隣り町に住む、二つ年上の先輩の家が半分廃墟化していた。
先輩の父親は、先輩が物心着く前に既に亡くなっており、母親は障害を持つ姉を施設に預けたまま蒸発。
現在、その家に住んでいるのは、先輩只一人だった。
夜遊び盛りの若い俺達にとって、自動的にそこが恰好の溜まり場となった。
毎日、地元のヤンキーや家出少女達が入れ代わり立ち代わり出入りし、いつお邪魔しても誰かしらがいるといった状況だった。
…だがしかし
…何と言うか
その家は、兎に角気持ちが悪かった。
見た目は敷地四十坪ぐらいの何処にでもある一般的な二階建ての家なのだが、外壁の類いは一切無く、手入れのされていない庭は、腰辺りまで伸びた雑草で埋め付くされており、よく蛇や猫の死骸等が転がっていたのを覚えている。
家の中も酷い状態で、誰も掃除をしない為か、見事に荒れ放題だった。
台所のシンクには山積みにされた食器と生ごみが異臭を放ち、リビングのソファーは穴だらけ、カーテンも掛かっていなければ、壁紙も落書きだらけで、あちこちがビリビリに剥がれていた。
因みにテレビもブッ壊れていた。
床も洒落にならないぐらいにヌルヌル状態だった為、先輩を初め俺達全員が「靴のまま土足で上がる」と云う所謂、アメリカンスタイルをとっていた。
まるで廃墟寸前を思わせる閑散としたその空気はなんとも不気味で、昼間でも一人でその家にいると、何か落ち着かずにソワソワしてしまう程だった。
実際、夜中のラップ音や人の気配を感じる者も多くいた。
まあ、ヤンキーの一人が拾って来た野良猫が1分持たずして「ふにゃあああ!!」と奇声を挙げながら逃げ出すと言えば、何と無くこの家の異常さが伝わるだろうか?
…
その日の夕方、ガソリンスタンドのバイトを終えた俺は、いつもの様にその家へと遊びに行ったのだが、その日は珍しく誰一人として家に居なかった。
※因みに鍵は常時開けっ放しなので誰でも入れる。
家主である先輩も居なければ、馬鹿丸出しのヤンキーも、最近北海道から遠征中の家出少女グループも居なかった。
当たり前だが家に入るとシーンとしており、まだ夕方だというのになんとも不気味で心細い雰囲気だった。
その内誰かが来るだろうと一階のリビングの窓を全開に開けてボーっと待ってたんだが、これが一時間経っても、二時間経っても誰も姿を現さない。
陽が傾くにつれ、どんどんと暗さが増していく不気味な庭を眺めながらもう帰ろうかなと考えている時だった。
ギシ、ミシ、ギシ、
不意にドアの向こうから、階段を降りてくる足音が聞こえた。
言っておくが絶対に家鳴りなどではない、しっかりとした重量感のある人間が降りて来る足音だ。
「 な、なんだ誰か二階にいたんかよ!ビビらすんじゃねぇよ!」
俺は誰かが家にいた事への安堵感と、今迄の不安と怖さが変に入り混じり、急に腹が立ってきてリビングのドアをバン!と開けた。
しかし、階段には誰も居なかった。
途端、ゾワゾワと鳥肌が立ち耳鳴りが始まった。
足音からして階段の真ん中辺りに人がいないと説明がつかないのだ。
なのにいない…
俺は恐怖を振り払い、ダッシュで二階へと駆け上がった。
決して強がっていたからでは無い、この目でちゃんと確認したかったのだ。
「い、今絶対に誰かがいた筈だ! 俺は幽霊なんて信じない! 絶対に誰かいた筈だ!幽霊なんて信じない!」
その一心だった。
当時、幽霊の存在を完全否定していた俺は、誰かのくだらないイタズラだと思いたかったのだろう。
階段を上がると、先輩の寝室である部屋のドアを開けた。
すると、安っぽいダブルベッドの横に、髪の毛が真っ黒焦げになったボロッボロのマネキンの首が幾つか転がっていた。
「 …ひいっ!!」
心臓が止まりそうになった。
その全ての顔が俺がいる入り口の方を向いていたのだ。
「 な、なんだよこれ!!」
俺は直ぐにドアを閉めた。
「はあ!はあ!前来た時はあんな人形無かったぞ!どっからあんなもん拾って来たんだ気持ち悪りい!」
俺は必死で息を整えた。
もう帰りたかったが、性格上全てを確認せねば逆に落ち着かない。
隣りの部屋のドアノブを握った所で、脳裏に物凄く嫌な予感が走った。
この部屋には今まで一度も入った事が無い…
なんか絶対に開けちゃいけない気がする。
「い、いや大丈夫!俺は幽霊なんて信じてないんだ!絶対これは誰かのイタズラなんだ!ここを開けたら先輩達がいる筈だ!」
俺は自分にそう言い聞かせた。
…キイいい
ゆっくりドアを押すと、丁度真向かいに開いた三面鏡があった。
誰もいない。
そこは、他の部屋とは明らかに違う異質な空気が漂っていた。
よせばいいのに恐る恐る部屋へと足を一歩踏み入れた瞬間、物凄い目眩と耳鳴り、吐き気が襲って来て、思わずその場にぶっ倒れそうになった。
まるで頭を持たれて乱暴に振り回された様な感覚、グワングワンと天地が逆さまになるのを感じた。
この部屋はヤバイ!とすぐに一階のリビングへと逃げ走った。
階段を降り、リビングに入るとあるモノが目に入った。
昔、先輩の姉貴が使っていたという電子オルガンの上に、埃を被った四角い「写真立て」が伏せた状態で置いてあった。
今迄、一度も気に留めなかったそれが、何故か無性に気になり手に取った。
写真には子供の頃と思しき先輩の姿と、母親らしき女性が中腰になって写っていた。
写真の左隅にはあの三面鏡が…
どうやら、これはさっきのあの部屋で撮られた写真の様だ。
「ん? 何だこれ?」
写真を眺めていると「幽霊なんて絶対にいない!」という俺の自信はガラガラと脆くも崩れさった。
二人の背後に写っていたのだ。
黄色いヘルメットを被った半分透けた中年の男が、窓の外側からベターと張り付いた状態で部屋の中を覗き込んでいた。
身体部分は透けているものの、顔の輪郭や目鼻立ち等ははっきりとしている。
一見、本物の人間かと見間違う程に鮮明だった。
しかもよく見るとその男の周りにも悪霊としか思えない顔があった。 確認出来ただけでも確実に4体は居た筈だ。
ふと外からの視線を感じて振り返った。
すると、開け放たれた窓の向こう側に、一人の男が此方を向いてぼおっと立っていた。
青白い顔。
紺色の作業着。
黄色いヘルメット。
写真の男だった。
…
俺はその後、軽く二時間程気を失っていた様で、家主である先輩に揺り起こされた。
見た事を全て話すと先輩はその写真を眺めながら言った。
「…脅かして悪かったな、これは俺の親父なんだ。当時、鳶をやってた親父はこの恰好のままで足場から落下して死んじまった」
「 ま、マジすか?」
「 怖かったか?でも親父と母親と俺とのスリーショットの写真がこれ一枚しか残ってなくてな」
「……… 」
「まあ、これが心霊写真だって事は俺だって良く分かってんだけど、どうしてもこれだけは捨てられねんだよ、これだけはな…」
先輩はそう言うと、右手の袖で写真に落とした涙を拭った。
…ぐすん、ひっく!
一緒に話を聞いていた北海道産の家出少女達も泣き始めた。
普段は馬鹿丸出しの地元ヤンキー達も珍しく言葉を失い、同情の目を先輩に向けている。
そして次第に涙は感染して行き、俺を除く全ての人間の目には涙が溜められていた。
確かに感動する話ではあるのだが、寝室で見たマネキンの首の事もあった為、素直に涙が出なかった。
先輩は精神を病んでいるか、頭がイカれているとしか思えなかったのだ。
俺はこの時強く心に誓った。
もう今後一切この家には近付かないと。
…
一応、話はこれで終わりだが、実はその後の先輩の人生が中々に壮絶だったので簡単に説明する。
「いい思いをさせてやる!」という甘い言葉に乗せられて、夜の仕事を始めたのはいいが、タダ同然でこき使われた挙句に、多額の借金を背負わされて90キロ近くあった体重が60キロ代にまで落ちた。
痩せてイケメンの部類に仲間入りした事で、店の商品である女の子に手をつけ、挙句妊娠させてしまった為に、その女を連れて親分のベンツに乗って逃走した。
道中、まさかの人身事故を起こし、その場に車を乗り捨てて更に逃走した。
公にニュースや指名手配は掛からなかった事から、事故での死者は出ていないと思う。
警察とヤクザのダブル捜索が続く中、名前を変えて地方の温泉街や土建屋の寮などを点々としながら潜伏を続けた。
勿論、知り合いである俺達の家にも警察やヤクザが居所を聞きにやって来たが、全員が知らぬ!とシラを切った。
結局それ以来俺達との連絡も途絶えてしまった為、現在の先輩の居所を知る者は誰もいない。
まあ、あんな感じなので先輩はもしかしたらもう生きていないかも知れないが、もし生きていたとしても、俺達の前に姿を現す事はもう二度と無いだろう。
半分パシリの様な先輩だったので、それ程思い入れがある訳ではないが、現在の先輩が少し心配なのは確かだ。
そして、家主を失ったあの不気味な家は名実共に立派な「廃墟」と化し、周りを高いフェンスと有刺鉄線で厳重に囲まれ「怪奇現象が起こル家」として今も地元で恐れられている。
【了】
作者ロビンⓂ︎
実話なのです…ひ…