ぎぎいいい!!
「 おい龍!このドア油ぐらい注したらどうなんだよ?」
「 ああそこっすか?そこは何回CRC注しても一緒なんすよ。建物古いからしょうがないっス!引っ越して来た時からだからもう慣れちゃいましたよw 」
その夜、龍が格安で借りたというおんボロアパートに酒と肉を持ち込み、「朝まで飲み明かすぜー! 」って事で、男三人女三人で遊びに来た訳だが、汚い!臭い!狭い!電車の音がうるさい!の「四コンボ」揃った最低のクソ部屋だった。
ビール党の俺はとにかく小便が近い。
便所に行く度にぎいい!と悲鳴を上げるこの建て付けの悪いドアが建物のその古さを物語っている様だ。
「 おい龍!築何年なんだよここ?」
「 えっと、たしか昭和40… 」
「 もういいよ!大丈夫かよここ?デカい地震なんか来たら一発だろうなマジでw 」
「 そんな事より部屋の中で七輪は勘弁して下さいよ!煙の臭いが壁に染み付いちゃうじゃんかもう!!」
「 うるせー!昔から肉は七輪って決まってんだよバカ!それに元々臭えじゃねぇかよこの部屋!一体なんだよこの臭い?どっかでデカいネズミでも死んで、腐ってんじゃねぇのか?!」
「 ちょ兄貴!!そんな馬鹿デカイ声出さないで下さいよ!隣りのババアが超うるせーんだからさぁ!」
「 ああ?このアパート壁も薄いんかよ!ちっ!とんでもねぇ部屋だな全く!!」
七輪からモクモクとあがる煙を外へと逃がす為にベランダの窓は全開に開けてある。
そこから極寒の冷気と共に細かな雪が舞い込んできており、外はこの冬一番のマイナスを記録している。
酒で体温が少し上がっているとはいえ、皆の吐く息は白い。
それでも俺達は肉を食らい酒を呑み続けて、午前二時を回った辺りでまだ起きているのは俺と龍と香織の三人だけになっていた。
「 おい香織!なんか怖い話でも聞かせろよ…ひひ… 」
「 またぁ?あんた酔っ払うといつもそれね…すぐに「ぎゃっほう!!」とか言ってビビる癖にさww 」
「 う、うるせんだよ!」
「…ふふ」
香織は小悪魔的な笑みを浮かべながら部屋の電気を消した。
そして携帯の灯りを顎の下から当てると、まるで「女版 稲川」の様な独特の語り口調で話し始めた。
「 これはね、あの阪◯大震災が起こる三日前、怖いというよりは少し不思議な話なの…」
暗闇の中、隣りからゴクリと固唾を呑む音がした。
「当時アパートで一人暮らしをしてた私のお姉ちゃんが、夜遅くに仕事から帰宅してお風呂に入ってたの。
そしたら飼ってた猫がお風呂の擦りガラスをガリガリやってきたんだって。
そのガラス戸は透けてるから猫がいるのは見えてた。
「もう止めてよーw」って言いながら見たら、猫の隣りに立ってたんだって…
真っ白い足が二本。
見上げたら、女性の顔がビッタリと硝子戸に張り付いてる。
まるで老婆の様にシワシワの顔。
それにボソボソと何か喋ってるの。
「…$%危な#や逃げ±C*い 」
「だ、誰ですか?」って言った途端、その女の人は両手でバンバン!ガラス戸を叩いて来たんだって。
そして…
逃げろおおおお!!!」
「 ぎゃあああ!!!」
突然香織に耳元でそう叫ばれた龍は、情けない悲鳴を上げながらドスン!と後ろの壁に頭をぶつけた。
「…ふふ流石にお姉ちゃんも怖くなっちゃったみたいで、その日は実家に帰って来たわ。」
「 へえあの美人の姉ちゃん一人暮らししてたんか? マンション?」
「 うん、私も一回しか行った事ないんだけど、古い木造のアパートよ。そう…丁度ここのアパートみたいな感じだったかな?」
「 まぁ、女が一人で住むには危ない所だよな。こんな糞ボロアパートじゃよ!…ひひ… 」
龍「………!! 」
「 てかさぁ、風呂場の前にいたのって泥棒かなんかじゃねぇのか?ストーカーとかよ!ほらよく聞くじゃねぇか押入れや屋根裏に住み着いてるとかってよ」
「 うんお姉ちゃんもそう思ったみたいでさ、次の夜は当時付き合ってた彼氏に部屋に泊まりに来て貰ったんだって。
そしたらその夜に二人とも凄く怖い夢を見たらしいの。」
「 ゆ、夢かよどんな?」
「 ふと気付いたらだだっ広い草原みたいな場所にいたんだって。
隣りには彼氏もいて、向こうには飼い猫が座ってる…
空には厚いグレーの雲ががかってて、沢山の大きな木々が周りを覆う様に立ってたらしいわ。
暫くぼーっと眺めてたら、突然地面がグラグラと割れる程に大きく揺れ出したの。
そしたら、木々の間から沢山の足が現れて、こっちに向かって歩いて来たんだって… 」
「 …足がか?」
「 うん、足!猫が座ってるずっと向こうから音もなく、物凄い数の足がワサワサと歩いて来たのよ。
太腿から下だけの足がひと塊りになって、もう何十、何百あったかは覚えてないって。
で、その足は躊躇なく猫を踏み潰して、尚もお姉ちゃん達の方へとどんどん近付いて来たの。
…逃げようとしても体が全く動かない。
そしたらバキッ!!って… 一瞬で目の前が真っ暗になって、その後は物凄い痛みだけが続いた。
肋骨が折れても、頭の骨が砕けても、ひたすら無茶苦茶にガンガンと踏みつけられる。
目も見えない。
声も出せない。
呼吸すらも出来ない。
痛みより衝撃の方が強すぎて、少しずつ全身の感覚が無くなっていくのを感じたって言ってたよ。」
「 …な、なんか痛そうな夢だなおい!」
「 普通なら死んじゃう筈なのに、拷問みたいに痛みと意識がずっと消えなくて、痛くて苦しくて、もうダメだ!!って、思った瞬間に突然目が醒めたらしいの。
もう身体中汗びっしょりになってて、隣り見たら彼氏も同じ状況で、物凄く魘されてたんだって。
慌てて起こして話聞いたら、彼氏もやっぱりお姉ちゃんと似た様な夢を見てたらしいの。
で、もうこの部屋なんか怖い!ってなってその夜からは彼氏のマンションに泊まったんだけどね。
その朝に来たのよ。
あの大地震が。
昼頃に自分のアパート見に行ったら、一階部分は二階に押しつぶされてペシャンコになってたらしいわ。
まさかこんな事になるなんて思わないから猫は家に置いてきてたらしくてね。
必死で瓦礫掻き分けて探したんだけど結局見つからなかったんだって…
でも、絶対にどこかで生きてる!ってお姉ちゃんは信じてるみたい。
お姉ちゃん言ってた…もしあのまま私達もあの部屋で寝てたらって思うとゾッとするって。」
「 二人共死んでたって事かよ? 」
「 …うん」
「 お、お前適当な事言ってふざけんなよ! 」
「何がよ?」
「そんなもんたかが夢の話だろ? あの地震で一体何千、何万の犠牲者が出たと思ってんだよ! 」
「なんで怒ってんのよ?」
「亡くなった人達は何でその足の夢を見なかったんだよ?その夢見てたら皆助かったんかよ?あっ?どうなんだよ香織!!」
「 な、何よ!そんな事私に言われても分かんないわよ!」
「ただの偶然だろそんな夢!」
「ただ、お姉ちゃんが飼ってた猫って死んだお婆ちゃんが大切にしてた子だから、もしかしたらお婆ちゃんが猫を通じて知らせてくれたんじゃないかな?なんて言ってたけど… 」
「おい香織!俺の仲間があの地震で何人生き埋めになったと思ってんだ?」
「……… 」
「くそ!じゃあそのクソババアはなんであいつらには教えてくれなかったんだ?何で一緒に助けてくれなかったんだよ!ケチくせえババアだな!」
「ちょ、ちょっとロビン!私のお婆ちゃんにクソババアはやめてよバカ!」
「うるせー!クソババアにクソババアって言って何が悪いんだよ!だからババアは嫌いなんだよ!畜生! くそっタレの糞ババアがよ!! 」
「 だから私に向かって言わないでよ!私はお姉ちゃんに聞いた話をそのまま言っただけじゃない!!文句あんだったら直接お婆ちゃんに言ってよね! 」
「ちょ、直接って香織!お前もバカか?そのクソババアはもうとっくの昔にくたばってんだろうがよ?!」
俺はイライラしながら窓際に立った。
「おい!俺の仲間を見殺しにしたクソババア聞いてっか?!なんで俺の仲間は助けてくんなかったんだよ?降りて来て説明しやがれこの野郎!!」
酒に酔っていた所為か、あの大地震で沢山の仲間を失った時の悲しみが一気に込み上げてきて、俺は近所迷惑も顧みず、泣きながら夜空へと向かってそう叫んでいた。
「まぁまぁ二人共、ちょっと落ち着きましょうよ!」
ゴツン!!
「痛ててっ!!」
龍の頭を殴った瞬間、子供の様にムキになっていた自分に気が付いた。
妙な恥ずかしさを覚えた俺は、香織達を部屋に残したまま先に帰る事にした。
「か、香織、なんか悪かったな」
「知らないバカ!あんたが話せって言うから話したのにさ!もう顔も見たくないからさっさと帰ってよ!! 」
「…………」
言い返す言葉も見つからないので、仕方なく玄関で靴紐を結んでいると、
…かちゃん
…ぎいいい
背後にある便所のドアの開く音がした。
そして、誰も入っている筈のない便所の中から「ゴホン!」と咳払いが聞こえた。
「なんだ、誰かいるのか?」
返事は無い。
俺は若干イライラしながら半開きのドアノブに手をかけ、それをゆっくりと開けた。
ぎいいいいい
「………!!!」
そこにはコゲ茶色の猫を膝に乗せた白髪の老婆がいた。
便座に腰を下ろし俺をキッと睨みつけている。
黒目だけで塗り潰された両目。
深く刻まれた口元のシワがニュイと動いた。
「…なんか文句あっか?」
「 だ、誰だよてめえ? 」
老婆は続けた。
「だから、なんかワシに文句があんのかえ兄ちゃん?糞ババアで悪かったな」
「ま、まさかおまえ!」
「おーうそうだよ兄ちゃん。ワシはそこにいる香織の身内の者だよ」
「ひ、ひえ」
「ワシになんか文句があんだろ?えっ?もっかい言ってみろや!呪うぞコラ」
「 ぎ、ぎ、ぎゃっほう!!!」
「うしゃしゃしゃしゃ!!!」
老婆が俺の首目掛けて手を伸ばしてきたので、その枯れ枝の様な両手をばきん!と手刀で叩き折ってやった。
「ぎゃあああああああ!!!」
老婆が苦しんでいる隙に、龍達のいるリビングへと逃げ込んだ。
みし、みし、みし、
「ま、待て!オマエは絶対に許さんぞ!ワシの事をクソババアとか抜かしおってからに!!」
両手をブラブラさせながら、廊下を歩いて来る執念深い老婆。
「死ね婆ばあーー!!!」
俺はまだ燻っている七輪の中の炭を手に取ると、老婆へと向かって投げつけた。
きしゃああああ!!!
突如、暗闇から奇声を発しながら飛び掛かって来たのは、老婆の膝に座っていたコゲ茶色の猫だった。
俺は空中でそれを上手くキャッチすると、その勢いを殺さずに、流れで雪がチラつく窓の外へと投げ捨てた。
「小太郎おおおお!!!」
廊下で老婆が絶叫した。
どうやら、あの小汚い猫はオスだった様だ。
俺は最後の「炭」を手に取った。
野茂投法で今度こそ確実に老婆に当ててやろうと、狙いを定め振りかぶる。
すると香織と龍が泣きながら止めに入って来たので、容赦無く二人共部屋の隅へと投げ飛ばした。
その間に老婆は「憶えていろ!!」と捨て台詞を吐き、小太郎を追って窓の外へと姿を消した。
しかし、ホッとしている時間は無かった。
隣室の独身女が物凄い形相で苦情に現れた。仕方がないので女の頭を便器に突っこんでやった。
すると五分後、誰が通報したのか二人の警察官が駆けつけて来た。
派手にもみ合い、ズボンを無理やり脱がせた俺はその場で後ろ手に腰縄を巻かれ、逮捕されてしまった。
次の日香織にフラれ、二度と龍の部屋に上げて貰えなかった事は言うまでもないだろう…
…
因みにその後半年間に渡りあの老婆と小汚い猫に付き纏われた俺は、重度の寝不足となり「墓前で土下座」という最終手段を使い、ようやくその呪縛から解放された。
以来、俺は人間的に成長し、老人に対して親切に接するよう心掛ける様になった。
まあ、皆も老人は大切に扱った方が身の為だぞ。あいつらを怒らせたら怖いからな…ひひ…
以上だ。
【了】
作者ロビンⓂ︎