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今日もアタシは薬を飲む。
思い出さないように
心がざわつかないように
何も
感じずに済むように
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真夜中の2時過ぎ。
アタシは夜間託児所で眠っていた息子をチャイルドシートにそっと乗せると、極力揺らさないように気をつけて運転しながら、家路を急ぐ。
今日も酔っぱらいの男達の相手を6時間めいっぱい頑張って、もうクタクタだ。
今朝も7時には起きてたし、今日は早く寝たいなぁ。
でもきっと、アイツ明日遅番でゆっくりだし、寝かせてくれないんだろうな。
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はぁ。
信号待ちで深いため息をついて、チャイルドシートですやすやと眠る息子の寝顔を見る。
この子の為なら、どんな事だって頑張れる。
アタシが我慢する事でこの子が幸せになれるなら、アタシの苦痛なんて、些細な事だ。
そう、言い聞かせながらアクセルを踏む。
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アパートに着き、足音をたてないように2階へと階段を上がると、静かに鍵を開け荷物を置く。
そうしてまた車へと戻ると、起こさないようにそっと息子を抱き上げる。
それから今度は、踏み外したりしないように細心の注意を払いながら、部屋へと向かう。
息子をベッドに寝かせたら、化粧を落とし、バリバリに固められた髪の毛を丁寧に洗う。
ドライヤーはかけない。真夜中だから。
どんなに寒い真冬でも、アタシは濡れた髪の毛のままで寝る。
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アイツは寝ているのか、身動きひとつしない。
よかった、今日はこのまま眠れそう。。。
そう思いながら夫の布団を横切り、息子の眠るベッドへと滑り込もうとした時。
むんずと足首を掴まれ、乱暴に夫の布団に倒された。
間髪入れずに服を脱がそうとしてくる。
「お願い、もうずっとちゃんと寝てなくてキツイの。今日は眠らせて」
今日は眠らせて。
この言葉をもう何日言い続けているのだろう。
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『かんけーねぇよ』
無感情にそう言いながら、抵抗するアタシの服を引き破る勢いで脱がそうとする。
「お願い、本当にキツイの。ホントにお願い。今日は寝かせて」
半分涙声になりながら懇願する。
それでも、アタシが諦めて無抵抗になるまで、いつも諦めない夫。
抵抗して、無理やり脱がされて、それでも抵抗して。。。無言のやり取りが果てしなく続く。
~このままこのやり取りを続ける方が、睡眠時間を削ってしまう
だったらもう早く終わらせて早く寝てしまおう~
そう諦めて無抵抗になるまで乱暴され、
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そして無抵抗で無反応なアタシを、お構いなしに、抱く。
アタシを反応させようと色んな事をしてくるけれど、もう、苦痛でしかない。
いつの間にか、アタシは何をされても何も感じなくなっていた。
こういう事を毎晩繰り返され、やっと解放されるのは朝方5時過ぎ。
そして息子を夜型にしない為、7時には起きる毎日。
息子のお昼寝に合わせて仮眠を取りたくても、夫が遅番だと起きて準備をし始める時間と重なる。
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もう、何も考えられなくなっていた。
今日がいつで、今が朝なのか昼なのかも、わからない。
必死に稼いできたお給料は、夫が持っていた借金返済で右から左。
夜の苦痛な時間以外は、アタシの事も息子の事もまるで無視。
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ただアタシは借金返済の為に稼いできて、
物言わぬ同居人のご飯の支度や洗濯など身の回りの世話をして、
そして夜には眠る事さえ許しては貰えない。
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アタシは一体なんの為に生きているんだろう
こんな扱いをされなければいけないような価値のない人間なんだろうか
いっそ死んでしまえたら楽なのに
だけどこの子を残して死ぬなんてできない
この子を道連れにする事なんてもっとできない
アタシには。。。
逃げる事も許されない
最近こんな考えが頭を埋め尽くして、生きながら死んでいるみたいだ。
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お金が少しでも残ると、全てギャンブルに持って行かれ、
それを止めようとすると大声で暴言を何時間も叫ばれ、
それでも息子の最低限の人間らしい生活を守る為に応戦すれば、
息子を抱いているアタシに向かって、子供用のパイプチェアなどを投げつけて来たり。
毎日毎日、生きた心地もしない。
いったいいつまでこんな事が続くんだろう。
せめて返済が終われば、何かが変わるかもしれないのに。。。
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それでもアタシが離婚に踏み切らなかったのは、
自分が幼い頃に父親が変わり、
養父に虐待されて育ってきたから、
そんな思いをする可能性を息子に与えたくなかったからだった。
~だけど、本当にこんな父親でも両親揃っていることがこの子の為になるのだろうか~
迷いながら、手探りで毎日を過ごし、
暴言と暴力、性的暴行や借金地獄でアタシはもう、何が正しくて何が間違っているのかさえ、わからなくなっていた。
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アタシは段々と壊れてきていた。
理由もなく涙が止まらなくなったり、
一日中眠くてたまらないのに、ほとんど1時間も眠れなくなっていた。
そんな、生きているのか死んでいるのかわからない毎日を過ごしていた、ある日。
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アタシは、夫に内緒でコツコツと息子の為にお金を貯めていた。
口座に入れて通帳に金額が載ってしまう事を恐れたアタシは、使っていない財布に入れ、タンスに隠していた。
自分の食事や衣服などにかかるお金を最大限削って、本当に少しずつ。
今月も少し浮いた。財布に入れておこう。
そう思って、引き出しを開けた。
~?~
アタシは違和感を覚えた。
財布の向きが違うような、角度が違うような、でもはっきりとはわからない違和感。
なんとなく嫌な予感を気のせいだと言い聞かせ、アタシは財布を開けた。
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shake
~!!!~
お金が入っていない。
コツコツ貯めて、もう少しで30万というところだった。
そんな!
アタシは働かない頭をフル回転させ、記憶を辿った。
外出時は必ず鍵をかけている。
誰か他人を家に入れた事もない。
最近の夫は。。。?
ふたりの給料は完全に管理していたから、そんなに小遣いはなかったはず。
でも最近しょっちゅうギャンブルに明け暮れている。
勝ってれば機嫌が良くて、負ければふて寝する性格。
最近は?
しょっちゅうふて寝してた。
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まさか。。。
アタシは、夫が帰宅したら、聞いてみる事にした。
「ねぇ、最近しょっちゅうパチンコ行って、いつも負けてるみたいだけど、なんでそんなにお金持ってんの」
『は?何が』
「アンタさ、負けたら絶対ふて寝するやん。
でも勝ったらひたすらその日の台の挙動を喋り続けるやん。
最近はいつもふて寝してたよね。
機嫌もすごく悪かったし。
そのお金どっから出てんの」
『あ?お前こそこそ金貯めてるだろが。金ねぇ金ねぇとか言いながら、ちょろまかしてたんだろ?そっからちょっと借りただけだろが』
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「ちょっと借りた?アンタあの財布の中全部でいくら入ってたか知ってる?
ちょっとなんて金額じゃないんだけど」
『あ?7万くれぇだろが。そんぐらい今度勝ったら全額返してやんよ(薄ら笑い)』
「は?7万?何寝ぼけた事言ってんの。
もう少しで30万てとこまで貯めてたんだよ。
アタシがお昼抜いたりしてやりくりして、息子の為に。」
『知らんし。てかそんなに貯めれるほど金持ってたって事やろが!人の事騙しやがって!』
成立しない会話に、アタシの頭の中はもう離婚の文字でいっぱいになっていた。
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そして、
「アタシの小遣いにする為に貯めてたお金じゃない、
息子にこれから必要になるお金を貯めてたんだから、
ちゃんと全額返してよ!
いついくら貯金して、総額いくらになったって、
財布に入れる度につけてたんだから、
誤魔化しきかないからね!」
そう言った時。
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座って晩御飯を食べながら喚いていた夫は勢いよく立ち上がり、
ものすごい形相で台所にいるアタシの方へ向かってくると。
右手を大きく振りかぶるのが見えた。
そこからはスローモーションのようだった。
ゆっくりと、そして真っ直ぐにアタシの左顔面に向かって振り下ろされる腕。
shake
ゴッ!!
という鈍い音と共に脳が揺さぶられる感覚と、首が思い切りゴキリと音をたてて曲がる。
そして間髪入れずに突き飛ばされ、アタシはシンクで腰から下を強かに打ち付けた。
キーーーーーーーーーー!!
激しい鼓膜の痛みと共に、大きな耳鳴り。
アタシの鼓膜は破れていた。
その後も、まだ殴りつけてこようとしていたが、
ここで恐怖に黙りこんだら負けだ!
もうお前の良いようにはさせない!
そう思って更にアタシが口撃し続けたからか、
今度はシンクと反対側の食器棚にアタシを投げつけるようにぶつけると、
『お前覚えとけよ!このままで済むと思うなよ!』
そう吐き捨て、ドアを思い切り叩きつけるように閉めて出て行った。
アタシは、シンクで脊椎の部分を強打した事と、
脳震とうを起こすほど激しく頭を殴られたせいか、
その場に崩れ落ちたまま、
動けなくなった。
アタシと夫の大声に目を覚ました息子が、寝室で泣き声をあげている。
息子のところに行かなくちゃ。
アタシは這いずりながら息子のそばへ行き、
不安がって泣き続ける息子にお乳を飲ませながら、
気を失った。
それからアタシは、食事も受け付けなくなり、全く眠る事もできなくなり、そのうち、記憶がしょっちゅう抜け落ちるようになった。
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自分が何を話していたのか会話の途中に全くわからなくなる
いつどうやってここに来たのかわからなくなる
今いる場所がどこなのかわからなくなる
こんな事が1日に何度も、毎日起こるようになり、
太ももが普通の人の二の腕ぐらいの細さになるほどやせ細っている事に気付き、
アタシは精神科に駆け込んだ。
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PTSD。
そう診断され、それからは治療の日々だった。
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それでも、いつどこで夫に出くわすかわからない恐怖、
息子を連れ去られるような不安、
そして場所や時間を問わず選ばず起こる様々な発作に、
アタシはどんどん壊れていった。
~ここにいたら、息子を道連れに死んでしまう~
そう思い、アタシは知らない街に息子を連れ引っ越した。
知らない街に引っ越して、もう会うこともないのだと脳が理解するまで、2年かかった。
2年かかって「もう安全なんだ」と理解した途端、それまでのストレスが爆発的に表面化し、アタシは昼夜を問わない全身の激痛に見舞われる難病を発症した。
殺してくれ!
そう何度も言いかけた。
殺された方がマシだと思えるほど、一日中、全身を激痛が襲う。
痛みで気絶し、痛みで目が覚める。
日常の生活はおろか、トイレでさえ、自力では行けなくなった。
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その時のアタシと息子を支えてくれたのが、今の彼。
本当に壮絶な毎日だった。
今も、あの頃よりは我慢が出来るようにはなったけど、全身の痛みは健在だ。
アタシはその痛みで襲う死への渇望が心を埋め尽くさないように、今日も薬を飲む。
痛みで目が覚めるまでのほんの僅かの間でも、眠れるように。
あの頃の恐怖を思い出さないように。
あの頃の恐怖が、テレビの中の出来事みたいに、現実味がなくなるように。
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人は、簡単に人を破壊する。
物理的にも。
心理的にも。
貴方の周りにも、いるのかもしれない。
作者まりか
人が人を壊していく。
無自覚に。
見えない何かも怖いけれど、人間が一番怖いですよね。