「ほら加奈ちゃん!花火! 花火! 」
「うわあ!すごーい!!」
こうして妻と娘の喜ぶ顔を見ていると、会社でのストレスなどあっという間に何処かへと消えてしまう。
ここ最近は仕事が多忙だった事もあり、この夏祭り…花火大会へも正直言ってあまり乗り気では無かったのだが、娘の愛くるしく無邪気な笑顔を見ているとやはり来て良かったなぁと思い直す。
妻に頼まれていた焼きそばとイカ焼きに両手を塞がれ、夜空を指差しながらはしゃぐ2人の後ろ姿を眺めている俺。
微笑ましく、永遠にこのままいっそ時なんて止まってしまえばいいのにという気持ちが溢れて来る。
年に一度の花火大会という事もあってか沢山の出店が軒を連ね、今このグラウンドに街中の人間が集まっているんじゃないか?と思わせる程の賑わいをみせていた。
ふと、先程立ち寄った店が気になり視線をそちらに移すと、店と店との隙間に幼い少女が立っているのが見えた。その子は身動きもせずにジッとこちらを見つめている。
すると、突然周りの雑踏が俺の両方の耳から一瞬にして消えうせ、その子から目が離せなくなってしまっていた。
息を呑む。
目の前を行き交う周囲の人間に反して、その女の子の身体は全く動いていない。
いや、勿論ただジッとしているのでは無くて、それはまるで写真のように、ビデオの様に、彼女だけが完全に「一時静止」してしまっているのだ。
俺はすぐに気づいた。
この子は生きていないと。
髪の毛は肩辺りで一つに纏められており、身に付けている物は妙に時代遅れな単色の着物だ。靴は履いていないようで足は酷く汚れている。
それはあまりにも不自然で、そこだけがまるで別次元のようにも思えた…
だが不思議と恐怖心等は湧いてこず、なぜか俺は少女の傍に行ってあげたいと思った。
彼女を助けてあげたい…彼女の話を聞いてあげたいと云う愛情にも似た感情が押し寄せてきて、気付けば目から涙が溢れており、誘われる様に少女の方へと歩を進めていた。
しかしこのまま少女の元へと行っても良いのだろうか?
なぜか後ろにいる最愛の家族、目に入れても痛くない程に愛している娘にもう二度と会えないんじゃないかと云う不安が襲ってくる…
しかし足は俺のその思いを余所に、人混みを掻き分けて一歩、また一歩とそちらへ進む。
とても悲しい目でこちらを見つめてくるその少女を見ていると、少しずつ俺の中の迷いが薄れていくのを感じた。
俺はその時、完全な「無音」の世界にいたのだ。
「…お嬢ちゃんどこから来たの? 」
俺の問いかけに、少女の両目がグルン! とこちらを向いた。
…れ…る…
頭の奥底からかすれた少女の声が響いてきた。俺は腰を屈め彼女の顔を覗きこんだ。
真っ白な顔…鼻頭と右頬には可哀想に大きな切り傷が幾つかある。
上唇はベロリと捲れ上がり、鼻の下の皮膚に引っ付いてしまっている。
袖から覗く両手にはケロイド状の酷い火傷の後が痛々しい。
一滴の血も流れていないのが不思議なくらいの深い傷だ…
しかし俺を見つめる少女の大きな目は、そんな事を微塵も感じさせない程に爛々と輝いていた。
「どうしたの?オジサンで良かったら何でも話してごらん?」
…あた…パ…にく…る…
口を動かさずとも、頭の中に響いて来る声。何と言っているのだろうか?上手く聞き取れないのがもどかしかった。
ふと、少女の目線が俺の背後へと移った。すると、見る見るうちに少女の顔が悪意に満ちた表情へと変わって行く。
振り返るとそこには愛娘の加奈が立っていた。見ると加奈もこちらをジッと睨みつけている…
「…加奈どうしたの?」
「ダメー!!それ加奈のパパー!!」
凄い剣幕で叫ぶ娘。
俺の背中に抱きついた後、加奈はまたその少女に向かって、「加奈のパパとらないでーー!」と叫んだ。
少女の顔は怒りに満ちていた。
めくれ上がった上唇から歯茎をむき出し、歯をギチギチさせながら娘を睨みつけている。
しかし、その姿は先程までとは少し違い左右へフラフラと揺れているようで、心無しか少し身体全体が透けているようにも見えた。
…わ…し…ぱぱ…っ…れな…はは…はははは…はははははは…
すると、今までの少女の険しい顔が次第に綻んで行き、同時に両方の口角がみるみる吊り上がっていく。
きゃあははははははははははははははははははははは!!!!!!
完全に表情を一変させた少女は、口を切り避けんばかりに大きく広げ、体を震わせながら笑い始めた。
きゃあははははははははははははははははははははは!!!!!!
そして‥少しずつ‥ 少しずつ‥‥ その姿は‥‥ ‥‥光に溶けるかのよう‥に ‥‥ ‥消えていっ‥‥ た ‥‥‥ ‥
…
…
…
…
夜空ではまだ打ち上げ花火の音が響いている。
もうあの少女の姿はどこにも無い。
「…加奈!!」
俺は強く我が子を抱きしめた。
「ふふ」
大勢の野次馬達が輪になり、どの顔も俺たち親子を不思議そうに見つめている。
「加奈ごめんよ、お父さんどうかしてたよ…怖かっただろ?」
すると加奈はこう言った。
「…ねえ、あたしのパパになってくれる? ふふふふ、きゃあははははははははははははははははははははは!!!」
【了】
作者ロビンⓂ︎