿がそこしか無かったのかも知れないが。
しかも思い立ったら即行動!という親父の計画が裏目に出たのか、その日の海は大荒れでとても泳ぎに出れる様な波では無かった。
さすがは俺の親父だ。
「 あーあ、もう最低!!」
窓から見える高波に癇を発し、妹の美菜が拗ねてブラウン管テレビのチャンネルを乱暴に回している。
ガチャガチャガチャガチャ
『 あーーー(´Д` )!いくーーー!!』
するとなんという事か、突然俺達家族全員の目の前で、裸の男女が繰り広げる艶かしい18禁映像が残酷にも鮮明に移し出されたのだ。
『 あーーー(´Д` ) あ、あ、あ、いく、いく、いっくーーー!!!』
チャンネルを回していた美菜の右手はショックの余りカタカタと震え出し、目を見開き、大きな口を開けたままで固まってしまった。
無理も無い。
小学校に上がったばかりの純真無垢でいたいけな少女が、目の前で繰り広げられるこんな卑猥な映像に耐えられる訳もない事は、あの年末に爆笑を掻っさらって行く「昭和の喜劇王、ジミー大西氏」でも分かる筈だ。
しかし有料チャンネルの筈が一体何故…? と、一つの疑問が残る。
恐らくは前の宿泊客が金を入れてそのまま帰ったのだろうが、単にテレビの故障だったのかも知れない。
「 お、おまえ達は部屋で遊んでいなさい… 危ないから絶対に外にでるんじゃないぞ! お、お父さん達は風呂に入ってくるからな!」
親父はバツが悪そうにそう告げると、母親を連れてそそくさと部屋を出て行ってしまった。
『 あーーー(´Д` )!!いく、いくう、あっはーーーん♡』
…プツン!!
見ると、便所へ行っていた筈の夏美がテレビの側で愛犬マモルを抱っこしながら立っており、ニヤニヤと笑いながら電源のツマミを押した。
「 兄貴ー、私知ってるよw この人達ってエッチな事してたんだよねw」
この美菜と同じ顔をした夏美は、双子の姉の方にあたる。美菜とは少し性格が違い、負けん気が強く、やたら喧嘩も強く、曲がった事が大嫌いな武闘派だ。
多分、親父の血を多めに引き継いでいるのだろう。
「 おい夏美そんな事より美菜を運ぶの手伝えよ!」
美菜は先程のショッキング映像のせいで、正座をしたまま気を失っているようだ。目が完全に逝っている。
押し入れからカビ臭い布団を引き摺り出し、よいこらしょと二人掛かりで美菜を運んでいると、一階の方から親父の怒号が響いてきた。恐らく宿主に文句を言っているのだろう。
…
「 あーあ、折角海に来たのになんか勿体無いなぁ… 」
夏美が窓の外を見つめながら溜息をついた。
ここから見える海は相変わらずの荒れ模様で、空は灰色に濁り、小雨がパラパラと舞っている。風も強いようで窓の隙間からピューピューと音が漏れて来る。
「 ねぇねぇ行こうよ兄貴!泳がなかったらいいんでしょw?」
「 はっ?馬鹿かお前?!親父に見つかったらシバかれんのは俺だぞ!駄目に決まってんだろ!」
「 何ビビってんのよ兄貴w 大丈夫だよちょっとだけだから!お父さん達がお風呂上がってくるまでに帰ってればいいんでしょ?ねっお願い!」
「 だから無理なんだって!しつこいよなお前は!さっき部屋から絶対出るなって言われただろ!」
俺は幼い頃から親父のゲンコツの威力を体で覚えさせられていた為に、夏美のこの暴言だけは命を張ってでも止めなければならなかった。だが、しかし…
(*`へ´*)
そこには指をポキポキと鳴らしながら、若かりし頃の的場浩司先生並みのガンを飛ばしている夏美がいた。
…
数分後、俺と夏美は海岸沿いの砂浜に並んで立っていた。
「 波、すっごいね…」
「 ああ、近くで見るとよりすげーな!」
『 本日は高波のため遊泳禁止となっております… 繰り返します… 本日は高波のため… 』
丸太に括り付けられたスピーカーから、無機質な声が風に乗って流れてくる。
ザザーーーン…
ザザーーーン…
俺達の背丈よりも遥かに高い荒波が、幾度も打ち寄せてはまた引いてゆく。
ビュオおおおお!!
「 あっ!!」
強い風に煽られて夏美の被る白くツバの広い帽子が飛ばされた。
そしてそれはあっと言う間に、うねる波の中へと消えていった。
ビュオおおおお!!
「 おい夏美ヤバイだろあれ母ちゃんに貰ったやつだろ?!」
ビュオおおおおおえおオうー!!
「おい夏美!聞いてんのかよ?」
「 ちょ、ちょっと兄貴!静かにしてて!」
「 えっ?」
ビュオーおおおおおえおえオあオお!!
「 ねえ兄貴、なんか風の音と別に変な声みたいなの聞こえない?」
「…声?」
確かに夏美の言う通り、風の音に混じって呻き声の様なものが聞こえる…しかもそれは一人の声ではなく、まるで大勢の人間が一斉に呻いているようにも聞こえた。
ビュおおおえおおオオおおおおオオおおおおオオおおえあおオオおおおおオオおおおおオオおおおおオオおえおお!!!
「 ひっ!!」
「 あ、兄貴あれ!!」
夏美が指差した先は、俺達が泊まっているあの民宿のみさき荘だった。
「 えっ、何だ?何かあるのか?」
目の悪い俺はオデコに掛けていた眼鏡を目に当て直して、夏美の言うみさき荘の二階の部屋を見た。
すると、俺たちの部屋の窓際に、真っ白な服を着た髪の長い女が立っているのが見えた。
「 ん?誰だあれ?母ちゃんかな?」
「 違う、お母さんはあんなに髪の毛長くないもん…ダメ兄貴!あの人の事あんまり長く見ない方がいい!」
「 見んなってどういう意味だよ?てかあの女誰だよ?なんで俺達の部屋にあんな女が入り込んでるんだ?もしかして旅館の人か?」
「 だから違うって!!」
ビュオーーーおえおオオおおおおオオおおおおオオおえおお!!!
「 う、うわああああ!な、何だよお前?!」
一際強い突風が吹き、態勢を崩した夏美の手を慌てて掴もうとした時に、そいつは立っていた。
目は窪み、顔は生気の無い土色。
腰まで伸ばしたびしょ濡れの長い黒髪。ビタリと身体中に貼りつく白いワンピース。
それが夏美の肩に顔を乗せて、耳元で欠伸をしたかの様な大口を開けていた。
「 う、うわあああああ!!」
ザザーーーン!!
「 きゃあ!!」
次の瞬間、夏美は人形の様にパタリと倒れ、そのまま女と共に一瞬で海の中へと引き込まれて行った。波から伸びてきた幾つもの長く白い「手」によって…
「 夏美ーー!!!」
俺はTシャツを脱ぐと、パンツ一丁で荒れる海の中へと飛び込んだ。
「 どこだ?!どこだ夏美ーー!!」
泳ぎにはかなりの自信があった方だが、自然が作りだす大きな力の前には全く歯が立つ筈も無い。何度も波を被り大量の塩水を飲んで、噎せて涙が止まらなかった。
ものの数分で体力を奪われた俺だったが、兎に角、力の続く限り夏美の名前を叫び続けた。
「 …に…きぃ… 」
「 !!!」
もうダメかと諦めかけた時、波の中から微かに声が聞こえた。
「 どこだ?!どこにいるんだ夏美ーー!!」
すると、漸くうねる波の隙間に夏美の物と思われる姿を捉えた。
俺は最後の力を振り絞って夏美の元まで必死で泳いだ。もうそれがクロールなのか、平泳ぎなのか、犬掻きなのか分からない、無茶苦茶な新しい泳ぎ方だったと思う。
何度も波に押し流されそうになりながらも、漸くあと少しで夏美に届く所まで来た。どうやら夏美は遊泳許可区域を示す丸いブイに掴まっているようだ。
夏美も必死なのか、顔を顰めながら必死でそれにしがみ付いている。
だが、夏美を引き寄せた時にその黒いブイの異変に気が付いた。
「 おい夏美!お前それ…一体何にしがみ付いてんだ?」
「 ………… 」
それはどう見ても人間の頭部だった。
夏美は気を失っているのか目を閉じており、辺りに広がる海藻の様な長い黒髪が夏美の二の腕から首に掛けてぐるりと巻き付いている。
そしてジャパジャパと音を立てながら、その頭がゆっくりとこちらを向いた。
…
…
わん!わん!わん!フガ…
わん!わん!わん!フガ…
「 …ん? ま、マモル…?」
「 良かった!兄貴目ぇ醒ましたよお父さん!!」
「 お、本当か美菜!チッ、このガキャ心配させやがって!!」
ガツン!!!
海岸で目を醒ました瞬間、親父の硬いゲンコツによりまたもや俺は意識を失った。
…
「 …ん…?」
次に目を醒ましたのは、もう夜の七時を回った頃だった。
ズキズキと痛む頭を押さえながら隣りの部屋を覗くと、俺以外の全員 (マモル含む) が夕食を食べながらテレビを見て笑っていた。
「 お、おい夏美!お前大丈夫なのか?!」
俺は布団から飛び出して、呑気に焼き魚を食っている夏美にしがみ付いた。
ドグッ!!
「 痛っ!!(´Д` )/ 」
重い肘を腹に貰った。
「 やめてよ気持ち悪いわね!大丈夫って何よ?それはこっちの台詞じゃないバカ兄貴!!」
「 へっ?」
そろそろ書くのにも疲れてきたので、夏美がいう事をザッと要約するとこうだ。
まず、海岸に夏美は行っておらず、親父と母ちゃんの後について風呂へ行っていた。
帰って来ると部屋に俺の姿が無く、マモルが窓際でクルクル回りながら外を見ろ!というので見たら俺が一人砂浜を歩いており、波に呑み込まれるのが見えた。
昔、ライフセーバーの経験がある親父がすぐに海へ飛び込んで俺を助けた。
因みに親父が追い付いた時、俺はブイに捕まりながら既に意識を無くしていた。と、まあこういう事らしい。
「 マモルに感謝しとけよロビン!助けんのが後もう少し遅れていたらお前は完全にサメの餌になってたんだからな!わははははは!!」
酒の弱い親父が冷酒で赤くなった顔を崩し、下品に笑っている。
マモルを見ると、テレビを見ながらまるで「気にすんな」とでもいいたげに尻尾だけをクルクルと回している…
なんか納得いかない。
いや、全然納得いかない。
俺は遂に頭がおかしくなってしまったのだろうか?俺の記憶ではあの時確かに夏美は俺と一緒に砂浜に立っていた。
あの不気味な女も見た筈だ。
しかし現実は、あんな目に会った筈なのに何事も無かったかの様にマモルの背中に顔を押し当てながらモフモフしている。
「 やはり俺が間違っているのか?」
海岸で親父に殴られて天地が逆さまになり気を失う刹那、水辺に佇んでいる腰から上だけの女を見た様な気もする。
だがこれ以上深く考えると腹が立って来そうなので、もう考えるのは止める事にした。
「 大体こんな薄汚い、気持ち悪い民宿なんかに泊まるからこうなるんだよ…ブツブツ…」
地獄耳の親父がピクリと反応する。
ぐぅ〜♪♭
腹が鳴った。
気持ちを切り替えて俺も晩飯に参加しようと立ち上がった時、口の中に妙な違和感を感じた。
奥歯に何かが挟まっている感覚。
なんだ?
人差し指と親指でそれを摘み、ゆっくりと引き出す。
「 ぎゃああああああああ!!」
俺は本日三度目の気絶をして、翌朝チェックアウトの時間まで一度も目を醒ます事は無かった。
【了】
作者ロビンⓂ︎
これは前に書いて、消してしまった話の再投稿になります…ひ…